『自分を正しく知ることで 無理をする必要もなくなり 本当の自分と外面のギャップもなくなり、常に純粋、素直な状態でいられるようになります。』←この部分、すっごく同意します。 10代の頃は、なかなか自分の弱さを見ても、受け入れられず、向き合う事もできなくて、強く見せようと色んな鎧を身につけました。 弱さを隠すために。 見栄、強がり、自分をよく見せるための嘘、傷つけた相手を従わせるための巧みな言葉。 ホントに嫌な奴でした。 でも、どれほど身につけ鎧でガチガチに塗り固めても、弱い自分を救う事も、守ることも、周りに理解してもらうこともできませんでした。 虚しく、寂しく、傷を深めるだけでした。 そんな自分が嫌な奴にしか思えず、自分を嫌いになっていきました。 当たり前ですよね。 そんな鎧でガチガチに固めた人を、周りも自分も好きになれるわけがない。理解できるわけがない。 ある時、そんな醜い部分を持った自分を受け入れる事もできず、さらに塗り固めようとする自分を、もう一人の自分が客観的にみていて、 「お前にゃうんざりだ。何がホントの気持ちなのかわかんない。」と言い出したんです。 それからは、自己否定の日々でした。 でも、それは気づき始めた第一歩でした。 醜い感情だらけの自分、鎧だらけの自分と向き合い、ひとつひとつ鎧を脱いでいきました。 すごく怖かったけど、脱いで行ったら、徐々に周りからも理解され始めたんです。 同時に、自分自身でも気付き始めました。 何に傷付いたのか、何を伝えたかったのかを。 そうか! 鎧を脱いで、弱さも悲しみも、素直に見せて、ありのままの自分で向き合えばいいんだ。 もちろん、ありのままを晒す事によって、色んな傷を負うこともありました。 離れていく人もいました。 でも、もう鎧だらけで、もがいていた頃の自分には戻りたくなかった。 だから、ひとつひとつ鎧を脱いで行ったんです。 ふと気付くと、私の周りには、弱い私も、傷つきやすい私も、全て受け止め、そばにいてくれるホントの仲間がいました。 ああ、何かにならなくていいんだ。 見栄なんて張らなくても、強がらなくても、ありのままの自分でいいんだ。 そう気付いたら心が軽くなり、より自分らしくいられるようになりました。 弱さと向き合い、ホントの自分と出会い、ありのままでいる事の大切さと強さを知りました。 それからというもの、私はどんな人と向き合う時も、無理をする事なく、見栄を張ることもなく、ありのままの自分で接するようになりました。 自分の心と向き合う時もありのままの自分を見つめ、受け入れられるようになりました。 自分の事が少し好きになれました。 心に嘘偽りなく、ありのままの自分で居続けたら、表面だけの付き合いを好む人は離れていき、 似たような魂を持った人が自分の周りに自然と集まって来るようになりました。 自分らしくいれる仲間と過ごす時間はとても濃厚であり、心地よいです。 私の中にいる『強い子』は、もしかしたら、このありのままでいる自分なのかもしれません。 私の中の『弱い子』は、 ①すぐ泣きます。人の悲しみや痛みに敏感で、それを知ると、自分がその悲しみの中にいるかのようにワンワン泣きます。 そして、人の喜ぶ姿を見るのが大好きでしょうがない子です。 ②すぐ自信をなくして自分を責めもす。 ③自信が無いため、人からの評価を気にして、イイコで居ようとします。 そして、すぐ、私は必要とされてる存在?と問いかけます。 そんな弱い子を認め、励まし、時には叱り、時には大丈夫だ!貴方は貴方のままでいいじゃないか! と言って、支えているのは、『強い子』なのかもしれません。 ただ、たまに『強い子』が『弱い子』の負のパワーに負けてしまう事もあり、 そう考えると『強い子』が、まだ成長している途中なのかもしれませんね。 まだまだ、これからも色んな事が起こるでしょうし、そのたびに学ぶ事ばかりだと思いますが、自分の弱さがくれた宝物を大切にして歩いていきます! 『自分を正しく知ることで 無理をする必要もなくなり 本当の自分と外面のギャップもなくなり、常に純粋、素直な状態でいられるようになります。』 この言葉を、もう一度胸に刻みます。 津田さん、素晴らしいブロマガをありがとうございます! とても勇気付けられました。
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『自分を正しく知ることで
無理をする必要もなくなり
本当の自分と外面のギャップもなくなり、常に純粋、素直な状態でいられるようになります。』←この部分、すっごく同意します。
10代の頃は、なかなか自分の弱さを見ても、受け入れられず、向き合う事もできなくて、強く見せようと色んな鎧を身につけました。
弱さを隠すために。
見栄、強がり、自分をよく見せるための嘘、傷つけた相手を従わせるための巧みな言葉。
ホントに嫌な奴でした。
でも、どれほど身につけ鎧でガチガチに塗り固めても、弱い自分を救う事も、守ることも、周りに理解してもらうこともできませんでした。
虚しく、寂しく、傷を深めるだけでした。
そんな自分が嫌な奴にしか思えず、自分を嫌いになっていきました。
当たり前ですよね。
そんな鎧でガチガチに固めた人を、周りも自分も好きになれるわけがない。理解できるわけがない。
ある時、そんな醜い部分を持った自分を受け入れる事もできず、さらに塗り固めようとする自分を、もう一人の自分が客観的にみていて、
「お前にゃうんざりだ。何がホントの気持ちなのかわかんない。」と言い出したんです。
それからは、自己否定の日々でした。
でも、それは気づき始めた第一歩でした。
醜い感情だらけの自分、鎧だらけの自分と向き合い、ひとつひとつ鎧を脱いでいきました。
すごく怖かったけど、脱いで行ったら、徐々に周りからも理解され始めたんです。
同時に、自分自身でも気付き始めました。
何に傷付いたのか、何を伝えたかったのかを。
そうか!
鎧を脱いで、弱さも悲しみも、素直に見せて、ありのままの自分で向き合えばいいんだ。
もちろん、ありのままを晒す事によって、色んな傷を負うこともありました。
離れていく人もいました。
でも、もう鎧だらけで、もがいていた頃の自分には戻りたくなかった。
だから、ひとつひとつ鎧を脱いで行ったんです。
ふと気付くと、私の周りには、弱い私も、傷つきやすい私も、全て受け止め、そばにいてくれるホントの仲間がいました。
ああ、何かにならなくていいんだ。
見栄なんて張らなくても、強がらなくても、ありのままの自分でいいんだ。
そう気付いたら心が軽くなり、より自分らしくいられるようになりました。
弱さと向き合い、ホントの自分と出会い、ありのままでいる事の大切さと強さを知りました。
それからというもの、私はどんな人と向き合う時も、無理をする事なく、見栄を張ることもなく、ありのままの自分で接するようになりました。
自分の心と向き合う時もありのままの自分を見つめ、受け入れられるようになりました。
自分の事が少し好きになれました。
心に嘘偽りなく、ありのままの自分で居続けたら、表面だけの付き合いを好む人は離れていき、
似たような魂を持った人が自分の周りに自然と集まって来るようになりました。
自分らしくいれる仲間と過ごす時間はとても濃厚であり、心地よいです。
私の中にいる『強い子』は、もしかしたら、このありのままでいる自分なのかもしれません。
私の中の『弱い子』は、
①すぐ泣きます。人の悲しみや痛みに敏感で、それを知ると、自分がその悲しみの中にいるかのようにワンワン泣きます。
そして、人の喜ぶ姿を見るのが大好きでしょうがない子です。
②すぐ自信をなくして自分を責めもす。
③自信が無いため、人からの評価を気にして、イイコで居ようとします。
そして、すぐ、私は必要とされてる存在?と問いかけます。
そんな弱い子を認め、励まし、時には叱り、時には大丈夫だ!貴方は貴方のままでいいじゃないか!
と言って、支えているのは、『強い子』なのかもしれません。
ただ、たまに『強い子』が『弱い子』の負のパワーに負けてしまう事もあり、
そう考えると『強い子』が、まだ成長している途中なのかもしれませんね。
まだまだ、これからも色んな事が起こるでしょうし、そのたびに学ぶ事ばかりだと思いますが、自分の弱さがくれた宝物を大切にして歩いていきます!
『自分を正しく知ることで
無理をする必要もなくなり
本当の自分と外面のギャップもなくなり、常に純粋、素直な状態でいられるようになります。』
この言葉を、もう一度胸に刻みます。
津田さん、素晴らしいブロマガをありがとうございます!
とても勇気付けられました。