お笑いジャーナリストであり、テレビ局のディレクターでもあるたかまつななさんの『たかまつななの新米ディレクター月報』。NHKで働きながらも自身の立ち上げた株式会社 笑下村塾の仕事も忙しくこなしていたたかまつさんでしたが、そんななか笑下村塾の新社長が急病に倒れます。疑念を感じながらも組織に迎合していく自分、笑下村塾のピンチ。たかまつさんが今の心境を赤裸々に語ります。
「もう、NHK辞めた方が良いんですかね」。止めて欲しい一心で、でも、もう何も考えたくなくて、私は先輩に小さな声で言った。「絶対に諦めたらダメだ」と先輩が言って下さった。入社早々、事件は勃発した。
私は、お笑い芸人であり、株式会社 笑下村塾の取締役であり、4月からNHKに入局した新米ディレクターである。現在、三足の草鞋を履いている。NHKの面接で、「笑下村塾は、日本の株式会社の中で唯一、主権者教育を行っている会社です。笑下村塾がなくなったら、日本から主権者教育をやる株式会社がなくなります」と訴え続けて、内定を貰った。以降、ものすごく理解のある先輩方に囲まれ、NHKの職員と笑下村塾をどのように両立していくか綿密に相談していた。「代表取締役を降りてほしい」とNHKから言われたので、私は笑下村塾の理念を理解してくれていた方に、笑下村塾の経営をお願いすることにした。
NHKに入局して1週間――。朝は打ち合わせ、夜は取材や会食をいれるなど、NHKで普通に働きながら、1日2~3つぐらいは仕事を入れていた。NHK入局を言い訳に笑下村塾を縮小するのだけは避けたかったが、中々体力的にも、物理的にも大変だと思っていた。新社長に「研修期間が終わるまでには、もう少し引き継ぎをしたい」と伝えるつもりでいた。今日の夜、新聞の取材があるから、そこで伝えようと思っていた。1分でも早く帰ろうと、研修が終わってからタイムカードを打刻して、急いで駅まで向かい、電車に乗っている際にラインが新社長から来た。「倒れました。今日はお休みします」。無理をしすぎたのかな。心配だな。でも取材は一人でも受けられるから、なんとかなるかなどと思い、電車の中でMacBookを開いて仕事をし、事務所に戻った。ギリギリ取材に間に合い、無事に取材が終わった。その時は、事の重大さをまだあまり理解していなかった。事務所で残った仕事をしていると電話が鳴った。新社長からだ。「メニエール病になりました。1週間は絶対安静だそうです。電話は耳鳴りがして、LINEは文字がくらくらして読めません」。以前、私の担当マネージャーがメニエール病になったことがあり、病気の大変さを私は知っていた。頭が真っ白になりながらも、「分かりました。こちらは、なんとかしますから、とりあえず、ゆっくり休んで下さい」と言った。過去のメールを見ながら、進捗を予測して、先方にこちらの状態を伝えた。とりあえず、諸々リスケさせてもらい、帰りを信じて待った。新社長の身体を案じながら、私はできることを必死でやっていた。笑下村塾のクラウド営業部のメンバーにだけ、状況を伝えたところ、代わりにできることをやりますとたくさんの方が手を挙げてくださった。三菱総研で、プレゼンの機会があり、新社長が力を入れていた案件を欠席するのは忍びないと思っていたが、クラウド営業部の人が現場に行ってプレゼンをしてくださり、心強かった。
そんな我々の願いも空しく、数日後、「最悪もう一生治らないかもです」とLINEが来た。どうしよう……。
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人間の大志とそれに向かう過程の葛藤障壁がひしひし伝わってくる。
お金は道具
目的は主権者教育 日本の意識改革
幕末の志士のようだ。だから笑化村塾なのか