今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。庵野秀明が日本の特撮技術を継承すべく取り組んだ映像作品『巨神兵東京に現わる』。その見事な出来栄えの一方で著者の胸に去来したのは、円谷英二以来の表現が博物館に収蔵される「静的な文化」となったことへの哀愁でした。
※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。
円谷英二が始めた日本の特撮は、精巧なミニチュアで作られた町や山や海を舞台に、怪獣やヒーローやスーパーマシンたちが活躍し、見る者をワクワクさせてきました。しかし現在、特撮は、デジタル技術の発展と共に形を変え、その価値を見直す岐路に立たされていると言えます。それとともに、特撮の語り部であり、貴重な財産であるミニチュアや小道具などは、破棄され、あるいは散逸し、失われつつあります。
本展覧会は、特撮のこうした状況を何とかしたいとかねてから考えてきた庵野秀明が、「館長」となって「博物館」を立ち上げた、というコンセプトのもとで開催します。会場では、数々の映画・TVで活躍したミニチュアやデザイン画などさまざまな資料約500点を一堂に集めて展示し、それらを担ってきた作り手たちの技と魂を伝えます。そして、日本が世界に誇る映像の「粋」、特撮の魅力に迫ります。》(東京都現代美術館公式ホームページより)
展示の初日に行こう、と決めていた。1か月以上前からスケジュールを空けていた。特典つきの限定3000枚チケットをコンビニエンス・ストアで予約して、指折り数えてこの日を待っていた。7月のこの週は息抜きしよう、遊ぼうと心に決めて、この日を待っていた。
実を言うと、その日まで僕はひどく落ち込んでいた。理由は他愛もないことだ。その前々日の日曜日、僕は国際展示場で催されたAKB48の握手会でちょっとした失敗をしてしまっていたからだ。握手のスケジュールを甘く見積もっていて、時間内に複数のメンバーのブースを回ることができずに握手券を2枚も無駄にしてしまったのだ。まったく同情の余地のない、完全に自己責任の失敗だった。他の誰かのせいでもなければ、格差社会やグローバル資本主義のせいでもない。強いて言うなら僕の見積もりが甘くなったのは、僕も運営側も予測できなかったレベルでの混雑だ。予想外の数のファンが殺到した結果、会場で小さな混乱が起こっていたのだ。僕は正直、落ち込んだけれどその一方であの空間に満ちていた混沌とした圧倒的な力にはやはり何かを期待させるものを感じていた。
そして訪れた7月10日、まだ梅雨明け前のはずの東京の空は、世界の底が抜けてしまったように晴れていた。僕は朝の9時過ぎには家を出て、タクシーを捕まえた。神保町の交差点で、徹夜で仕事をしていたらしい知人を拾って清澄白河に飛ばした。既に会場は混雑していた。平日の昼間、それも午前中にどこから湧いて出たんだろうというくらい、そこには大人たちが、いや「おおきなおともだち」がいっぱい集まっていた。平均年齢も、高い。33歳の僕はあの中ではたぶんかなり若い方だったと思う。僕らはそんな状況がもたらす奇妙な居心地に少し戸惑いながら、この博物館の奥へ、奥へと入っていった。
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