ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。TBS三部作において〈無垢なるものを守るための共同体と暴力〉という主題に向き合った野島伸司。1995年にその臨界点となる『未成年』が放送されますが、その結末が示した限界は、キャラクタードラマの時代への転換を促すことになります。
野島三部作が切り開いたものと、その限界
90年代前半の野島伸司のフジテレビ系の作品は、当時の空気を知る上での歴史的資料としては面白いのだが、現在のテレビドラマの水準と比較すると映像や演出の面で、どうしても見劣りする部分がある。
対してTBS系の金曜ドラマで放送された『高校教師』以降の野島三部作と言われる作品群は、今の視点で見ても、一つの映像作品として鑑賞に耐えうるクオリティを保っている。
中でも圧倒的な完成度を誇るのが1993年の『高校教師』である。
物語の舞台は、とある女子校。大学の研究室から生物の教師として赴任した羽村(真田広之)は二宮繭(桜井幸子)という女子生徒と知り合い、やがて教師と生徒という立場を超えた恋愛関係へとなっていくのだが、実は繭は芸術家の父親との近親相姦の関係にあった。
物語は羽村だけでなく、繭の友人の相沢友子(持田真樹)と体育教師の新藤徹(赤井英和)、そして相沢をレイプして自分のものにしようとした藤村知樹(京本正樹)の関係も同時に描いていく。
教師と生徒の恋愛にレイプや近親相姦といったショッキングな描写が盛り込まれた本作は、過去の野島作品と比べても過剰に性的な物語だった。
本作と同時期に女子高生がブルセラショップでパンツを売ったり、テレクラで売春(援助交際)を行うといったゴシップ記事が話題となり、やがて90年代後半の女子高生がマーケティングの対象となるコギャルブームへとつながっていった。
そう考えると本作もまた、女子高生を性的に消費することに対する過剰な盛り上がりを見越したトレンディな作品だったと言うこともできるのだが、桜井幸子が演じる繭の異様な存在感(当時、桜井幸子は19歳で年齢的には高校生ではなかった。元々大人びた雰囲気を持つ女優だったが、彼女だけが一人浮き上がって見えるような大人びた存在感は年齢の問題もあるのではないかと思う)もあってか、今見返しても色あせていない。野島ドラマの中では数少ない時代を超えた古典的傑作となっている。白を基調とした映像も素晴らしく、テレビドラマとしてのルックも格段に美しい。
本作は、はじめて野島伸司がTBSの金曜ドラマという名作ドラマ枠で執筆した作品だ。
金曜ドラマは古くは『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』といったテレビドラマの巨匠である脚本家・山田太一がドラマを発表していた場所で、ドラマファンからすると特別なドラマ枠だ。90年代の野島伸司作品以降も堤幸彦演出の『ケイゾク』や宮藤官九郎・脚本の『木更津キャッツアイ』などが放送され、テレビドラマ史に残る作家性の強いドラマの多くはここから生まれてきた。
今までフジテレビで書いてきた野島にとって、金曜ドラマで書けるということはそれだけ名誉なことで、ここで作家として認知されたという面は大きいだろう。
岡田惠和、北川悦吏子、三谷幸喜といったこの時期に頭角を表した脚本家たちは、山田太一や倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家の作品を見て影響を受けた書き手が多い。彼らのドラマは作家性が高く評価されており、シナリオ文学と一部で呼ばれていた。
彼らのシナリオ集は書籍として販売され、脚本家志望の若者に大きな影響を与えた。
そして、1980年に向田邦子が直木賞を受賞したことでドラマ脚本家が作家として評価される機運が高まった後で、彼らのシナリオを読んで世に出てきたのが90年代に活躍した脚本家だ。
野島も無論、その一人だ。彼の群像劇の中に社会性のあるショッキングなテーマを盛り込んでいくというアプローチは、山田太一の『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』の方法論をよりスピーディーかつショッキングなものとして、キャッチーに見せていると言えよう。
しかし、そんなスピード感が、一つ一つのエピソードやモチーフを軽く扱っているように見えてしまう。当時から野島の作風を山田太一や倉本聰といったシナリオ文学以降の流れとして捉える向きはあったが、山田太一のドラマのドラマを熱心に見ていた視聴者ほど、野島に対する評価は厳しかったと記憶している。野島ドラマは高尚な文学として読まれるには、下世話で面白すぎたのだ。
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