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「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。前回に引き続き、ロボットアニメのお約束展開を次々に踏み越えていった『コードギアス』の画期性を分析します。

「家族の物語」を展開した『新世紀エヴァンゲリオン』

 これまで今世紀のロボットアニメについて考察してきたわけですが、『コードギアス 反逆のルルーシュ』にかなりのスペースを割いています。その理由としては、『ガンダム』や『マクロス』のような老舗シリーズを除くと、他の佳作群(『エウレカセブン』『グレンラガン』『ゼーガペイン』etc.)と比べて傑出した点を多く見いだせるということがあります。とりわけ「ロボットアニメ好き」の外に届けた点において、前回考察したようにCLAMPデザインがもたらした効果は無視できません。その上でここからは、『ガンダム』や『マクロス』も含めて、ロボットアニメの歴史の中に再び『コードギアス』を位置付けつつ、このジャンルについての簡単な展望を示してみたいと考えています。
 前回は『スター・ウォーズ』以来の神話構造論を用いたシナリオライティングとの関係で、「ラスボスが父親」というひとつの黄金律がみられること、そしてその黄金律の既視感について簡単に触れました。ここでいう「ラスボス」は、ダース・ベイダーの上に銀河皇帝がいたように、端的な敵組織のボスとして現れるとは限りません。例えば『エヴァンゲリオン』では、主人公のシンジは基本的には「使徒」を殲滅するオペレーションを遂行しており、父親が敵対組織にいるわけではないのですが、人間関係の配置においてはどうみても、シンジは使徒のことは大して気にしておらず、父親との関係性に最後まで固執し続けるような作劇がなされています。父親への苦手意識を克服できるかどうかが作劇のメインとなっており、その意味で父ゲンドウは「ラスボス」となるわけです。物語開始時点で不在の母親に関しても、結果的に「同僚」の綾波レイが母親のイメージを強く身にまとう存在であることが判明することで、非常にわかりやすく「家族関係をめぐる心理的葛藤」が描かれていたわけです。
 『エヴァンゲリオン』の魅力と欠点は、このように閉じた濃密な人間関係に由来しています。私は最初に視聴した時、しばしば精神分析との関係で語られうる「オイディプス・コンプレックス」とのダイレクトな連想、すなわち古代ギリシア悲劇の構造よりは、シンジの「行動不能性」などが目立つので、シェークスピアの『ハムレット』のような近代悲劇に近い「碇ゲンドウ王朝の物語」という印象を持ちました。ネルフは基本的にゲンドウが私物化している組織であるがゆえに、シンジのゲンドウへのこだわりが「はっきり決断しない」鬱陶しさの印象を与えるだけでなく、「こんな環境に中学生が置かれたら病むのは当然だろう」という読解を同時に誘います。つまり、『エヴァンゲリオン』についてはロボットアニメにおける「敵を倒す」構造よりも、家族の葛藤という主題が表に出ているがゆえに、1990年代を席巻していたサイコサスペンス(『羊たちの沈黙』のような)のような受容が可能になり、ふだんロボットアニメに関心を抱かない層にアピールしたのでしょう。しかし、ここには神話的なヒーロー物語の「心理主義化」という大きな代償もありました。精神世界描写の肥大化は、『エヴァ』ぐらいテンションがあればまだしも、後続作では「父に認められたかった」といった安直な説明原理をそのまま展開するものも少なからずあったように思います。


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