ハフポスト日本版がジャーナリズムではなく、単なるメディアを目指しているのならば、私たちは何も言うべきことはないだろう。

5月7日のトップ記事をみると、ハフポスト日本版の哀しい方針が見える。

〈安倍首相、ハフィントンポスト参加へ

安倍晋三首相がハフィントンポスト日本版にブロガーとして参加することが5月9日、決まりました。

安倍首相は同日午後、ハフィントンポスト米国本国版の創立者のアリアナ・ハフィントンと首相官邸で会談。日本が抱える様々な問題について議論を重ねた結果、ブロガー参加を快諾しました〉

安倍首相がブロガーとして寄稿する。そのことが問題とするのではない。元祖ハフポストも確かにそうやって大きくなってきた。

だが、まだカテゴリータグが4つしか存在せず(政治・経済・国際・社会)、執筆者も「ブロゴス」や「ヤフーニュース」と変わり映えのない人々を並べているだけの新鮮なはずのニュースサイトが、現職の最高権力者の投稿を嬉々として喧伝しているセンスを、私はどうしても理解できない。

ハフポストは、その設立からしてすでにジャーナリズム精神を捨ててしまったと誤解されてもいいのだろうか。