マル激!メールマガジン 2016年2月17日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド 第775回(2016年2月13日)
日本では政治家に放送の政治的公平性を判断させるのか
ゲスト:鈴木秀美氏(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授)
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日本は他の民主主義の国々と同様に、憲法で表現の自由を保障している。だから、代表的な言論機関の一つである放送にも、政府や政治権力が介入することは憲法違反であり、あってはならない。しかし、世論に絶大な影響力を持つ放送事業者には真実性や公平性、公共性に対する一定の縛りがあって然るべきだろう。そこで他の先進国では、まずは放送事業者に自律的に自らの放送内容の真実性や公平性に責任を持たせた上で、それに対して市民が不断の監視を行える仕組みを工夫して作っている。
しかし、日本はそのような制度を作ることができていない。結果として、放送は政府の監督下に置かれている。そして安倍政権になり、いよいよ放送への介入が強まっている。高市早苗総務相が,2月8日の衆議院の予算委員会で条件付きながら「停波」にまで踏み込んだ発言を行い、政府は単一の番組の中で一定の中立性が保たれなければならないとする統一見解を打ち出した。
そもそも安倍政権による一連の放送への介入の背景には、放送法の解釈に対する根本的な誤解があるようだ。日本は憲法第21条で表現の自由を保障している。それは政府が個人の表現の自由を犯すような法律を作ったり、そのような権力の行使をしてはならないことが定められているということだ。そして、その憲法の下に放送法が存在する。
放送法には第4条に「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などの記述がある。これを憲法第21条や放送法の1条、3条を前提に読めば、それが、放送局が自律的に担保しなければならない「倫理規定」であることは明白だが、憲法やそれ以前の条文の存在を無視して、4条だけを単独で読めば、放送局には政治的な公平性が求められており、政府はそれを前提に放送局に対して一定の強制力を持つと解することができると、政府は主張する。
慶應義塾大学教授で、放送法などメディア法に詳しいゲストの鈴木秀美氏によると、放送法4条は法律の制定当初からつい最近までは倫理規定と解されていた。しかし、世論に対するテレビの影響力が強くなるのに呼応して、1990年代になってから、郵政省(現総務省)は放送法4条には法規範性、つまり強制力があるとする解釈を打ち出すようになり、放送局に対する行政指導が行われるようになった。その一方的な解釈に基づいて、今回、総務大臣がいよいよ究極的な権力の行使ともいうべき「停波」にまで踏み込んだことになる。
一方で、放送局の側にも問題は多い。多くの特権を享受し、政府と持ちつもたれつの関係に甘んじる中で、美味しい汁を啜ってきた。いざ権力が牙をむき出しにしてきた時、ぬるま湯体質にどっぷりと漬かった放送局には、権力と真向から喧嘩をする気概も力量もないというのが現状だろう。しかし、電波はそもそも国民共有の資産であり政府の所有物ではない。また、その貴重にして希少な資産を使って行われる放送事業は、国民の公共の利益に資する目的で営まれるべきであり、放送事業者という個々の私企業の利益のためでもなければ、ましてや特定の政治権力のために使われていいはずがない。
高市発言によってより鮮明になった政権の放送への介入問題と、公平な放送をいかに実現していくべきかなどについて、ゲストの鈴木秀美氏とともにジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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今週の論点
・安倍首相の言い分は「ちゃんちゃらおかしい」
・電波法による停波は「倫理規定」である
・日本に独立放送委員会(FCC)があっても機能しない
・戦う姿勢のない、骨抜きのメディア
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■安倍首相の言い分は「ちゃんちゃらおかしい」
神保: 今回のテーマは、これまで何度もやってきた放送や言論についてです。不倫による議員辞職という前代未聞の問題に関心が集まってしまいましたが、高市早苗総務相が、条件付きながら「停波」にまで踏み込んだ発言を行いました。放送法の中に手を突っ込むという行為は、安倍政権の中の一貫した方向性ではあるのだけれど、明らかに次元がステップアップしている。少し皮肉な言い方をすれば、宮崎元議員はそうしたものから目を逸らせるという、自民党にとって大きな功績を挙げました。
宮台: 宮崎議員の問題などどうでもいいから、もっと大事なことを議論しよう、ということにならなければなりません。一部の人はなっていると思いますが。
神保: 日本は放送局と新聞が系列化してしまっているから、放送の問題は結局、新聞にもかかわる。しかも新聞は今回、軽減税率などで政府にいろいろとお世話になってるので、かなり言論が危うい状況にある可能性があります。そうしたなかで、この問題はもう一度きちんと整理しておく必要があるでしょう。一方で、「放送局もこのままでいいのか」という声も出てきています。放送の内容の低俗化、偏りを感じている人もいる。つまり、単に現政権の解釈が間違っていると指摘するだけではあまり意味がないと思うのです。
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