今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は2014年に開催された「チームラボと佐賀 巡る!巡り巡って巡る展」を取り上げます。※チームラボ代表・猪子寿之さんと宇野の対談を収録した「人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界」(PLANETS刊)好評発売中です!
海外ではすでに新世代のデジタルアートの旗手として大きな注目を浴びていながらも、チームラボにとって日本国内ではほぼ初めてだった大規模な展覧会。宇野にとっても彼らのアートと系統的に向き合っていくターニングポイントとなった異例ずくめの佐賀展は、情報技術と日本的想像力との関係を、どのように更新したのでしょうか?
※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
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「超楽しいよ、佐賀」「佐賀、ハンパないよマジで」「福岡から電車で一時間しないよ。マジすぐだから」
打ち合わせにならなかった。
その日僕は事務所のスタッフと一緒に水道橋のチームラボに来ていた。チームラボとは猪子寿之が代表をつとめる情報技術のスペシャリストたちのチームで、近年はデジタルアート作品を数多く発表している。主催の猪子が掲げるコンセプトは情報技術による日本的な想像力の再解釈だ。西欧的なパースペクティブとは異なる日本画の空間把握の論理を現代の情報技術と組み合わせることで、猪子はユニークな視覚体験を提供するデジタルアートを多数産み出してきた。
僕はいま、彼らチームラボと2020年の東京オリンピックの開催計画を練っている。ほうっておけば高齢国家・日本が「あの頃は良かった」とものづくりとテレビが象徴する戦後日本を懐かしむだけのつまらないオリンピックが待っている。そこで、僕はいま仲間たちと若い世代が考えるあたらしいオリンピック・パラリンピックの企画を考えて、僕の雑誌(PLANETS)で発表しようとしているのだ。僕たちの考えではテレビアナウンサーが感動の押し売り的文句を連呼し、「同じ日本人だから」応援されることをマスメディアを通じて強要されるオリンピックの役目はもう、思想的にもテクノロジー的にも終わっている。僕たちが考えているのは最新の情報技術を背景にした、あたらしい個と公のつながりを提案するオリンピックだ。開会式の演出からメディア中継にいたるまで、実現可能な、そしてワクワクするプランを提案すべく日々議論している。だからこの日もそんな議論が行われるはずだったのだが、猪子の口から出るのはいつまで経っても「佐賀」の話題だった。
そう、その日(3月10日)佐賀県ではチームラボの展覧会「チームラボと佐賀 巡る!巡り巡って巡る展」が開催中だった。チームラボの評価はむしろシンガポール、台湾などアジア圏のアート市場で高く、国内での大規模な展覧会は今回が初めてのものとなる。今回の展示は佐賀県内の4ヶ所にも及ぶ施設にまたがる大規模なものだが、存命の、しかも弱冠36歳の若いアーティストの展示を県が主催するのは異例のことだ。この異例の開催については県庁内でもさまざまな議論が交わされたようだが、開催後は予想外の好評と来場者数の伸びに湧いているという。その日猪子は半分冗談まじりに、あと二週間足らずで終わるこの展覧会を僕に観ろ、と繰り返した。
たしかに一度、猪子の作品をまとめてじっくりと観てみたいという気持ちは以前からあった。しかし、観に行くとしたらその週末に弾丸ツアーを敢行するしかない。さすがにその展開はないだろう、と思っていた僕を動かしたのは何気ない猪子の一言だった。「会期延長しようぜ1ヶ月くらい。なら行ける」と口走った僕に、猪子はこう言ったのだ。「宇野さん、俺と宇野さんの一番の違いはね。なんだかんだで宇野さんは夢を生きている。でも、俺は現実を生きているんだよ」と。もちろん、これは冗談だったのだと思う。でも、僕はこの何気ない一言に猪子寿之という作家の本質があるような気がしたのだ。そして、僕は気がついたら答えていた。「え、じゃあ、行っちゃおうかな。うん、行くわ」と。
ここで猪子という作家の掲げる「理論」を簡易に説明しよう。猪子曰く、西欧的なパースペクティブとは異なる日本画的な空間把握は現代の情報技術が産み出すサイバースペースと相性がいい。全体を見渡すことのできる超越点をもたないサイバースペースは日本画的な空間と同じ論理で記述されるものだ、と猪子は主張する。そして、多様なコミュニティが並行的に存在し得る点は多神教的な世界観に通じる。猪子はこのような理解から日本的なものを情報技術と結びつけ、たとえば日本画や絵巻物に描かれた空間をコンピューター上で再解釈したデジタルアート(アニメーション)を多数発表している。
その題材の選択からオリエンタリズムとの安易な結託と批判されがちな猪子だが、実際に国内の情報社会がガラパゴス的な発展を続けていること/そしてその輸出可能性が検討されていることひとつをとっても、猪子の問題設定のもつ射程はオリエンタリズムに留まるレベルのものではないのは明らかである。
さて、その上で以前から僕が指摘しているのはむしろ猪子のキャラクター的なものへの態度についてだ。
猪子が度々指摘する主観的な、多神教的な、アニミズム的な世界観は同時にキャラクターというインターフェイスを備えている。たとえば私たち日本人は本来「人工知能の夢」の結晶であるはずの「ロボット」を「乗り物」として再設定している(マジンガーZ、ガンダム、エヴァンゲリオン)。「初音ミク」もまた集合知をかりそめの身体に集約して、作品を世界に問うための装置だと言える。要するに私たちは、日本人は自分とは異なる何かに、ときには集団で憑依して社会にコミットする(「世間の空気」を「天皇の意思」と言い換える)という感覚を強く有しているのだ。
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