ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『金田一少年の事件簿』で一躍ヒットメーカーに躍り出た堤幸彦が、1999年に手がけた、テレビドラマ史に残る問題作『ケイゾク』。それは、サンプリングとリミックスを旨とし、最終的に自己破壊でしかリアルを表現できないという、90年代の時代精神を体現した作品でもありました。
堤の映像は土9のみならず、佐藤東弥、大谷太郎といった日本テレビのディレクター達に大きな影響を与え、その後の土9のドラマはもちろんのこと、日本テレビのドラマの映像センス自体を書き換えてしまったと言っていいだろう。
彼らにしたらある種、ショックだったと思うんですよ。ただ、僕自身はずっと土曜9時でやっても、何の広がりもなかったワケです。自分の位置がテレビ的にどうなのかっていうのもわかるし、いくら暴れん坊みたいにやっていても、結局はドラマを作るっていう、ベーシックな仕事の基本はなんら変わらないっていう、そういう意味で寂しくなってきたなと思っていた、ちょうどそういう時期に、渡りに船で『ケイゾク』の話をいただいたんです。なら、もう一回チャンスがあるだろうなぁって、それでやってみたんですね。
(「テレビドラマの仕事人たち」著:上杉純也/高倉文紀(KKベストセラーズ)堤幸彦インタビューより)
堤が土9の仕事に限界を感じはじめていた頃、蒔田光治の仲介で、TBSの植田博樹と出会う。編成時代の植田はTBSのドラマが持つ保守性にフラストレーションを抱えていて、なんとか新しいドラマを作れないかと考えていた。そんな時に堤が手がけた『金田一少年の事件簿』を見て、これはTBSでは作れないドラマだと驚いたという。
その後、植田はプロデューサーに復帰。1999年の1月からはじまるドラマを急遽、立ち上げなければならなくなる。その時にTBSでは作れない新しいドラマを作るため、堤幸彦とコンタクトを取る。
TBSのブランドイメージって僕的には非常に高かったんですよね。第2NHK的というか、絶対、自由に作れる世界じゃないなっていう気がなんとなくしていたワケです。ところが、そこにいた植田という男が、これが、僕が今まで見た中で一番の暴れん坊でね、スレスレの人だったんです。(同書)
視聴率ではフジテレビや日本テレビに遅れをとっていたが、当時のTBSにはNHKに次ぐ老舗のイメージがあった。中でもテレビドラマ、特に金曜ドラマに関しては「ドラマのTBS」という圧倒的なブランドがあり、外部ディレクターの堤にとっては、プレッシャーの大きな仕事だったのだろう。
そんなTBSの社員ということもあって、自分とは違う世界を生きるエリートだと、植田に対してはどこまでドラマ作りに対して本気なのかと様子を窺っていた堤だったが、企画を進めていくうちに植田の情熱は本物だと感じ、やがて意気投合するようになっていく。
そして、ドラマ史に残る問題作『ケイゾク』(TBS系)が生まれることになる。
▲『ケイゾク』
『ケイゾク』ーーミステリーに対する醒めた視点
『ケイゾク』は、東京大学法学部を首席で卒業した警部補・柴田純(中谷美紀)が迷宮入り(ケイゾク)となった事件を専門に捜査する部署・捜査一課弐係に配属されるところから始まる。
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