桜井昌司氏:布川”冤罪”事件の悲劇を繰り返さないために
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マル激!メールマガジン 2021年12月8日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/)
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1078回)
布川”冤罪”事件の悲劇を繰り返さないために
ゲスト:桜井昌司氏(布川事件元被告人・冤罪被害者)
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冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、その間に失われた時間は二度と取り戻せない。
桜井昌司氏はまさに画に描いたような冤罪事件の被害者だ。
齢74歳になる桜井氏は1967年、彼が20歳の時に突如逮捕され、捜査当局による嘘や改ざん、隠蔽などによって茨城県の布川で起きた殺人の自白に追い込まれた結果、20歳から49歳までの29年間、刑務所に入れられ自由を奪われることとなった。 いわゆる布川事件だ。
桜井氏は当初窃盗の容疑で逮捕された。本人の弁を借りれば、実際に窃盗には身に覚えがあったので、警察に逮捕された時は罪を認める覚悟をしていたが、殺人については桜井氏にはアリバイがあった。被害者が殺害されたとされる時刻、彼は東京の兄の家にいたのだ。
しかし、警察は桜井氏の兄が、「その日は弟は来ていないと言っているぞ」という嘘の供述を桜井氏に示した上で、警察署内の代用監獄における長時間の厳しい取り調べと、ありとあらゆる嘘や強要、誤導の限りを尽くし、共犯者と見做された杉山卓男氏とともに、桜井氏をやってもいない罪の自白に追い込んでしまう。無論、桜井氏は公判で否認に転じたが、裁判では捜査段階での自白の任意性や具体性、信頼性などが認められ、桜井氏は杉山氏とともに無期懲役の判決を受けた。
警察、検察は自分たちが描いたストーリーに沿って桜井、杉山両氏を自白させた上で、そのストーリーに沿った目撃証言などを用意したが、最終的にはこの事件では両氏の犯行を裏付ける物証は何もなく、事実上捜査段階での自白だけが有罪の決め手となった。いや、実際には数々の物証は存在したが、いずれの物証も両氏の犯行を裏付けていなかった。
結局、桜井氏は杉山氏とともに最初の逮捕から29年間、服役した後、模範囚ということで1996年に仮釈放された。しかし、氏は自身の潔白を訴え服役中も支援者に手紙を書き続けた結果、徐々に支援者の輪が拡がり、氏の釈放から5年後の2001年、遂に2度目の再審請求でこの事件の再審が認められる。
再審の決め手となったのは、桜井氏を支援する弁護団が検察にこれまで開示されていない証拠の開示を求め続けた結果、いくつかの決定的な証拠が新たに開示されたことだった。新たに開示された桜井氏の自白を録音したテープを鑑定した結果、13箇所の編集・改ざんの痕跡があることがわかったほか、自白内容と検死報告書では殺害方法が異なっているなど、実に初歩的なレベルで両氏の犯行を否定する証拠が次々と見つかった。警察と検察は、それを何十年もの間、隠していたのだ。
そもそも唯一の証拠となった自白の任意性が揺らぎ、その他の間接的な証拠も嘘や偽計に基づいて得られたものであることが明らかになったのだから、両氏が無罪になるのは当たり前だった。桜井・杉山両氏の犯行を裏付ける証拠など最初から存在しなかったのだ。
桜井氏が受けた不当な逮捕と強要された自白や捏造された証拠に基づく有罪判決、そしてその後の29年に及ぶ懲役に対しては、金銭的には補償が行われることになった。しかし、桜井氏が失った29年間の自由と、桜井氏やその家族が44年間背負い続けた「殺人犯」というレッテルの重荷は、いかなる形でも取り戻すことはできない。服役中だった桜井氏は両親を看取ることもできなかった。
布川事件の再審無罪決定と相前後して、足利事件、氷見事件、志布志事件、そして村木厚子さんの郵便不正事件などで次々と衝撃的な冤罪が明らかになったことを受けて、公訴権を独占する上に、密室の取り調べが許される検察の暴走が冤罪を生んでいるとの批判が起こり、2009年に民主党政権下で刑事訴訟制度の改正論議が始まった。しかしその後、政権が自民党に戻る中、一連の制度改正論議の結果として行われた2016年の刑事訴訟法の改正では、むしろ検察の権限が大幅に拡大されるという信じられないような展開を見せている。
冤罪事件の直後にはメディア上でも刑事訴訟制度への批判的な論説が多少は散見されるが、捜査機関から日々リーク情報をもらわなければ仕事が成り立たない記者クラブメディアは、基本的には警察、検察とは共犯関係にある。メディアが冤罪と隣り合わせにある自白偏重の人質司法制度にぶら下がっている限り、この問題が良い方向へ向かう可能性はほとんど期待できない。
今週は戦後の冤罪事件史の中でも最悪の部類に数えられる布川”冤罪”事件の当事者である桜井昌司氏に、なぜやってもいない犯行を自白してしまったのか、その自白の結果、自身のその後の人生がどのようなものになってしまったのか、44年もの間、諦めることなく自身の潔白を訴え続ける力はどこから湧いてきたのかなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。
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今週の論点
・「正義が守られている」という錯覚への怒り
・拷問というべき取り調べの実態
・冤罪の可能性を手元に置いておきたい、日本の司法
・お笑いでしかない、刑事訴訟法の改正
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■「正義が守られている」という錯覚への怒り
神保: 今回は我々が何度も取り上げてきたテーマの一環ですが、相変わらずの司法の問題を真正面から取り上げたいと考えています。冒頭で、宮台さんの方から何かありますか?
宮台: この後は『水俣曼荼羅』という映画についてのトークをするのですが、司法の問題も基本構造はよく似ています。昔の厚生省、あるいはある時期以降の環境庁、あるいは熊本大学の医学部の医者たちも、基本的に一度踏み込んだ道は戻れず、無謬原則で前に進む。水俣の場合は、そのもとで何万人という規模の人が苦しむような状態になりました。
それでもメンツ、あるいは組織のなかのポジションにこだわり、後に引き返せないんです。これは日本人の劣等性と言ってもいいかもしれないが、他の国では考えられないような組織へのしがみつきや依存が起こり、その結果、正義や真実は徹底的に蔑ろにされる。あらゆる場面でそれが繰り返されるのは、日本人には、どんな問題があっても貫徹する規範、価値観がないからです。だから、その場の状況に適応してしまう。
神保: その結果として、例えば実際に罪を犯していない人が何十年も懲役を受け、場合によっては処刑されてしまっているケースもあるかもしれず、その状況はいまも続いています。今回はそうしたなかで実際に起きた冤罪事件の当事者、本当に大変な思いをされたご本人にお越しいただきました。布川冤罪事件の元被告人、桜井昌司さんです。
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