『ぼくらの七日間戦争』の映画監督 菅原浩志のメルマガ

映画監督 菅原浩志のメルマガ №2  「新人監督の話」/「シュワルツェネッガーの話」/他

2012/09/20 17:00 投稿

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前回の「映画監督 菅原浩志のメルマガ№1」を読んでいただき、
ありがとうございました。
より多くの方に知っていただくため、
前回、今回と無料で読んでいただく部分を多く致しました。
次回9/30配信分からは有料会員様向けに戻させていただきますが、
是非、今後ともよろしくお願いします。


今回は、前回の監督スタイルに続き、
新人監督の話。

【THE ROAD TO 映画監督】

「誰でも新人監督から始まる」

そう、世界の黒澤明監督でも、第一回監督作品があり、
全ての監督は新人監督の経験がある。

新人監督でも、映画俳優から監督になろうとした人の話。
「シルバラード」「アンタッチャブル」「追いつめられて」
そして、「フィールド・オブ・ドリームス」の主役を務めた
ケブン・コスナーが、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の監督を志した時、
彼が所属するエージェントで、直接彼の話を聞くことが出来た。

「自分は映画俳優としては、認められているが、
映画監督としては、全く認められてなく、
たった50ドルの価値しかない」

映画監督としての経験が全く無く、全くの未知数で、
映画会社も、彼が監督する作品のクオリティを予測出来ず、
彼は、作りたかった「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の製作費を集めるのに、
非常に苦労していると、嘆いていた。

映画監督の経験がなく、どうやって映画監督になるのか?
俳優として実績があるケブン・コスナーですら、
監督になるのに苦労していたのである。

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監督志望ではなかったが、同じ役者の話。

多くのアメリカの俳優が所属しているエージェントで、
アーノルド・シュワルツェネッガーと話す機会があった。
彼が未だカリフォルニア州知事になる随分前で、
「コナン・ザ・グレート」に出演し、
「ターミネーター」で悪役を務めていたころである。

彼は、オーストリア出身のボディービルダー。
芝居の経験もなく、英語は訛りが強く、決して流暢でないにも拘らず、
彼はアメリカ映画界で、活躍していた。
何故、彼はアメリカ映画で活躍できたのか?
ボディービルで鍛えた肉体が売り?
独特の風貌が、悪役に抜擢された?
アメリカ映画界での彼の成功の秘訣を聞いてみたかった。

彼は、あの独特の英語で答えた。
「目の前に来たチャンスを掴んだだけさ。
 殆どの人は、目の前にチャンスが来たら、
それから準備するけど、
 自分は、身体を鍛え、精神も統一して、
 チャンスが来るのをじっと待っていて、
来た瞬間、捕まえただけさ」

いつ来るかも分からないチャンスを、
身も心も準備して待ち続けたアーノルド・シュワルツェネッガーに、
感心したのを覚えている。

私事になるが、監督デビュー作が「ぼくらの七日間戦争」。
当時、日本で映画監督に成れるのは、
助監督として経験を積んだ人々。
私には、助監督の経験が無かった。
あるのは、映画プロデューサーとしての経験。
私の最初のプロデュース作品が「里見八犬伝」。

当時、映画監督志望であった私に、
会社の社長が言った。
「映画監督は、シナリオが出来上がってから指名され、
 作品が出来上がったら、それで終わりだ。
 それに比べ、映画プロデューサーは、
 映画の企画を考え、監督を指名し、
 作品が出来上がった後、宣伝、配給、興行までの仕事がある。
 だから、映画プロデューサーの仕事は、
 映画監督の仕事を含んでいるんだ。」
まだ、20代だった私は、その言葉を信じ、
原作が鎌田敏夫、監督深作欣司、
主演が薬師丸ひろ子、真田広之しか決まっていない企画を持って、
東映京都の太秦撮影所に向かったのである。

「里見八犬伝」の撮影現場の話は、別の機会にお話するとして、
映画は大成功し、当時の邦画の興行記録を塗り替えた程だった。

その成功に気を良くした映画会社の社長は、
私に、もう一本映画のプロデュースを命令した。

原田知世の「愛情物語」。
まだ20代の私が、ヘッド・プロデューサーとして、
会社を首になるのを覚悟で、取り組んだ作品である。

私の力は微々たるものだが、
この映画も興行的にヒットし、成功。

そして、もう一本。
森村桂原作、大林宣彦監督の「天国にいちばん近い島」をプロデュース。
これも、興行的にヒットし、
つかこうへい原作、井筒和幸監督の「二代目はクリスチャン」を
次にプロデュース。
その次に、「キャバレー」のプロデュースと、
プロデューサーの仕事が続き、
映画が次々と興行的に成功していったのであった。

しかし、映画一本プロデュースする度に、
私は病気になっていたのである。

そこから、どう映画監督への道に進むかは、
次回にお話しましょう。

ただ、はっきり分かっているのが、
真剣に映画監督になろうとした時、
それは、私の人生において大きな転機であり、チャンスでもあった。

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「チャンスの掴み方」

先程、アーノルド・シュワルツェネッガーのチャンスを掴む心構えを
話しましたが、もう少し、チャンスの話を。

安屋奈美恵さんとTOKIOの山口達也君が主演の
映画「That’s カンニング!」の編集中。
山口達也君と同じ寮で生活する理系の大学生役で出演した宝井誠明君が、
友達に会って欲しいと。
彼の友人は、アメリカで映画の仕事に就きたく、どうしたらいいかとの相談だった。
「That’s カンニング!」の仕上げ作業をしていた現像所イマジカの喫茶室で、
暫く長い時間、話をした。
ロスの映画撮影所のこと。
英会話のこと。
就労ビザのこと。
彼はどこまで私の話を理解したかは不明だが、
目の前に沢山の参考書を積まれた受験生のような顔をして、
彼は帰っていった。

それから、数ヵ月後。
私は、ロスのビバリー・ヒルズを運転していた。
ロデオ・ドライブの信号で停車し、
目の前の歩行者を何げなく見ていたら、
現像所イマジカで会った青年が、そこを歩いているではないか!
「来たんだ!ロスに!」と思い、
車の窓を開け、彼を呼び止めたが、
彼は気がつかない!
車のクラクションを鳴らしても、一向に気がつかない!
初めて来た外国で、自分が呼び止められるなんて、誰も想像しない…。
信号が青に変わり、後続車が動き始めた為に、私は車を出さざるを得なかったが、
もし、彼が振り向いていたなら、
車の助手席に乗せ、映画のアルバイトを紹介出来たのに…と、
悔やまれたのである。

大げさかもしれないが、彼がそこで振り向いたなら、
彼の人生が変わったかもしれない。
人生のチャンスを掴んだかもしれない。

チャンスは、ひょっとして、沢山訪れているのかもしれない。
ただ、多くの人はそれに気付かなかったり、自ら断ったり、
拒絶しているのかもしれない。
例え、気付いても、それから慌てて準備するから、間に合わない。
「チャンスの女神に後ろ髪はない」と言われるように…。

また、チャンスとは、何も準備していない人に訪れるのではなく、
しっかり準備している人に訪れるような気がする。
「気」が、チャンスを引き寄せるかのように…。

チャンスがチャンスとは、その瞬間は、なかなか気が付かないもの。
後になってから、「ああ、○○しておけば良かった…」と地団駄踏む。

そこで、チャンスに気が付かなくても、
幸せになる方法があるという。
「宇宙のルール」。

それは、「来た話を断らない」
私の体験からも、来た話全てが、幸せに繋がる訳ではないが、
その話の中には、思いがけない出会いや仕事に導かれることがある。
中には、とんでもない胡散臭い話もあるが、
断っていたら、何も始まらない。
チャンスすら逃してしまう。

映画監督への道に限らず、全ては心構えが大切。
チャンスを引き付ける精神状態を保つこと。
チャンスが分からなければ、来た話を断らないこと。
それがきっと、あなたの夢を実現に一歩近づけてくれるでしょう。
そう私は信じている。


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前回もお知らせしたのですが、
「ぼくらの七日間戦争」が、11月9日(金)と10日(土)
北海道札幌市のちえりあホールで上映されます。
私も映画上映後のトークショーで、
映画の舞台裏やメイキング・エピソードをお話する予定ですので、
ご興味のある方で、札幌まで来られる方は是非お越し下さい。

【Q&Aコーナー】では、質問をお待ちしています。
質問はこちらまで御寄せください。

 

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