マル激!メールマガジン 2015年7月29日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド 第746回(2015年7月25日)
ドイツが許されて日本が許されない本当の理由
ゲスト:石田勇治氏(東京大学大学院教授)
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戦後70年を迎えるにあたり、安倍首相は「戦後70年談話」を発表する意向を示しているが、相変わらず「謝罪の有無」や「反省の表現のあり方」などが問題となっている。首相の私的諮問機関である21世紀構想懇談会からは、謝罪にこだわるよりも未来志向をといった考えが示されているようだが、「おわび」の有無をめぐる論争は避けて通れそうもない。
一方、日本と同じ枢軸国として先の大戦を戦い、暴れるだけ大暴れした挙げ句に無条件降伏をしたドイツは、今年5月に一足早く戦後70年を迎えているが、そこでおわびや反省が問題になったという話はついぞ聞かない。この70年の間に見事にその過去を克服し、国際社会から信頼を勝ち取ることに成功しているように見える。
ドイツの近現代史やジェノサイド問題に詳しい東京大学教授の石田勇治氏は、ドイツの過去の克服の道程は、決して順風満帆にして平坦なものではなかったという。むしろドイツも日本と似たような、過去に対する反省と忘却や自己正当化の間を揺れ動きながら、紆余曲折を経て、今日の信頼を勝ち得るまでに至ったのだという。それはナチズムを全面的な否定するとともに、その被害を補償し、ナチの蛮行に加担した人物を徹底的に司法訴追することによって初めて達成されたものだったと石田氏は指摘する。
翻って日本の戦後70年間はどうだっただろうか。1971年のドイツ統一百周年に際した演説でハイネマン大統領が「ビスマルクからアウシュビッツ収容所」に至るドイツの近代史を反省的に振り返ったのとほぼ同じ頃、日本では当時の佐藤栄作首相が明治百年奉祝式典で日本の歴史を振り返る式辞を述べているが、その中には侵略戦争を反省する言葉はなかったと石田氏は言う。また、戦後40年にあたる1985年には、西ドイツのワイツゼッカー大統領が有名な荒野の40年演説の中で「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」と演説して世界から注目を集めたのに対し、日本では同年8月15日に中曽根首相がA級戦犯が合祀されて以来初めて、靖国神社に公式参拝を行っている。日本の「過去の克服」のための努力は、ドイツのそれと比べた時に大いに見劣りすることは否めない。
戦後70年を迎えるにあたり、国際的な信用と信頼を勝ち得るために今、日本は何をしなければならないか。ゲストの石田勇治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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今週の論点
・ドイツの戦後処理が高く評価されているのは、昔からのことではない
・ドイツの「過去の克服」に向けた、苦闘の歴史
・ドイツと日本では、研究の厚みがまったく違う
・多額の戦後処理費を支払いながら、日本が謝罪し続けなければならない理由
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