元ジャーナリスト上杉隆氏のブロマガを担当しているライターの斎藤です。先日アルジェリアで起きたテロ事件では、日本人を含む人質多数が死亡する痛ましい結果となりました。その際、政府が公表を控えている段階で、朝日新聞が人質となった可能性のある人物の実名を報道したことは、この人物の親族を名乗る方がネット上で強く抗議したこともあり、大きな波紋を巻き起こしました。その影響は朝日新聞だけでなく、他の報道機関にも及び、実名報道の是非についての議論が活発に交わされることになりました。この事件について上杉氏に直撃インタビューを実施してきました。以下は、そのやり取りの内容です。

――大前提として実名報道そのものに関する上杉氏の考えをお聞かせください。賛成ですか?反対ですか?

上杉:実名報道自体は賛成です。実名を出すこと自体を責めている人もいるが、実名でなければわからないことはある。もちろん報道される一部には、載せる必要のない情報もあります。しかし、「名前」そのものは載せるのがむしろ当たり前だという認識です。海外で危険のあるなかでも、仕事をしている人がいる。そこで働いている人を記号にしないためには、「名前」というものが必要だと考えます。

――ですが、政府も襲撃されたプラントを開設し、多数の社員が人質となった日揮も、氏名は公表しない意向を示していました。それでも実名報道はするべきなのでしょうか。

上杉:もし仮に、私が政府担当者であったなら、実名を公表していたと思います。ですが同時に、今回の政府や日揮側の対応に関しては、批判されるべきものではないと思っています。政府はきちんと情報が確定するまでは、情報を明らかにしないという立場だったと思いますし、日揮側は他の従業員の安全面を考慮した上での非公表という結論だったのでしょうから。私は賛同できないけれども、政治的判断、そして経営的判断として尊重するべきものだと思います。

――ということは、今回の実名報道自体は間違っていないと?

上杉:それは違います。みなさん問題を混同してしまいがちですが、人質の関係者の話が事実だとすると、今回、朝日新聞の記者が実名を報道したのは間違っています。ただ、問題は実名報道そのものではなく、その情報を入手した取材方法にあるんです。朝日の記者は関係者に「実名を公表しない」という約束で情報を入手しました。にも関わらず、同意なしに公表してしまった。しかも、誰から情報を得たのかがわかってしまうようなやり方で。これは情報源の秘匿というジャーナリズムの根底に関わる問題。報道には実名が必要だ、という主張は私も同意しますが、そのために取材した人との約束を反故にするというのでは、守るべきポイントを間違えている。ウォーターゲート事件を思い出してください。記者は情報提供者の名前を本人が名乗り出るまで、30年も守り通している。私自身もさまざまな取材活動を行っていますし、その中でいろんな批判にさらされることもあります。そんな時、情報源を明らかにすることで批判をかわせるとしても、それをしてはいけないし、やったことは一度もありません。ジャーナリズムとはそういうものです。

――ジャーナリズムの根底にあるものが、なぜ今回は守られなかったのでしょう。

上杉:いつも指摘していることですが、一番大きな要因は「記者クラブ」というシステムにあります。海外では「自らの名前」で取材をし、記事にするときも署名することで内容に対する責任を明確にしています。しかし、日本のマスコミは会社の名前で取材活動し、「記者クラブ」で横並びに情報を得ることに慣れている。記事に対して、自ら責任を取ると言う意識がないし、その権限もありません。今回朝日の記者は当初実名を伏せる方針だったところ、上司に言われて出さざるを得なかったという話も聞いています。そういう組織になっている時点で、起こるべくして起こった事件と言える。今回の事件は特に目立っていますが、こうしたやり取りはマスコミでは日常的に起こっています。これを無くすためにも、記者個人の責任を明確にし、「記者クラブ」を廃止して、新しい組織を構築していく必要があるでしょう。