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宇野常寛 いまこそ語ろう90年代テレビドラマとその時代ーー野島伸司・北川悦吏子・三谷幸喜 (PLANETSアーカイブス)

2019/05/01 07:00 投稿

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  • テレビドラマ
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今朝のPLANETSアーカイブスは、宇野常寛の90年代テレビ論をお届けします。90年代のテレビドラマの魅力は何だったのか? 当時のドラマがいかに“大衆の気分”を反映していたか代表的な作品と脚本家を振り返りながら、宇野が語りました(取材・文:福田フクスケ)。初出:「ROLa」2013年11月号・新潮社
※この記事は2014年4月11日に配信された記事の再配信です。
赤名リカの敗北とバブル終焉
 
 今振り返ると、“90年代的な”テレビドラマは、『東京ラブストーリー』(91年・以下『東ラブ』)から始まったと僕は思っています。要するに、トレンディドラマの“敗北”と“終焉”から始まっているんじゃないでしょうか。
 フジテレビの「楽しくなければテレビじゃない!」というモットーが象徴的ですが、80年代のテレビは“意味のなさ”“軽さ”が、当時出現しはじめていた消費社会の批判力を体現していました。その終盤に現れた『抱きしめたい!』(88年)や『君の瞳に恋してる!』(89年)といった作品が代表するトレンディドラマの多くは、都心のマンションに住むおしゃれな登場人物が、最先端のスポットやファッション、アイテム、ライフスタイルを見せる“消費社会のショーケース”だったわけです。
 『東ラブ』も、そんなトレンディドラマの代名詞だと思われています。しかし、個人的にこの作品は、むしろトレンディドラマ的な価値観の終焉を描いていたように思います。というのも、主人公のカンチ(織田裕二)は、バブリーでトレンディな赤名リカ(鈴木保奈美)ではなく、手作りおでんを持って家に押し掛ける古風な関口さとみ(有森也実)を最終的に選ぶんですよね。
 奇しくも『東ラブ』が放送された91年は、バブル崩壊の年。“赤名リカの敗北”というこのドラマの結末は、大衆の本音がバブル的/トレンディドラマ的なものを実は求めていなかった、ということを暗示していたのだと思います。
 
 
トラウマを描いた野島伸司
 
 消費社会の“モノ”の過剰さと、“物語”の空虚さを体現していたトレンディドラマがその役割を終えたときに、90年代のドラマは始まりました。この比喩を続けると、この時期にどう“物語”を過剰にしていくかというゲームが展開されることになった。過剰なストーリー展開で見せる「ジェットコースタードラマ」が生まれたのもこの頃。それに加えて当時、大事MANブラザースバンドの「それが大事」とか、KANの「愛は勝つ」といったヒットソングが流行ったでしょう? あれと同じで、当時のマスメディアはほとんど胸倉つかんで感動しろと言っているような、ある種の“ベタ回帰”のフェイズに入ったと思うんですよね。
 今、僕が話した一連のトレンディドラマからベタ回帰への流れを体現していたのが、間違いなく野島伸司でしょう。彼は、トレンディドラマでデビューしてまさにベタ回帰のお手本のような『101回目のプロポーズ』(91年)や『ひとつ屋根の下』(93年)の大ヒットを通じて、トップクリエイターになっていった。このとき彼がやったのは、ある種の物語の“感動サプリメント化”のようなものだと思います。
 野島さんはその後『人間・失格』(94年)辺りから、レイプやいじめといった過激なモチーフと、それに伴う露骨な“トラウマ”を登場人物に負わせることで、物語を動かす手法を使いはじめる。登場人物の動機をすべて過去のトラウマに回収させていくこの手法は、書き割りのような人間観で深みがない、と批判されることが現在では多かったりもします。基本的には僕もそう思うけれど、野島伸司という作家をそれだけで片付けていいようにはどうしても思えない。
 彼にはたしかに、効率的に視聴者を(後に引かない程度に)傷つけて、効率よく感情を揺さぶるために、トラウマ頼みの人物造形を行っていた側面があるんでしょう。しかしその一方で、彼のドラマには“もっとも深く傷ついている者こそ、もっとも深く救われる”という独特の美学が貫かれています。その美学が、ときに私たち視聴者の道徳感覚とズレているため、違和感ややりきれなさといった理不尽な感情がかきたてられ、それが野島ドラマの不思議な魅力になっていたと思います。
 
 
シットコムに憧れた三谷幸喜
 
 一方、同時期に欧米のシチュエーションコメディ(シットコム)の手法を使って、従来のテレビドラマの文法を拡張したのが三谷幸喜です。彼はずっと、日本で本格的なシットコムを作りたかった人ですが、どうもうまくいっているとは言えない。その理由は、政治風刺の文化の違いなど、いろいろあるんでしょうね。その代わり、“基本的に一話完結”“舞台設定を変えない”といったシットコムの手法だけを部分的に取り入れて、独自の手法を確立していく。その成果が『振り返れば奴がいる』(93年)というシリアスドラマや、『古畑任三郎』(94・96・99年)というキャラクタードラマだったように思えます。その集大成といえる『王様のレストラン』(95年)は、名作として今も評価が高いです。
 しかし、彼の悲劇は『総理と呼ばないで』(97年)や『合い言葉は勇気』(00年)など、彼が本来やりたいものを書くとヒットしなかったということ。シットコムを受け入れない日本文化が生んだいびつな成功例として、日本の文化空間を考える上で重要な人だと思います。
 三谷さんは、『古畑』で自身が生み出した名脇役・今泉巡査に対して、シリーズを重ねるごとに「ウンザリしていた」と語っています。僕にはこのエピソード、シットコムの手法がキャラクターものにしか生かせない日本の文化空間への呪詛に聞こえたりもしますね。
 
 
時代の空気と寝た北川悦吏子
 
 もうひとり、この時期の重要なヒットメーカーが北川悦吏子です。野島伸司が過激なモチーフや練り込まれた構成で、戦略的に時代の波に乗ったのに対して、彼女はナチュラルに時代と寝られた人。
 『あすなろ白書』(93年)が「大学に入るとこんな青春が待っているんだ」という憧れのひな形として機能したように、90年代はテレビが日本を標準化し、世間のスタンダードを作る力を持っていた時代でした。北川さんは、そんな時代の空気や世間の感性を汲み上げる天性を持っていたんでしょうね。
 そのセンスが時代の転換点と一致した最高傑作が『ロングバケーション』(96年)でしょう。本作の“神様がくれた休暇”というロマンティックなモチーフは、かつてのように右肩上がりの日本には戻れないとみんなが薄々気付いていた時期に、「“疲れた”“休みたい”と言ってもいいんだよ」というメッセージを提示しました。大衆が心の底では求めていたけど、自覚していなかったテーマを探り当てたわけです。
 ここまで挙げた野島伸司、三谷幸喜、北川悦吏子の3人が、90年代のテレビドラマの方向性を決定付けた、代表的な脚本家といえるでしょう。
 
 
『踊る』と『ケイゾク』
 
 90年代後半になると、“プレ・ゼロ年代”とも言うべき潮流が出てきます。その萌芽と言えるのが、日テレの土曜9時枠のドラマ。ジャニーズ俳優を主演に起用したティーンズ向けのドラマ枠と思われがちですが、ドラマ史を考える上では非常に重要です。
 堤幸彦がメイン演出を務めた『金田一少年の事件簿』(95・96年)をはじめ、凝った映像やトリッキーな演出で、俳優の身体を漫画のキャラクターのように撮る手法は、漫画原作のドラマが増えたゼロ年代的な演出手法のさきがけとなりました。

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