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アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第15回。
今回は、山本さんが「心の師」と仰ぐ国民的アニメ作家・宮崎駿について、私的な出会いのインパクトから作品史を通じた思想家としての変遷、そして現代のオタク文化への責任などをめぐって、いま改めて語ります。
■ 本記事のタイトル・文中に一部文字化けがありましたので訂正して再配信いたします。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【12月10日13時30分追記】

山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法
第15回 わが心の師・宮崎駿 今更ながらの「宮崎アニメ」論

そう言えばずっと「心の師」と仰いでいた宮崎駿御大(僕は普段こう呼ぶ)について、第9回で『ナウシカ』の漫画を取り上げたきり、アニメの方の話を全然していないことに気づいた(最近「そもそも○○語ってなかった!」が多い)。

今回は改めて宮崎駿とその仕事を語ってみたいと思う。
……のだが、もはや「宮崎駿論」など市井に出尽くしている感がある。僕よりも精細な分析などいくらでもあるだろう。
だからあくまで、今回は師匠を回想する弟子のような気分で論じたいと思う。
なお、今回も敬称略で書かせていただく。

僕が宮崎駿と「出会った」のは、中学一年から二年にかけての春休みだった。
それまでも存在は知っていたし、『風の谷のナウシカ』(1984)が小学校のクラスで流行ってたのも解っていた。
僕はその時主題歌だけは知っていて(お恥ずかしい限りだが……)、それだけはクラス仲間と歌えたのだが、「あの時トルメキアがさぁ……」とか言われても、「は? お、おぅ」の状態で、とても話を合わせられる状態ではなかった。

それを劇的に一変させたのが、TV初放映された『天空の城ラピュタ』(1986)である。
僕は最初、これを観ようとも思っていなかった。偶然TVを点けたらやってたのである。
だから自分にとってのファーストシーンは本編途中からで、忘れもしない、パズーの家での朝の屋根上シーンだった。

僕は魂を鷲掴みにされた。
夢中になって観た。
エンディングに入り、パズーとシータを乗せた凧が夕暮れの雲海の中に消えるカットで、「行かないでくれ!」と心の中で叫んだくらいだ。

夜は興奮して寝られなかった。
確かに体温が上昇しているのを感じた。まだ春先なのに暑い。
頭の中でさっき観た数々のシーンが無限にリフレインされていた。
カルチャーショックとはこのことか。
「えらいものを観た!」と、確信した。


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