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「自分を愛さない人を好きになる」理由とは?..二村ヒトシさんと語る『恋とセックスで幸せになる秘密』

2012/11/30 00:00 投稿

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AV監督・二村ヒトシさんが12月2日、「すべてはモテるためである」(イースト・プレス)を上梓します。これは、98年に出版した同名の著書「すべてはモテるためである」を大幅に加筆修正したものです。前の本では解説が上野千鶴子さんでした。今回はそれに加え、哲学者の國分功一郎さんとの対談を加えています。

 ところで、前作恋とセックスで幸せになる秘密(イースト・プレス)もとても評判でした。そこで、Ustreamを使って配信していた番組「Book Talk」で、私と二村ヒトシさんらのトークの起こしを配信します。 (起こした部分は、2時間分です)



渋井:AV監督の二村さんです。

二村:渋井さんは、この店で文化的な発信をしたかった?

渋井:いや、本に関する何かをしたかったんです。

二村:女性向けの恋愛自己啓発本をAV監督が出しました。女であることで悩んでいる、本人もわからない間に苦しんでいたりする。そういう姿を仕事やキャバクラで見てきました。渋井さんと一緒にキャバクラに行ったり。そこでつかんできたことを本にしました。

表紙は山本直樹さんです。「RED」の5巻が出たばかりです。有名な、女性にも受ける、エロチックな漫画を描きます。文化庁メディア芸術祭で賞を取りました。かつては、東京都からは「不健全図書」指定された事もありましたが。

渋井:タイトルは当初から変わっていますね。

二村:これは二転三転しました。最初は「なぜあなたは恋とセックスで苦しむのか」。ちょっと新書っぽいタイトルです。5年前に考えました。出版社からネガティブと言われ、じゃあ、もっとネガティブにして、「女は恋でダメになる」にしました。このタイトルを評価してくれた人もいたんです。TBSラジオの番組「Life」の準レギュラーとなっている、フェミニストの渋谷知美さんです。一部の人は評価されましたが、多くの方から「それはダメ」と言われ、「女は恋でダメにならないよ」という意見もあり、喧嘩しても仕方がないので、矛を収めました。「なぜか恋愛がうまくいかない女性たちへ」といったものも考えました。そのほかにもいろんな候補がありましたが、どのタイトルを考えても、女性向けの恋愛啓発本にはあるんです。で、最初に戻り、そして、肯定的にとらえました。

渋井:この本を5年前から書こうとしていましたよね。もちろん、その前から構想はあったと思うのですが。その過程でこの店に来るようになり、僕と二村さんとよく話すようになったきっかけがありましたね。

二村:渋井さんと話すようになったのは、あるAV女優が自殺したときですよね。公にはなっていないのですが。それで僕が悩んでいた時でしたね。

渋井:あのとき、「自分が殺してしまったんじゃないか?」といったことも含めて悩んでいましたよね。どうしてあんなに悩んでしまった?

二村:なんで?

渋井:自分がコントロールできると思っていた?

二村:助けを求められても何もできなかったから。

渋井:でも、その悩みを乗り越えたのは?

二村:その話はね、本の結論に行ってしまう。渋井さんにも助けてもらったけど、「笑う出産」(情報センター出版局)という本を書いた漫画家の、まついなつきさんにも助けてもらいました。その後は、占いの仕事にシフトしました。彼女は、占われている側に感情移入して、的確に占う人がいる。その人に話をした時に、彼女が言ってくれたのは、「死ぬ人は、死ぬことが一つの大きな選択だった。遺された人間は、彼女のそれまでの人生に関われたことでありがとう、と言うしかない」と。亡くされた家族には言えないかもしれない。あくまでも僕に対する言葉です。まついさんは、他にも「嫌いな人とは、嫌いにならないように距離を取るしかない」といった言葉も言ってくれています。僕は、いろんな言葉をパクっています(笑)。これも、タイトな話で、こんな早い時間にしちゃっていいの?

渋井:AV女優の自殺があった時、僕の記憶では、「人はそもそもコントロールできるのか?」とか、「人が依存することとは何か?」とか話していましたよね?

二村:キャバクラに行きながらね。

渋井:いやいや。それは結果の話。二村さんは、前の本で、「キャバクラが試す場」といったことを言っていたからですよね。

二村:10年前に男性向けの恋愛本を出したんですよ。すべてはモテるためである(ロングセラーズ、「モテるための哲学」(幻冬舎)として文庫化)。この本は、AV監督として売り出す前、僕がしょぼいAV男優をやっていたころに、「AV男優がセックスのHow to本を書け」というオファーをいただいたんです。その本の中に、「モテない男は、キャバクラで練習しろ」と書いてありましたね。

渋井:それで、「じゃあ行こうよ!」となったんですよね。そこで、あのころは、2日に一回はキャバクラに行き、終わったら、「はな」に戻って反省会という日々を繰り返していましたよね。

二村:濃厚な日々。

渋井:仕事にもならないことを繰り返しましたね。

二村:その後、出版業界バニー部というのが結成され、川原さんも知っている、SBの某Kさんと、某D社のKさんとキャバクラに行ってるんです。

渋井:川原さんの紹介をしてください。

二村:マンガエッセイストの川原和子さんです。

川原:こんにちは。以前、人生の大切なことはおおむね、マンガが教えてくれた(NTT出版)という本を出しました。

二村:川原さんとは、TBSラジオの「Life」で知り合いました。鈴木謙介さんがパーソナリティをして、ゲストとして一緒に出演しました。その時も、この本の話をしていたんです。

渋井:バニー部とは?

二村:あのときほどではないですが、女性と話すのが苦手という出版の編集の人をキャバクラに連れて行くのが趣味です(笑)

渋井:でも、あのときは、キャバクラに行き、「あの行為は何なのか?」「メールの意味は何なのか?」「どうしてこんなにメールが早く返って来たのか?」というのを考えましたよね。

二村:やりあいました

川原:それ部活ですね

二村:部活でした。

渋井:ここが部室でした。

二村:だから、本来、渋井さんをバニー部にコーチとして招聘しないといけない(笑)

川原:すごいですね。本格的ですね。

二村:本格的でした。

渋井:それを含め、二村さんが実際に書くときに、六本木でヒアリングをされましたよね。

二村:書いた原稿を読んでもらったり。そのときは読んでもらっただけですけど、ほぼ完成したものも読んでもらったりしましたね。それで、「いきなりフェラチオってどうなの?」と言われたり(笑)。

渋井:最終段階で読んだ「はじめに」には、フェラチオという言葉や、AV監督であることを書きすぎていた印象だったんです。もし、これがサブカルコーナーに置いてあったら、「二村ヒトシ=AV監督=サブカルチャー」ということがわかる。しかし、恋愛本コーナーだったら?しかも、女性向けだったら、いきなり「フェラチオ」はきついし、AV監督を全面に出すのもどうか?と思ったんです。となると、もうちょっとやわらかい方がいいのでは?って思ったんです

二村:ということを著者としては先輩である渋井さんに言われたんです

渋井:あれは校了日の何日前でした?

二村:何日前かは忘れたけど、その後も延々と書いていた気がする(笑)。ついこの間まで原稿を書いていた気がする。相当ギリギリまで書いていました。

渋井:その本を構成してくれたのが丸山桜奈さんですね。

丸山:よろしくお願いします。

二村:顔を映せないけど、渋井さんの横にいるのが編集の圓尾くんです。

渋井:顔を映せないのは?

圓尾:いろいろです。僕が恋愛を語ってはいけない。

丸山:開いていっちゃうんですよね。

圓尾:声が伝わってもいけないんです。二村さんの本でもあるし。

二村:開いていっちゃう?

丸山:語ってはいけないとおっしゃったじゃないですか。そういう男子もいたり、女子もいたり。ていうので、開いていっちゃう。

渋井:開く?どういうこと?

丸山:距離がね。しゃべれないと。

川原:話せないのは黒子ってことじゃないの?

圓尾:それもあるんですけど、10年くらい前に本をお願いしていて、いつの間にか、女性向けになっていった。最初は『すべてはモテるためである』を読んで、ぜひ、次の本を書いてほしいと思った。5〜6年前に連絡したんです。最初は、なんでもいい、という気持ちだったんです。それがいつの間にか女性向けになっていった。最初は「人はなぜ恋をするのか?」だったりしたんです。「萌え」とかもありましたね。

二村:きょうはメガネばかりですが、本にも「萌え」のことは復活させました。「男はなぜメガネ女子が好きなのか?」「女はなぜメガネ男子が好きなのか?」「メガネ男子が好きと言い張る女子はなんなんだ?」というようなことを中心に、「萌えについてのすべてがわかる」といった本を書こうとした時期もあったんです。しかし、時間がたち、「もう、萌えブームじゃないよね?」ということになり・・・。

川原:前の本はいろんな人に衝撃を与えた。「なぜあなたがモテないのかといえば、あなたが気持ち悪いからです」という衝撃的なフレーズで、世の男子を震撼させましたよね。

圓尾:でも、二村さんと話しているうちに、「モテてもしょうがないよ」ということになり、「その先が大切」ってことになったんですよね。

二村:男性と女性は、恋愛に対する心構えが違う。社会のせいである部分もある。男性にはまずモテようとしたほうがいいと。前の本では、男の自意識を問題にしていたんです。そんなこと言っている暇があれば、キャバクラに行け、と。いきなり、ソープに行ってもだめ。キャバクラに行ってから、ソープに行け、ということだったんです。それを説いたんです。同じことを女性に向けて言ってもだめ。女性はすでに「すべてはモテるため」ということは分かっていて、そのことが女性を苦しめているじゃないか、ということ。「モテ」の先に何があるのか。でも、それでも恋はやめられない。恋をしてしまう自分が自分を苦しんでいるんです。商業主義に利用されて「恋をすると女性はきれいになる」とか、「恋をがんばれ」とか、そんなことで踊らされていると、どんどん苦しくなりますよ、ということをこの本で言いたいんです。前の本と、言っていること180度違う。

川原:前の本では、「あなたは隠してるつもりかもしれないけど、気持ち悪いのはわかっていますよ、ダダ漏れです」って言っていたじゃないですか。コミュニケーションを踏み出す前にちょっと押してあげる本だったと思うんです。女性向けには、みんなある程度、みんな乗り越えている。コミュニケーションの中で生きるしかないということ。「Cancam」とか『JJ』とかは聞こえのいい言葉にかえている。それは全然違う。女の人はコミュニケーションで訓練されているし、どう見られているかを気にして生きていますよね。

渋井:逆にいえば、コミュニケーションを過剰に強いられているということでもある?

二村:そうそう。

渋井:女性は男性に比べて、外見上の評価やコミュニケーションの作法が厳しい。

川原:厳しいですよ。

二村:そのことも書きました。あなたたちにとって社会は厳しいと。相当外圧があるんだよ、と。でも、内側にも原因がある。ナルシズムが原因で苦しめている。

丸山:もしかすると、メールをする?世代ですかね?どこかの世代で、気軽にメールはするけど、電話はしにくい。

渋井:長電話はどのくらいが最高?

丸山:8時間が最高。いまは2時間。

二村:昔って、電話してたね。家電だったころは電話してたね。

川原:私、電話しない。2時間くらいかな。

渋井:最高、10時間。割と電話は好きです。意味のない会話ばかりしていました。

丸山:それは恋の相手?

渋井:恋の相手だと、13時間ですね。高校の時ですけどね。

丸山:世代があるんじゃないかな。

二村:そう思わなくてもいい。恋愛をしていたほうがいい、というのは女性をさらに追い詰める。「恋愛していない女性はダメ」という風潮があるじゃないですか。特に女性誌では。


二村:男の場合は、「喪男」というのがいるが・・・

渋井:「喪男」を解説してください。

二村:わかんない。ネット用語を使いました(笑)。「モテない男」でいいんですよね。2ちゃんねるとかで、女性にモテないと思っている男が、自分のことを言うわけですよね。もしくは、「あいつは喪男だ」と。それがキャラになり、シャレになる。女性の場合も、「喪女」がいる。

渋井:二村さんはモテるんですか?

二村:モテないですよ。一部の女性にはモテるが。

渋井:それは、自分に寄ってくる女性を把握したってこと?

二村:寄ってくる、というと失礼。僕に反応する女性、ですね。その辺も、キャバクラ修行の成果ですね。

渋井:六本木のキャバクラに行ったときに、背の高い女性がいたじゃないですか?その後、どうなったんですか?

二村:どの人?

渋井:おそらくモデルをやっていた人ですよ。二村さんは、背の高い女性が好きだから、はりきっていたんですよ。すごく口説いていたんです。なのに、忘れてしまった?

二村:だから、その人が好きだから口説いているんじゃなく、口説いている自分が好きなんですよ。どんどん矛盾が出てくる(笑)

渋井:同伴は?

二村:したことない。

渋井:プライベートでも会わない?

二村:キャバクラの女性とどうにかなったことはない。

渋井:なんのためにキャバクラ修行があるの?

二村:自分の立ち位置がわかる。相手の話しを聞く訓練もできる。

渋井:メールの返信とかすごく考えるじゃないですか?

二村:いや、その辺、渋井さん、マメですよね?僕は店の中が勝負で、後で考えると、忘れていることが多いんですよね。

渋井:だから、忘れているんだ?

二村:わからない。メールの返信をしなかったり、その店にまた行ったりしないからだと思う。なんか、続かない。そこから始まる物語はない。

渋井:じゃあ、キャバクラで何を学ぶんですか?

二村:女の人と話す時間を買っているわけじゃないですか。その時間を何をしているか。

渋井:一時間1万円をキャバクラに払う行為と、友達の女性を呼び出して、1万円をおごる行為は何が違う?

二村:友達呼び出せれば、世話はない。

渋井:別物じゃないんですか?

二村:別物でしょ。

渋井:世話ないという話しではなないでしょ。明らかに違うコミュニケーションですよね?

二村:相手は知らない人。自分のキャラを打ち立てる必要がある。

渋井:二村さんは、すぐ自分がAV監督であることを言ってしまった。

二村:なるほど。それ、言われたね。、言わないほうがいいって。

渋井:言わないと、AV監督としてではない「自分」に向き合ってくれる。だから、匿名原理で動きましょう、と言ったんでした。

二村:名コーチなんですよ(笑)。ぜひ、バニー部に呼ばないと。俺の言っていることが相当あやしいことがわかってきた。本が出版される前夜に暴かれる(笑)。

渋井:丸山さんは構成をして、気づいたことは?

丸山:二村さんに最初に出会ったときに、恋愛の相談をしたんですよ。私は、自分が好きになる人は、自分を好きになってくれないんです。好きになられると、好きになれない。うまくいったとしても、何かにタイミングで壊れる。そういうのを何度か繰り返していて、何でうまくいかないのかを話したんです。そしたら、一言で返って来たんです。「それは、あなたが自己肯定してないからです」と。その瞬間、ドスーンと腑に落ちたんです。「あ、そっか」と。それをしてないから恋がうまくいかないのか、と気がついたんです。もちろん、気がついてもすぐにはうまくいきませんが。それで、本を書いている話があって、ライターをしていたこともあり、携わらせていただいた。

渋井:丸山さんの中では、自己肯定してないことと、恋愛がうまくいかないことが結びついた、ということですが、どういうことですか?

丸山:自分を信じてない。自分のことがよくわからない。あやふやだから、相手とのコミュニケーションがあやふやになる。

渋井:もう一度、説明してもらえますか?

丸山:ええとね。

川原:でも、意外ですね、丸山さんが自己肯定できていない、って。

丸山:自己肯定って、タイミングだと思うんですよね。言われたから、できるものではない。そもそも、自己肯定っていうのは、自分があやふや、芯がないから、相手のことを受け止められないし、そのあやふやさが伝わって相手を不安がらせる。それで、うまくいかないのかな。

川原:自分のことが嫌い、というわけではない?

丸山:自分が嫌いということも自分でわかんない。

二村:丸山さんは、自分のことを嫌いかどうかわからないから、あやふやになる。そういう例って、なかなか難しい。普通の場合は、女のひとはあからさまに嫌いだよね。第一章はほとんどそのこと。自分のことが嫌いってわかっていて、そんな自分のことが大好き。ねじれた自意識が、わりと、文科系の女子には多い。マンガや文章を読んだり、書いたりする女子も知っているけど、キャバクラにも行くし、お仕事でAV女優とも付き合っている。

 女性って、わりと、みんな嫌いで、そんな自分が好き。みんな持ってるのかな?出方が違うのかな。書いているうちに分かって来た。そういいうのは、丸山さんからリアクションがあったのは大きい。ただ、その前からわりと、自分を好きだということが、2年前につくった目次にあった。

 ほとんどの女性に聞いても、口をそろえて言うのは、「好かれるのは好きになれない。自分を愛さない人を好きになってしまう」。それは自分を認めてないから、自分を好きな男性を「バカじゃないか?」「嘘なんじゃないか?」「体目当てなんじゃないか?」と思ってしまったり。自己肯定してないヤリマン(*いいヤリマンと悪いヤリマンがいる)で、悩んでしまっている女性は、セックスを求めることでしか自分の価値を見出せない人たちがいる。

* ヤリマン・・・男性関係がさかんな女性に対する悪口として出て来た言葉
* メンヘル系・・・メンタルヘルスが弱い人たち。メンヘラーとも呼ばれている。

丸山:私って、都合のよい女?と聞きたくなっちゃうんですよ

二村:それはヤリマンとは違うんですよ。周りからヤリマンと言われるけれど、自分は自覚がない。

渋井:それは、都合のよい女じゃだめなんですか?

丸山:人によって、違うと思うんだけど。

二村:それはすごいことを言った。「自分は都合のよい女でいい」と思ったら、それは「いいヤリマン」なんです。自分を肯定できれば「いいヤリマン」になる。

渋井:その人が好きであれば、その人にとって都合よく扱われるのは、問題ないんじゃない?

二村:それは、また別の問題がある。女性A子がさんいて、好きな男性Bさんがいる。都合よく扱われるのは、A子さんはBさんに支配されている。それは、A子さんにとっての幸せにはつながらない。

渋井:表面的には喜びますよね?

二村:最初だけでしょ?すぐに発狂しますね(笑)。ちょっと言い過ぎた、すみません。心が苦しみますよね。

渋井:そもそも、恋愛は苦しいものだ、と割り切ってしまえば?

二村:本にも書きましたが、「恋愛は苦しいもの」という意味合いが違っていて、誰かを好きになったときに、誰かに支配されて苦しいのなら、その恋愛は間違っていると思う。個人的感想ですけどね。自分と向き合っているから苦しいのであれば、それはいい恋愛だと思います。自分が好きな人がいて、その人の喜びに応えられるからうれしいというのは間違っている。

 ダメ男に貢ぐ女性とか、DV男を好きになってしまう女性・・・。それは、好きな人の幸せになるんだから、恋している女性も幸せなんじゃないか?という問題ですね。

渋井:そういうマンガはありますか?

川原:安野モヨコの『ハッピーマニア』。主人公は「ラブ」を求めて、常に暴走する。作中でずばり、「私は私を好きになるような男は嫌いなのよ」という台詞が出てくる。あたしはあたしのことスキな男なんて キライなのよっと思っていて、自分なんか好きにならない『高め』の人を振り向かせる。でも、振り向いたら、ちょっと違うと思ってしまう。二股にされて、足蹴にされる。なにか違うのではないか、と思ってしまう。

渋井:それって、僕も感じます。

二村:それは渋井さんが女の子だからです(笑)。

川原:そうなの?

二村:それはなんでかっていうと、自己肯定してないからです。本にも書いていますが、100%自己肯定できる人はいない。恋愛っていうのは、そういうものなんじゃないか。自己肯定って、そのままでいい、ってことなんです。

渋井:そのままでいい、って?

二村:向上心を捨てることじゃないですか?

渋井:向上心を捨てる?恋愛は向上心を捨てた結果?

二村:いや。逆。恋愛ってのは向上心まみれのもの。いまの自分じゃなくなりたいから。魅力的な人がいるから恋愛するんじゃなくて、違う自分になりたいと思っている人間が、ふと、別の世界へ連れ去ってくれる人が通り過ぎたときに恋をするのが恋愛。誰にとっても魅力的って人はいない。

 タイミングの問題もある。その人が持っている、この本で「心の穴」と表現したんですが、なにか自分の欠点、ネガティブな感情を埋めてくれる人に出会ったときに恋になる。

渋井:二村さんの論は、「恋と愛が違う」っていうのもあるんですよね。どう違うのですか?

二村:180度違うもの。恋は求めること、誰かをほしがること、別の世界に連れて行ってほしいこと。愛は与えるもの、と言われるが、それは求める同義。それは愛ではない。愛とは何か。自分も、相手も、そのままでいいと思うこと。自分を殴る男性を好きになることは愛ではない。それは恋。自己肯定という話が出たが、ナルシズムは向上心がもと。恋の原動力。自己愛というけれど、愛ではない。自分への愛は自己肯定。恋と愛は逆のもの。

 女性誌では、「自分を好きにならないといい恋愛はできない」とあったりする。「自分を好き」には落とし穴がある。「ナルシシズム」と「自己肯定」とがある。今の自分ではないところにつれていってくれるのを欲するのが「ナルシシズム」。何かにむけて、人間は頑張りたがる。それはすべてナルシシズム。それが人間を苦しめている。ただ、恋は生きている以上、しちゃうよね、と。ナルシシズムもなくならないよね。

渋井:川原和子さんはこの本を読んで、全般を読んでの感想をお願いします。

川原:私が二村さんを知ったときの話をしていいですか?二村さんに会う前に、知り合いが送ってくれたフリーペーパー「Complex gala.」で知ったんです。この中で二村さんが「これからの女は、かっこいい男になれ」というタイトルで書かれていて、その中でおっしゃっていたことが、私の中でずっとモヤモヤ思っていたこと、問題意識にすごくヒットしたんです。それは特に、「女の人は頑張ることが好きだけど、実は、頑張っている自分が好き。これって、ナルシシズム(ナルシズム)、自己愛だよね」って話をされていて、「今の自分を認めていないのに、自分にしか興味がない状態」「相手のためを考えているようで、そんな自分になりたいってだけ」とおっしゃっていた。ちょうどその前に、負け犬ブームがあった。『負け犬の遠吠え』という本を酒井順子さんが書かれていた。30歳超えても、結婚しないで独身で頑張っている女性がクローズアップされていたんです。

 あとは、オタクの男の子がすごく注目されている中で、すごく男性と女性がすれ違っている感を感じていた。私からみたら「すごく素敵な女性たち」がちょっと苦しそうだったりする。なんでなんだろうとすごく思っていたときに、「これだ!」ってすごく思った。私も含めて、すごく頑張っているんだけど苦しいというのは、なんか、「こんなんじゃダメだ!もっと頑張れ、もっと頑張れ」という底なしの地獄みたいになっている。ゴールがない。「素敵な王子様が現れないのは私の頑張りが足りないんだわ」と思って、ピカピカにどんどん素敵にすればすするほど、「私に釣り合わないとだめ」という感じで垣根がどんどん上がってしまう。他人の事を受け入れない。本当はどんどん受け入れないといけないのに。そう思っていたときに、TBSラジオの文科系トーク番組「Life」に呼んでいただいて、二村さんに会い、「これ、読ませていただきました」と。「すごく大事なことだと思います」と。

二村:このフリーペーパー自体は世田谷区のおしゃれなお店で配布されたのはもう2年以上前。あ、1年半前か。そのフリーペーパーに、「2009年秋に、女性向けの恋愛本を発売予定」と書いてあるんです(笑)。

川原:そうそう。「いつでるんですか?」って(笑)

渋井:ホームページ( http://cgala.com/ )もあるみたいですね。

二村:今は、フリーペーパーは出ていないようですけどね。

川原:それがきっかけですね。それで、本を書いているとゲラを読ませていただいて。それからずいぶん、手を入れられているんですね。

二村:とっかかりの部分が難しいと思ったので、最初の1章、2章くらいは、コンビニに売っている恋愛啓発本を目指しました。実はそのあたりのわかりやすさを丸山さんにも、このcomplex galaのスタッフにも手伝ってもらったんです。

渋井:いろんな人が関わっているんですね。

二村:僕一人では本が書けないので(笑)

渋井:相当、苦労していましたよね。

二村:苦労していましたね。本一冊書くのは大変なことだな、と。すごいね、てっちゃんとかね。川原さんもこれは?

川原:書き下ろしもあるし、連載もある。私が感激したポイントは、二村さんは男性じゃないですか。男性が、女性の心理に分け入って、女の人の大変さにすごく共感しつつ、「でも、こうした方が幸せになれるよ」と言ってくれていることに感動しました。

渋井:ある意味、二村さんがそう出来たのは、二村さんがこれまで、「女の心」を食っていたからでしょ?

二村:そうです。自分で言う前に、渋井さんに言われてしまった(笑)。かっこいいところを取られてしまったんですけど、僕の撮るAVというのは「女性が男性を犯しまくる」ジャンルなんですけど、奇麗な女性が男の上に乗っかって、奔放にセックスをしたり、はっと気がつくとある日女の人からおチンチンが生えていてそれでレズってみたり。そのあたりは「ヤオイ」の世界が入ってくるんですけど、結局、女性の性欲というか、女性なのにAVを見る人っていうのがすごく評価してくれたというのがあった。「女がこういう風に、自由にセックスしていいんだ」と。

 僕の一冊の本が文庫になったときは、上野千鶴子先生が解説を書いていただいた。AVのパッケージで、一番最初に女性にGパンを履かせたのは僕が最初なんです。当時、AVというのは、女性はミニスカートじゃなきゃいけなかった。「女は性を受け入れる側」で「男の欲望を受け入れるのがエロいAV」なんです。僕は「女が自分でGパンを脱ぐのがエロい」と思った。Gパン履いている女性のお尻はエロい。今でこそ普通のジャンルになっているんですけど、それはAVには取り上げられなかった。そういう風に「女性に受けのいい女がエッチをする」ビデオをつくっていた。だから、「俺はフェミニストなのかな?」と思っていたんです。

 でも、それは、さっき、渋井さんに「それは女の子だからだよ」と言ったんですけど、僕の中に、「こういう女になって、こういう奔放なセックスをしたい」という願望があって。僕が女になって、「犯されている情けない男」も僕なんです。僕にとって都合のいい、他者のいないナルシズムだったんです。僕の言っていることは一瞬、女性のことをわかってくれていると思われがち。それはどうなんでしょう、渋井さん。それは、僕の中にいる「女」に正直なだけで、女性の権利や女性の苦しみに理解しているわけではないんじゃないか、と。

渋井:すべての男がそうだと思うんですけど、「女を理解するときには、自分の都合のよい女しか理解できない」。

二村:そう思います。本当にそう思います。

渋井:だから、二村さんと続く人たちは、それは二村さんの都合の中で生きているんですよ。それは良くも悪くも。その都合の波長が合えば、それだけ長い付き合いになる。周囲の人は、その人の都合の中で、二村さんを位置づけている。だからこそ、引き合っている。逆に、それがずれれば、まったく理解不能な世界に陥る可能性がある。

丸山:その理解ということで、女の人が陥りがちなのは、ものすごく男性が論理的に話してくれると、「あー、私のこと、分かってくれる。こんなに分かってくれる人はいない」って思って、好きになっちゃったりとか。要するに、それも自己肯定できていない。自分のことがわからないから、自分を客観的に言ってくれる人が、うれしい。でも、それを言われ続けていると、ものすごい嫌になってくる。でも、男の人は「それが君のためだ」って言う。それは男の人が支配したいから。女の人は支配されたい。それがいつの間にか形が変わったりするとおかしくなっちゃう。理解する・されるというのも、そこから支配する・されるの関係が始まっているのかな。

二村:女の人って、支配されたいんだ?表面的には「支配されたいんでしょ?」って言われると反発しますよね?

丸山:そうですね。でも、そのほうが楽なんですよね。支配されていたいし、守られていたい。

二村:ちょっときついかもしれないけど、「支配されたいでしょ?と言われて怒る」のは、「恋がいいものと思われている」のと同じように、「支配は悪いもの」という社会通念というか、誰かが得するからなんだよね。「支配=悪い」。「恋=いいもの」。そういう符牒が出来ている。それを信じて、「あなた支配されたいでしょ?」と言われると、女の人は「いや、そんなことない。人間は自由なんだ」って気持ちになって。

丸山:平等とかね。

二村:でも、心の底には、ある種の女性には「支配されるほうが楽」という気持ちがあるってことですか。

丸山:だと思いますね。

渋井:「支配」という言葉は、「依存」という言葉と似ていて、「依存」もネガティヴな言葉として相当言われている。「恋愛は共依存関係にならないようにしましょう」とか。しかし、共依存と依存の違いはどのくらいの人がわかっているのだろう。「依存」というと、「自立していない」、「対等ではない」と言われている。でも、対等になったときに、恋愛ができるのか?という疑問がある。

二村:この店にも時々来られる歌人の枡野浩一さんが「上下関係のない恋愛はない」と言っていた。すごくよくわかるんですよ、僕は。それは「支配」とは違うかもしれないけど、要するに、外の世界に連れて行ってもらいたいか、「よしよし、連れて行ってもらいたいのか」と思う関係しか成り立たないってことですよね。これも言葉の定義の問題ですが、もちろん、対等の人のセックスをしたり、対等の人の生活をできるかもしれない。恋ってことは対等な人とはできないかもしれない。「恋愛」って一つにまとめちゃったけど、「恋」ってのは上下関係の中でできるもの。「愛」は、対等でもできるんじゃないか。だめかね?(笑)

川原:「恋」と「愛」に分けるっていうのが、私は目から鱗だった。単純化すると「恋は奪う」もの。「私にください」っていうもの。「愛は見返りを求めない」。お腹がいっぱいの人。「お腹がいっぱいだからあげるわ」という状態。考えてみれば、ここ数年の日本はお腹が空いている人ばかり。満たされている人が少ないっぽい。

二村:その「お腹が空いている」のを言い換えると、「心の穴」。あの、よくない苦しい恋愛をし、愛ではなく恋になってしまう人というのは、自分の心の穴を恋愛対象を使って埋めようとしているから、苦しい。

川原:私は結婚しているし、いても立ってもいられないほどの飢餓感はない。でも、20代の前半はそれに近いものはあったんですよ。そういう人にとってはこの本は処方箋になる。自分がこの本で心をつかまれたのは、「あなたが恋がうまくいかないのは、自分が好きじゃないからですよ」と指摘したところがすごい画期的だな。たしかに、丸山さんがおっしゃるように、言われたからといって、翌日からスッキリはいかないけど、「他人の問題じゃなく、実は自分の問題」ということに向き合わないと、超えていけない。

渋井:恋愛関係がうまくいっていると、そのうまく言っている状態を楽しめる。そのときは、自分のことをある程度好きですよね?

二村:というより、自分のことを好きになるために恋愛してるんですよ。

渋井:好きになっているように見えるから、恋人がいたほうが魅力的にみえるじゃないですか?

二村:「恋すると、女は美しくなる」という言葉はそれを指していると思う。僕は、それはまやかしだと思う。

丸山:恋愛をし、別れた後に思ったのは、コップの中に水が入っていて、それが恋だとして、お互いの中に泥水があった。上はものすごく澄んだお水。最初は上の方をぐるぐる回っていて、ものすごくいい関係だったんです。でも、ある出来事で、泥水が浮上して来たなんです。すると、もう澄んだ水ではいられない。そっからお互い、「泥水があったこと知らないんですよ」ってなった。そうすると、泥水があったことに向き合うしかない。その泥水が自己肯定ってことですか?

二村;泥があることを知りましょう、ということ。無理矢理好きになるんじゃなくて、自分の泥を見ましょう、と。自己肯定って、無理矢理、自分を好きになるんじゃなくて、ネガティブな自分になることでもない。自分にはいいところもあるし、泥もあるんだってことを知りましょう、ということ。渋井さんが言った通り、恋をすると一時的に気持ちが生き生きします。

 たしかに美しくなるんですよ。自分がセックスしたい相手とするとホルモンが分泌される。一瞬、美しくなる。理想的な恋というか「いい恋愛」というのがあるとしたら、まず恋をしたことによって、恋をされた側がその恋を受け入れて、愛す。自分が自己肯定できないから恋をする。あるとき、「自分は自己肯定できていない」と気がついたときに恋をする。恋された人が相手を愛せれば、恋した人は、その部分だけは自己肯定できるようになる。ちゃんと自分を自分で評価できるようになる。で、愛し合える。もしくは、恋していた人が恋されるかもしれない。それをずっとやっていけるカップルというのが、結婚10年経っても、20年経っても、仲のよい夫婦になる。

渋井:二村夫婦みたいな?

二村:そうかもしれない(笑)。知り合いでも、「本当、この2人は仲がいいな」って夫婦がいる。もしかすると、お互いが諦めているのかもしれないんだよね。ラブラブというのではなく、相手の泥を分かった上で、諦めて、恋ではなく、愛し合えている。恋がきっかけになって、そういう関係になれれば理想的。しかし、いまの世の中の、多くの恋は一方的。枡野さんの「上下関係がないと恋ができない」も、川原さんの「先進国は実際にはお腹が空いていないのに、心が飢えていて、心の穴を埋めようとして恋愛している」。それは向上心かもしれないし、ナルシシズムかもしれない。何か常に求めていて、その一環として恋をしていると、必ず上下関係ができている。そうすると、それは愛に育たない。

渋井:恋の先に愛がある?

二村:最初から愛の場合もあるかもしれない。恋された側が愛することができれば、それは愛の関係になるかもしれない。しかし、ほとんどの場合、恋されている側は、恋している側が「愛」の方向にいくのを許さない。特に「ヤリチン」と「メンヘル女」の場合は、そうですね。

渋井:「ヤリチン」とは?

二村:ヤリチンは、たくさんの女性とセックスすることで、自意識の心の穴を埋めている男性です。単純に「女好き」とか「セックス好き」とは違うと思う。自分が恋されていることが好きで、例外なく、自分の恋する女の内面は嫌いです。だから、自分に恋する女を憎みます。憎んでいるとしか思えない虐待の仕方をする。精神的に。

川原:そういう人は、女の人に愛されていることで充足するじゃなくて、「恋されている俺ってすごいだろ」って、誰かに誇示したいんですかね?
1:28:03

二村:誇示する場合もある。尊敬される場合は誇示する。その人が所属する男性社会がリベラルなら口には出さないかもしれない。でも、この本にも書いたけど、オタクのヤリチンというのがすごく多い。

川原:多いんですか?

二村:文科系女子は自分を理解してくれる人が好き。メガネをかけている人が好き(笑)。『世の中の文科系女子は、メガネ男子が好きなんだぜ』といっている俺は・・・・(笑)。まあ、概念として、「メガネ男子」が好きじゃないですか?。あれは何か?メガネをかけている人はじっと見ている。でも、実は目が悪いから、じっと見ていない。非常に複雑なツールでしょ?メガネって。

渋井:え?

二村:ウルトラセブンが変身するときは使うけど、なくすと、ぐっと弱くなる。視力ってのは、おチンチンの象徴でしょ?

丸山:え?

川原:初めて聞きました。私が聞いたのは、「メガネ男子」を好きなのは、目は心の窓だから、それをカバーしている、と。

二村:本当のドきつさをメガネでカバーしているというのもある。オンオフによって、セックスのときは外す人もいし、セックスをするときこそ、コンタクトレンズを外し、メガネをかけるという人もいる。わざわざメガネをかけてセックスをするのがたまらない女の人もいるし。いろんな人がいるわけですよ(笑)。

渋井:ちなみに、かけてするほうですか?

二村;外しますね。

渋井:それはなぜ?

二村:それは難しい話。僕は右目と左目の視力が違っていて、外しても片目で見えていたりする。それはややこしい話(笑)。何の話だっけ?「メガネ男子が好き」と言っている女子は、飲み会で「私って、Mなの?」と言っている女子とたいして変わらないって話です。


二村:文科系女子に限らないし、全員じゃない。非常にセクシャルなもんだと思いますよ。サディストの女性で、メガネ男子のメガネを奪い取って、踏みつぶすのが好きって人がいるんです。

渋井:極端な話ですよね?

二村:極端だけど、僕にとっては正解

渋井:そうされたんですか?

二村:されません。回避しました(苦笑)。

渋井:そういう女性、好きでしょ?

二村:そういう女性を遠くから見ているのが好き。そういう女性に僕が思っているセックスをやってもらうのが仕事だからね。

渋井:巻き込まれちゃいやなんだ?

二村:そうだね。

川原:質問というか、二村さんが書いている、「mixiなどで、女の人が心のままに綴ることがかえって、不幸にしている」という点について

二村:ネガティブな内容、たとえば、twitterでも、ネガティブ・ツイートってあるじゃないですか。周囲は「この人だからね」っていうことで、本人も「嫌なら外しなさい」っていうことがある。そういう人は自分のネガティブさを発信したい。川原さんもメールで指摘してくれましたが、またその内容を本人も見るから、ネガティブなスパイラルから抜け出せないというのもあるかもしれない。もっと先の話として、ネガティブな自分をわかってもらいたいというナルシズムですよね。

渋井:チャットや掲示板、ミクシィなどでネガティブな自分を綴る人は昔から多い。そこまでネガティブじゃないけれど、そのコミュニティにいると、よりネガティブではないと、周囲に認識されないのです。

川原:そういうキャラになっちゃうってこと?

二村:インフレが起きてくるわけですね?『ドラゴンボール』じゃないけど、『少年ジャンプ』における技のインフレみたいな。

渋井:極端に言えば、リストカッターのコミュニティの場合、薄く切る人ばかりだったら、もっとちょっと切ったほうが目立つ。

二村:少しでも切ったほうが偉い。

渋井:また、カッターではなく、東急ハンズで買ったナイフだとか、ある種の過剰さがあったほうが認識される度合いが強い。だから、ネガティブな人が集まるコミュニティでは、よりネガティブな自分を発見していって、見られるためによりネガティブな行動を起こすんですよ。

二村:そういうのはいろんなジャンルである。たとえば、ハードマゾヒストの人がいる。キンタマに釘を打つ人とかいるわけですよ。尿道にどんだけ太いモノが入るかとか。あるわけですよ。いま、川原さんは眉をひそめたけれど。わりと、競い合ったり、それをやってくれる女王様がいる。女王様は愛がないとできない仕事。そういうマゾ男のナルシズムに応える女王は、ものすごく愛があるんだな、って思う。そこにはユーモラスな、加減のなさ、ある種の客観性があるんじゃないか。それに比べると、自傷をしたり、自傷に至らないまでもネット上で文章を書くことでネガティブになっていくのは客観性がなくなっているというか、見失っているというか。自分しかいなくなってしまう。

渋井:ネガティブな行動のほうが、ポジティブな行動よりも、伝播しやすいと言われてるんですね。しかも、音が付いていたりすると、さらに伝播のスピードが速くなる。

丸山:音?

渋井:音楽が分かりやすい。ポジティブな音楽よりも、ネガティブな音楽のほうが長く続く。流行の曲も基本的にネガティブ。曲調が明るくても、曲の詩はネガティブだったりする。失恋の曲は多いし、「会いたくて、会えない」みたいな。

二村:西野カナ、的な。

渋井:そういう環境の中で、ネガティブさを身につけていけば、他人との競争で勝っていくんですよ。

川原:「自分は傷ついています」って言えば、みんなが優しく接してくれますよね。

渋井:しかも、悲しげな表情をしていれば、女性であれば、男が寄ってくるんです。

川原:ほほうぅ。

二村:それは食えるからだよね。セックスできるかですね、それからは。

渋井:そのとき、女性がそれによる「自己肯定」をした場合、女医性はそれを学習するんだよね。

川原:すごいよくわかります。

二村:渋井さんが言う「自己肯定」というのは、この本でいう「インチキ自己肯定」なんですけどね。ここで、ゲストがもう1人。田房さん

田房永子:田房永子です。最初は共通の知り合いがいて。AV業界の人のつながりで。漫画家でライターをしています。漫画を描いていて、これ(『えろしぼり』)は男と女のうんぬん、みたいな。

渋井:それはどこで買えるの?

田房:模索社です。いい男はパンツを脱いでびんびんにしたまま、あ。違う(笑)。私のヤリチン説っていうのは、ヤリチンは常に崖の上で女を追い詰めている。毎日毎日セクハラをすることによって。女も無意識に、「なにあいつ」「なにあいつ」と言いながら、崖のギリギリになって、そういう女を男が叩くんですよね。「やっぱ、よくみたらかわいいわ」みたいなことを言って。女は崖から落ちる。落ちながら、女は服が脱げていくんです(笑)。その間にも、男は崖の下で、びんびんに勃起させて待っている。女は股を広げて落ちてくる。男は「僕はただ、落ちて来たんで、はめているだけ」と。女ははまってしまう。それがヤリチン。その早さは俊敏です(笑)。そういうのを描いている。

二村:田房さんはヤリチンの研究家ではなく、フェミニストという枠にも入らないフェミニスト。いま、サイゾー・ウーマンで連載しているんです。北原みのりさんの『ラブ・ピースクラブ』のサイトでもエッセイを書いている。

田房:フェミニストになろうとしたんですけど。男の人、というか、チンチンが好きなんですよ。ヤリチンは好きじゃない。ヤリチンは敵です。

渋井:敵をどうして描いている?

田房:むかつくから。

渋井:その衝動を描いている?

田房:はい。

二村:あとは、妻の夫に対する性欲について

田房:はい。それがテーマです。今の。

二村:女性の性欲や、女性向けの性風俗店がないことではなく、その話をすると、男からの反応が決まっている、ということに対する憤りがあるんですよ。

渋井:どういう憤り?

田房:たいてい、それは昔、福岡にあったのにつぶれたんですよ、と言われて、話がそこで終わってしまうんです。

渋井:市場原理ってこと?

田房:福岡にある、なしはどうでもよくて、現象として「女の風俗店は成り立たない」ことの説明として出てくる。

渋井:そうなの?

二村:聞いたことないの?

渋井:福岡の話は知らない。

二村:いや、有名ですよ。

渋井:「女の風俗店が昔あって、つぶれた」という話は聞くけど、福岡だっていう地名は初めて聞いた。

二村:俺、いろんな人から何度も聞いた。

丸山:それって、何年ぐらい続いたんですかね?

二村:いや、本当に福岡にあったのかどうかは分からないんです。

丸山:都市伝説?

渋井:ラブホテルの発祥が、大阪の「ホテル・ラブ」から始まった、という俗説があったでしょ?

二村:それは初めて聞いた(笑)。

渋井:あれも、ラブホテル研究家が研究した結果、「ない」となったんですよ。それみたいに、この話もないのかもしれない。あるとして、話を入れて、終わってしまうから?

田房:「男の人は射精があるので、従業員が何人もこなせない。生理的に無理だ」という説明をされて、そこで終わってしまう。

渋井:でも、それって「本番風俗」ってですよね?「本番」なしなら成り立つんじゃないですか?

二村:「市場原理」も「射精で終わる」も理屈なんですよ。田房さんはその話に腹を立てているのではなく、たぶん、理屈について腹を立てている。理屈というのは男性の上から目線だから。本人はちゃんと説明している気になっているのに、心の奥底には上から目線があるんですよ。「お前は、疑問に思っているようだが、日本には、そういう店を作ろうとした人が過去にいて、それが滅んだ事実があるんだよ」ということを、俺は知っているよということを、セックスの歴史の詳しい男性が、田房さんのように、温厚に見えるフェミニストに対する、田房さんの描いているものをみると全然温厚じゃないですけどね、男性の立ち位置がある。

丸山:それでさらに、つぶそうとしていますよね。

二村:本人は、無自覚につぶそうとしている。

田房:ひねりつぶしています、女の陰茎を。

二村:クリトリスをね。

田房:そういう発言なんですよ。そういうことが最近分かって来たんでやみくもに「風俗ないのがおかしい」という言い方を変えていこうかな、と思っています。同じ返答しかないということが分かって来たんで。

渋井:同じ返答しかないんですか。

田房:あと、「オナニーしないんですか?って。オナニーすればいいじゃないですか?」というのも多くて。そういう問題じゃないから言ってるんですけどね。

丸山:それって、女の人に性欲をもたれると困るんでしょうね?

渋井:長い間の固定観念で、「男は買う側」「女は売る側」というのもあるんじゃないですかね?

田房:そうしておきたい、という。

渋井:例えば、男が売り、女が買う場合、「逆援助交際」って、わざわざ「逆」という言葉を入れるでしょ?

二村;僕はよく、「逆騎乗位」じゃないな、「逆チングリ」じゃないな、あ、それは「マングリ」の逆だからいいのか。撮影しているとき、よく「逆」という言葉は使うんですよ。本来男がやっていることを女優さんにやってもらう時ね。「逆」っていうと、わかりやすいんだよね。それはなぜ「逆」なのか?って思います?

田房:「男には性欲があって、女にはない」ってことになっているからじゃないかな。
1:48:25

渋井:それって、今でもそうすか?

―客― 『セックス・アンド・シティ』が出て来てから変わって来たんじゃないか?

川原:ていうか、聞きたくないんじゃないですか?

田房:男のほうが嫌がる

渋井:女の性欲話は嫌がるの?

田房:女の人のほうが嫌がる確率が高いかな。女の人で「そんなこと言うのは辞めなさいよ」という人はいますし。

渋井:男性の性欲話は女性は嫌がる?

二村:それはセックスしたい人にしかしないでしょ?

渋井:そうなの?

二村:僕なんか、わりと見境なく誰でもしますけど、普通の男性は、気がある女性、しかもちょっとだけやりたい女性に対して、微妙にセクハラトークをして、「この女はどこまでやらせてくれるか?」を見るためにするんじゃないか?

川原:いやでも、男の人の・・・・

丸山:男の人は本気だと性欲話はしない。だからこっちもだんだん、そういう対象には見れなくなる。どんどん距離が離れていく。

渋井:性欲話をしたほうが距離が縮まる?

丸山:人によるんじゃないですか?(笑)私は、ということにしましたけど。ガーって来られると、アレですけど、それがあったほうがそういう風に見れますよね。なさすぎると、そう見れなくなって、いざそういう風に言われると、おっとととと、と反応してしまう。

渋井:人による、って言っていましたもんね。これってどっちがメジャーなんですか?

川原:男の人は、1対1だと違うんですけど、テレビとかで芸人さんが下ネタを言うのは、「こんなにフランクな俺」みたい記号になるんだけど、女の人が言うと、微妙な緊張感が漂う。ちょっと、難しいと思いますよね。

渋井:僕はガールズトークに行ったことないけど、女子会とか、ガールじゃないので。性欲話は出るんですか?

丸山:それもねグループによるんです。話さないグループはまったく話さない。話すグループはどこまでも。

渋井:話さないグループに入った場合。1人だけ話したいと思った人は、やはり、話しにくい?

丸山:私が「話したいのに、話せない」と思ったときに、すごくフワフワしますね。全体的に。「たぶん、確信は性欲になるから、問題が起きてるよね」って思ったときも、「性欲を解消すればなんとかなるよ」と言いたくても、この辺がフワフワって。

渋井:どうして、抑制しちゃう?

丸山:嫌われたくないんでしょうね。

渋井:もともと嫌われてるかもしれないじゃん。

丸山:ねえ。どうですかね?

川原:なんてこと言うんですか(笑)。

渋井:それを言ったところで、嫌われるかどうか、関係ないんじゃないの?

川原:いや、それは女子の掟をわかってないです。明文化されていないルールを読め、となっている。厳しい掟があるんですよ。

丸山:その掟を田房さんはやぶりたいんですよね。

田房:逆転したいですね。

渋井:逆転のために漫画も描いている?

田房:はい。

川原:むしろ、女子にむかついてる?

田房:意外とそうなんですよね。

川原:男子はお好きだとおっしゃった。

田房:男子は好きなんですけど、男子でも腹立つ人はいて。でも、男だけじゃない、っていう。女も意外とね。「化粧したほうがいいよ」と言ってくるのは女しかいない。今日もTwitterで、化粧と風俗の話になったんです。男の人にとっての「風俗」は、女の人にとってなんだろうと思っていたら、今日思った。

二村:本質的には同じこと?

田房:共通点は、街に氾濫している、というのと、どっちかの性のためのものである、ということ。利用する人としない人がいる。でも、風俗だったら、「男だったら、必ず行け」というわけでもないじゃないですか。でも、「女は化粧するべきだ」というのがあって。

二村:ある程度、年取ると「行け」とはならないけど、若いころは一種の通過儀礼として、人から強制されたりするんだよね。絶対ではないけど。そこも似てますね。

田房:女同士のほうが「あんた、ちゃんと化粧したほうがいいわよ」って言われる。男同士では「お前、風俗行って来いよ」って言う。共通点があるよな、って。
川原:同性同士の相互監視があるってこと?

田房:はい。それがなんか、

丸山:言う人は何がしたい?

田房:同じ自分を認めてほしい。自分がやっていることを、周りの人もすることで自分が正しいことを認識したい気持ちから言うんじゃないか。女の人たちって、目立つ人をはじこうとする。一緒にいることで肯定したい。

渋井:でも、「化粧しなさいよ」ということに乗ってしまうこともあるんじゃない?わざわざ乗らない選択をした。

田房:私ですか?乗れない。

渋井:乗らないのではなく、乗れない?

田房:はい。それは長年の生い立ちからになっちゃう。どこか、そういことに否定的な部分があったのかもしれない。みんなが化粧することを、ひいた目で見ていた。

渋井:化粧それ自体よりも、化粧を通じたコミュニケーションもありますよね?

川原:ありますね。

渋井:アイテムとしての化粧

田房:男の人にとっての風俗もそうじゃないすか?一緒に行ったりしませんか?

渋井:団体割引があるからね。

二村:そういう人たちがいるから、団体割引があるんですよ(笑)。会社とかのコミュニティで仕事が終わったら行くということもある。

田房:女だったら考えられない。隣の個室で「友達の喘ぎ声がする」って意味分かんないじゃないですか。男の人が普通。意味分かんないです。それは私情ですけど。

二村:僕は田房さんのいうことが分かるわけではなく、面白い。すごいな、って思っている。分かるというよりは、目から鱗ということがある。

田房:だいたいいつもよくわからない、って言われます。

二村:こういうトークをしていると、それは必ず「考え過ぎだよ」って意見は出てくる。考え過ぎる人には、考え過ぎる意味があって、考えすぎているからわかる真実もある。だから、「考え過ぎだよ」という意見を言っちゃダメって言っているわけではない。どっちでもいい。考え過ぎてる人は、考え過ぎてるから面白いんですよ。


(終わり 構成・フリーライター/渋井哲也)

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