AV監督・二村ヒトシさんが「恋とセックスで幸せになる秘密」(イースト・プレス)を著す前の、2009年5月15日、六本木のスターバックスコヒーで私とかわした会話の録音を起こしたものです。この頃、二村さんと私は、二村さんの恋愛本のヒントや方向性について何度も話していた。この記録は、そのひとつで、たまたまICレコーダーに記録したものだ。内容が面白いので、ここに記録としてあげたいと思った。

 なお、二村さんは、12月2日、「すべてはモテるためである」(イースト・プレス)を上梓しました。この本は、同名の著書(ロングセラーズ、幻冬舎で『モテるための哲学』として文庫化)を大幅に加筆修正したもです。




二村ヒトシさん(以下、N):(女装イベントに参加したことについて)女装子(じょそこ、女装している男性のこと。男の娘、または、オトコノコとも言う)は好きだったんですよ。外見は女でも、実際には男でも女もない。そんなところが自由で僕は好きだったんだんです。でも、なかには、例えばニューハーフの人でも「女になりたい」という動機でなったわけじゃないのに、男に愛されることで心が病んでいくんですよ。女装子好きの男たちに愛されることで。それは愛じゃないよね。渋井さんの言う「愛でる」じゃないよね。性の対象に過ぎない。そのことが気持ちいいことで、ナルシズムが、自由ではなく、どんどん女になっていってしまう。


渋井哲也(以下、S):承認欲求でしょうか?


N:承認欲求なんだろうね。


S:それは「男としてモテなかった」のでしょうか?


N:男としてモテなかった人は特にそうだね。あとは、ものすごくきれい人でも援助交際的なことをしてしまう。本人にはナルシズムしかない。女装子好きの男たちから、美しすぎるがために、お小遣いもらって、エンコーしている人がいる。どんどん美しくなっていって。そして、美しくなればなるほど、それは自由なナルシズムではなく、どんどん女に近づいていっている。そしてメンヘルになっていく。


S:女装子さんたちは、いろんなセクシャリティの人がいる。女性が好きという人もいれば、男性が好きな人もいる。両方という人も。


N:そうだね。あとは、男とか女とか関係なくて、マゾヒズムの塊という人もいる。それはいろいろで面白いと思う。でも、思ったことがあるけど、女であることと、女らしくあることとは全然違う。それは自分が女装してみてわかった。もともと僕もチャンスがあれば女装してみたんだけど、あのときは僕なんかでも、かわいいとお尻を触ってくれるオッサンもいた。まるで出来の悪いキャバクラ嬢みたいにスリスリするのが気持ちよかったんだよね。それって、ある意味、女になった僕が愛されることを求めているわけではなくて、「僕があなたを愛しますよ」ってやっている。これはすごく気持ちがいい。


S:演技として?


N:演技というよりは....


S:役になりきっている?


N:もちろん、なりきっている。というか、女の行動をとって、男を愛でること。こっちから愛が出ている。恋じゃなく、愛。すごく気持ちがいいなと思った。こういう風に、女装を楽しめば、疲れた男たちは癒されるのにと思った(笑)。そんな場所はないけど。


S:そういう場所にくる女装子たちは、どこから情報を仕入れる?


N:ネットでしょ?


S:Webスナイパーとか、女装掲示板とか、ですかね。


N:あとはミクシィとかじゃない?みんなイベントのことを書いていたからね。このブームはインターネットに支えられているものはある。


S:あのイベントの参加人数の多さは、90年代後半に、初めてリストカットのトークイベントが開かれたときと似ている。リストカットを言えない状況の中で、言える場所を作ったんですよね。


N:そうなんだよね。そして、しなくてもいい人がリストカットしていったわけですよね。それによって。


S:それと同じ状況がくると思うんですよね。


N:くるね。大爆発するね。ヤバいと言えばヤバい。現象面はさておき。僕は、女装のビデオを撮り、稼がせてもらおうと思っている。それはいいんですよ。思ったのは、僕が女装する。でも、僕がしてもオバさんなわけで。金を取れるほど、人から恋されるほど美しくはならない。しかし、僕みたいな姿であっても、寄りかかると、ニコニコしてくれるオジさんがいる。ということは、すごく愛の出しがいがあった


S:女装した男同士はけなさない。


N:そうだね、リスペクトし合うよね。


S:女装した者同士は、「ブス」って言わない。あれってなんでしょうかね。


N:やっぱり、晴れの場。


S:女になりきれないのを知っているから?


N:本物の女とは最初から勝負してないよね?


S:してないのか。ということは女装における「ブス」は存在しない?

N:だってさ、客観的に見れば「女装した僕」は明らかにブスなんだけどさ、みんなに「きれい」「きれい」と言われ、それってオレから出ているテンションだと思う。オレが全然、恥じらっていなくて。しかも、舞台上で、女装をしている自分を楽しんでいる。ま、役割だから、そういうパフォーマンスをしましたよ。僕のことを否定したのはただ1人。ナルシストの女装子がつべこべ言っていた。


S:どういう風に?


N:彼女は、その人は、常に自分が主役じゃないと嫌な人。舞台上にはいず、客席にいた人。あらゆる女装子にあの人は嫉妬するんじゃないか。


S:そういう人は、女装子に限らず、男でも女でもいますよね。


N:いるね。でも、こういうことでも気がついたのは、女性であることがきついのではなく、オンナであること。嫉妬であること、美を競う、他の女性、男の目を気にして美しくなること、「それは、オンナだね」とか「女力だね」とか言われていることがあるじゃないですか。あれがきついんだな。


S:そうでしょうね。常に「見られる存在」ですから。


N:で、女が持っている「男に甘えてみたい」「男を甘えさせた」欲求がある。僕はそれを子どもに対して取り込むような、エゴが入り込んでいない母性だと思うんですよ。エゴが入り込んでいない母性は、甘やかすことはない。子どもに対しては、お母さんを好いてほしいという気持ちが入るかもしれない。いい大学に入ってほしいという気持ちがあるかもしれない。子どもにとってよくない母性も混じってくる。


 ヤリマンにも、「いいヤリマン」とか「悪いヤリマン」がある。AV女優をやっても、ソープ嬢をやっても、心が傷付かない、魂が傷付かない人っているじゃないですか。本当の意味で。


S:かつて、社会学者の宮台真司さんが想定した「援助交際をする女子高生」は、そういう人だったんじゃないかな。その後、メンヘル系の女子高生が援助交際に参入してくるけど。


N:でも、そういうことって、常人にはなかなか難しい。オレみたいな男が一時的に晴れの場で女装したから、エゴが入り込まない母性を出したり、男を愛することができること。もし、オレが女でさ、オバはんだったら無理だよね。あんな楽しいことが続くわけないからね。


S:一年に何回かあればいいですね。


N:だから、本物の女はきついな、って思った。でも、本物の女はきついって分かっているのに、どうして女装子たちは女になりたがるんだろう?


S:女を知らないのでは?


N:女のキツさを知らないのか。


S:僕は「女になりたい」という気持ちがかつてあり、それを諦めたって言ったでしょ?もともと諦めたきっかけは、骨格が太いからですが、女子校的なノリが嫌というのもありますよ。女になると、特に男から女になるとコミュニティができるでしょ?できざるをえない。そのときに、女子校的なノリが絶対できると思うんですよ。


N:トイレに一緒にいくとか?


S:とか。お互いを「かわいい」と言ったり。何を買って、何をつけているのか、とか。なんか、個人じゃなくなるんですよ。それが嫌なんだと思う。あの女装子の集まりを見たときに、ここは女子校だなと思った。


N:渋井さんって女の子ではあるけど、孤独な人なんだね。