このところ、「Innocent Eyes」小冊子製本のために、このブロマガの原稿1年分と触れている。
 
 おそらくXファンの皆さんもそうだと思うけれど、この1年にわたる自分自身の人生があって、Xにまつわる活動(※注  以下「Xの活動」と表記)があって、そのシンクロするところに様々な想い出を創りながら、それぞれの人生を生きているわけだ。
 
 Xの活動と自身の人生の関わりかたもシンクロのしかたも、それぞれだと思うけれど、Xの活動が人生に何らかの「豊かな彩り」を加えてくれていることは共通していると思う。
 
 僕の場合、自分の人生とXのクロスする部分となると、1988年から1993年までメンバーと共に作品を創り、全国を駆け回った、というところがやはり大きい。



 ちょうど今回原稿に触れている「Innocent Eyes 02」の内容が、昨年秋の「紅に染まった夜」からなので、そこから最近までの1年間にわたるXの活動を見つめる僕の視点は、やはり過去、つまり30年前の記憶が土台になっているところに特徴があり、そこがとても重要でもある。

 そしてその記憶を土台にしながら今のXの活動を見つめ、そんな僕だからこそ見えてくる発見について書き続けているのが、このブロマガ「Innocent Eyes」ということになるわけだ。

 だからその文章を振り返ると、僕の視点による「Xという物語」にとっての1年間の本質が、わかりやすく浮かび上がってくる。

 ちょうどXに関するブロマガを書き始めた2014年のマディソン・スクエア・ガーデン公演から始まった、僕にとって非常に重要なイメージである「輝く未来」。

 その「輝く未来」を、きちんと目の前で見ることのできる深い幸せが、まさに「実りの秋」という感じで成熟し、安定した1年間・・・というのが、僕の視点によるこの1年間の実感だ。

 その「輝く未来」を見ることのできる幸せは、映画『WE ARE X』からとてもわかりやすいものになり、続いてウェンブリー・アリーナ公演の成功、その後にYOSHIKIの首の手術があり、続いて「Acoustic Special Miracle〜奇跡の夜〜 6DAYS」が行われ、Zepp DiverCityでYOSHIKIがドラムスへ完全復活した後の「Coachella 2018」で、海外での非常に高い評価を得た後、幕張メッセで行われたのが、また新たな伝説を生み出した「紅に染まった夜」だ。

 その、久しぶりとなったXとしての完全版とも言える大会場でのライブを観た日に、僕は「輝く未来」がもう目の前で現実として始まっていることを実感した。


 
 つまり今回、小冊子化のために僕が触れているのは「輝く未来」の始まり・・・という、僕が『ブロマガを書き始めた頃に夢見たことが現実となった様子』を書いていることになる。
 
 もちろん、これはXというバンドやリーダーYOSHIKIの、人間性とその本質を知っている僕の実感からくるものであって、現実としては、まだアルバムはリリースされていないし、Xの海外進出がメンバーの望む通りに無事成功した、と解釈しているわけでもない。
 
 けれど、「輝く未来」が始まっていることは、毎日のように飛び込んでくるニュースによって、僕の中では確信となっている。
 
 またその確信は、実際にYOSHIKIと会って話すことで、より深まっていった。

 いや、YOSHIKI本人だけではない。
 
 ライブ会場で出会い、会話を交わすスタッフの言葉や表情からも、その確信を深めることができた。
 
 その感覚は、やはり僕が過去彼らと同じように、YOSHIKIのそばにいてあらゆるスタッフと接していた経験から得るものだった。
 
 それは言い換えれば、30年前に5人のメンバーと共に命懸けで未来を創っていた僕が、まさに夢にまで見たような状況だった。
 
 目に見える実績ではなく、目に見えないけれど心でしっかりと感じ取ることのできる、内面の輝きと、その輝きが世界中のファンとシンクロし、まだXを見知らぬ人たちにも、これからごく自然に、とても滑らかにその魅力が伝わっていく・・・そんな輝きに満ちたとても幸せな状況だ。
 
 そこにはもう、酷い苦しみや悲しみに満ちた痛みはない。