本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は、ゼロ年代に起こった『電車男』のヒットとオタクのカジュアル化、そして2011年の東日本大震災がオタクたちの想像力に何をもたらしたのかを読み解きます。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです)
京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第18回「世界の終わり」という想像力の敗北――東日本大震災と『Show must go on』【金曜日配信】
ここまでは、いわゆるセカイ系から日常系への国内アニメのトレンドの変化について解説してきました。そして、これと並行して起こったのが「オタクのメジャー化」です。
『電車男』はみなさん知っていますか?
……だいたい知っているようですね。この作品がブームになったのは2005年頃です。もともと2004年に立てられた、2ちゃんねるのある種のネタスレですね。モテないオタク男性が電車内でのトラブルをきっかけに歳上のリア充女性と知り合いになり、そのことを2ちゃんねる上で書き込んで板の住人たちの応援を受けながら交際にまで発展していったという経緯がリアルタイムで報告され、それが2ちゃんねるの外側でも話題になっていく、という「事件」にまで発展していった。もちろん、どこまでが事実で、どこまでが創作かは分かりません。当時の2ちゃんねるとその周辺は、こうした虚実入り混じった感覚を楽しんでいた側面が大きかったと思います。
そして、この「電車男」というスレッドは書籍化を経て一気にインターネットの外側にも紹介されるようになっていって、翌2005年には映画化・ドラマ化もされ大ヒットしました。
このとき『電車男』はインターネットのオタクカルチャーと、オタクたちのライフスタイルを世間に紹介する機能を負っていたと思います。そしてこのとき主人公の電車男は「不器用でモテないのだけど実は心の優しい男の子」として描かれているわけです。これは幼女連続誘拐殺人事件の頃には絶対に考えられなかったことですね。この時期ようやくオタクというものが差別の対象ではなく、単にありがちなキャラのひとつとして世間で受け入れられるようになり、マンガやアニメがカジュアルなインドア系の趣味のひとつとして市民権を得たと言えるでしょう。『エヴァ』以降の第三次アニメブームを経てオタクという存在が量的に拡大していった結果として、メジャーなものになっていった。その結果、アニメというものの中心が、「ここではない、どこか」のロマンを描くことではなく、「いま、ここ」の理想を描くことへと変わっていったわけです。それがセカイ系から日常系への流れでもあり、涼宮ハルヒが素直になっていく過程でもあるんですね。
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毎日、読ませていただいております。Kindleで読めたらいいのにな、とおもいます。