リリースされてから、タイミングがあるたびにToshlの新しいアルバム「IM A SINGER VOL.2」を聴いている。

 この感想は変化球的なのかも知れないけれど、僕にとっては前回のアルバム同様、聴いていてとても安心感がある。
 
 それはやはり「TOSHIの声だから」なのだと思う。
 
 以前も別の記事で「どんなに混雑した街中でも、有線などでTOSHI(Toshl)の声が遠くに聞こえると耳がすぐに検知する」と書いたけれど、たとえアルバムとしては3作品でも、命を賭けレコーディングでTOSHIの声を全曲レコーディングしたことの意味とは、そういうものなのかも知れない。
 
 しかも、収録されている作品がひたすら心地よいメロディーの曲ばかりなので、とてもリラックスしながら美しいメロディーに身を委ねることができる。
 
 それにしてもいつも思うのだけど、Toshlの歌は圧倒的に「音楽そのもの」だ。
 
 妙な日本語だけれど、どういう意味かというと、それぞれの作品を生み出した作曲家がアルバムに収録された歌を聴いた場合、それがオリジナルの歌手ではなくても大変嬉しく、安心して聴け、その歌唱に感謝することだろう・・・という意味だ。
 
 つまり作者が大切に生み出した作品のメロディーや歌詞、そしてその作品に込めた大切な「心」のようなものを、Toshlはとても丁寧に、きちんと表現してくれているのだ。
 
 そしてその背景には、Toshlがその作品へとても深い愛情を込めていること、その作品に強く感動していること、この二つが揺るぎなく存在している。
 
 さらにもうひとつ、Toshlのアルバムが他のカバーアルバムに比べて突出している魅力がある。
 
 それは、誰が聴いてもToshlだとわかる歌唱、つまり世界のX JAPANとしてU2のボノにも負けない迫力と美しさで聴く人を魅了するパワーに溢れた歌声と、個性がみなぎるその声が、聴く人の心をしっかりと掴む一方で、Toshlは先に書いたように、作品を生み出した作者の意図をきちんと汲み取り、それをピュアに伝えるような表現を常にする。
 
 つまり圧倒的な個性がきちんとありながら、いや、あるからこそ「僕の歌唱を聴いて・・・」といった自己表現が皆無なのだ。
 
 その歌唱は僕のよく使う表現だと「自動運転」で、そこに無用な解釈や表現はない。
 
 Toshlはただただ、その作品の素晴らしさに心を委ね、感動しながら素直にそのまま歌っているのだ。
 
 だから「マスカレイド」や「CRYSTAL MEMORIES」といったオリジナル曲もカバー曲も、同じように心地よく聴くことができる。
 
 
 
 さて、普遍的なことは一旦横に置いて、個人としての感想を少し。

 アルバムを最初に曲順通りに聴いた時、まず僕が驚いたのは「メモリー」だ。

 始まりの部分。
 
 優しくて繊細で、驚くほどピュアな声と表現。
 
 そして、歌がうまくない歌手も皆、音声編集ソフトでぴったりのピッチに補正されている偽物だらけのJ Popとは一線を画す、僅かに揺れながらむしろそこにメロディーや歌詞の奥深さを感じ取ることのできる、あまりにも自然な「生」な声と歌唱。
 
 後半には、とても高いToshlの歌声と低く支えるToshlの声のハーモニー。
 
 この表現は、個人的に素晴らしいと思った。