野田稔・伊藤真の『社会人材学舎』VOL.1 NO.3
コンテンツ
今週のキーワード
「世の中の幸せの総量」
対談VOL.1 井上高志氏 vs. 野田稔
世の中は不公平! その非対称性に気づき、自分事化したときに
最初の一歩が踏み出せる
第3回 どうすれば、人生のターボスイッチは入るのか
粋に生きる
2月の主任:「立川志の春」
第3回 落語の修業はなぜ理不尽でなければいけないのか
誌上講座
テーマ1 これからの日本と我々のなすべきこと
第3回 これからのスター事業は、ソーシャル・アントレプレナー型だ
連載コラム より良く生きる術
釈 正輪
第3回 “Let it be”の仏教的な意味を考えてみる
Change the Life“挑戦の軌跡”
情報管理のエキスパートが取り組む草の根運動
第3回 皆が超主体的に活動を始めれば、事態はきっと好転する
NPOは社会を変えるか?
第3回 東京コミュニティー財団に立ちはだかる壁
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今週のキーワード
「世の中の幸せの総量」
誰もが自分自身の幸せ、つまり自分が思う幸せを追求していく。その結果として、世の中全体の幸せが増えていく、そんな社会がいい社会ではないだろうか。
ここで言う、世の中とか社会は、自分の周りの小さな社会、たとえば家庭とか、会社といった、個人にとってかけがえのない社会だけでなく、もっと広い、それこそ日本、そして世界、さらには地球……そうした広い社会をも意味する。
誰かが幸せになったら、代わりに誰かが不幸になるのではなく、誰もが幸せになる社会だ。
では、その幸せとは何か。もちろん、それは人それぞれで違う。つまり、それぞれの人が自分の個性を発揮できる。自分らしく生きる。そして、お互いの多様性を認め合えるような、そんな社会が幸せな社会だと思う。
昔から言われるように、日本では「皆と同じでなければいけない」という同調圧力が働く。企業の場合、その会社の目標や方針から少しでも外れることはよくないことだとネガティブにとらえられてしまう。家庭、学校、企業、そして社会が目的にしているものが近視眼的であると、どうしても同調圧力が強くなる。近視眼的な目的に適合しているかどうかだけが価値判断の基準になって、適合していない考えや言動は抑え込まれてしまう。その先の目標に思いを馳せない。
しかし、一歩先を考えて、本来の自分たちの幸せとは何なのかと考えれば、一人ひとりの個性を大切にしたほうが、よりその目標には合致するということが少なくない。
どんな組織でも、多様性を認めることが大切だ。そのほうが組織は変化に対応できる、しなやかな強さを持つことができる。それぞれの個性を生かした幸せを皆で共有できる、お互いの違いを認め合える寛容性も含めて、そういう社会こそが、幸せな社会のイメージだと思う。
しかも、自分が生んだ価値を享受する人がいて、その人たちも少しだけ幸せになれる。自分も幸せになって、周りも幸せになれば、世の中の幸せの総量が少しアップする。本来社会というものは、すべての人にそうなることを求めているのだと私たちは信じている。
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対談VOL.1
井上高志氏 vs. 野田稔
世の中は不公平!
その非対称性に気づき、自分事化したときに
最初の一歩が踏み出せる
本誌の特集は、(社)社会人材学舎の代表理事である野田稔、伊藤真をホストとし、毎回多彩なゲストをお招きしてお送りする対談をベースに展開していきます。ゲストとの対談に加え、その方の生き様や、その方が率いる企業の理念などに関する記事を交え、原則として4回(すなわち一月)に分けてご紹介していきます。
第1回のゲストは、株式会社ネクストの代表取締役社長である井上高志氏です。
「ネクスト?」と思われる人もいるかもしれませんが、不動産・住宅情報サイト「HOME’S」と言えば、多くの人が頷くことでしょう。
今週は第3回です。いよいよ対談も佳境に差し掛かります。母親が築いてくれたOS、有言実行と自分事化など、数々のキーワードが登場します。
第3回 どうすれば、人生のターボスイッチは入るのか
働くとは、「傍を楽にする」こと。それが原点
野田:特に大企業に勤める若手ビジネスパーソンの多くは、会社の中で“使われている感”があるのだと思います。だから、仕事というのは明らかに嫌なもので、仕事をする自分は本来あるべき自分ではないと考えている人も少なくないようです。そんな状況ですから、仕事って一体何なのか。何のためにするのか、そこから問い直していきたいのです。
井上:働くということの意味には諸説ありますが、その中に、「傍(はた:他者)を楽にする」という言葉があります。私は、この解釈が好きです。
物々交換の時代に思いを馳せてみると、わかりやすいです。それぞれ自分の得意なことをして……、ある者はイノシシを捕まえて、ある者は魚を捕まえて、ある者は木の実を集めて、それで物々交換をして、お互いに感謝しあいながら生活をしている。自分の得意技で社会に寄与しているわけです。まさに、互いが傍を楽にしていたわけです。
それが基本なのだけど、人口が増え、文明が発達するに従って、社会は複雑になってしまった。しかも、貨幣が生まれ、成長した。いつしか、物差しであったはずの貨幣に一番価値があるような社会になってしまった。手段が目的と入れ替わってしまって、人々は自分は何が得意で、何がしたいのかもわからずに、貨幣を手に入れるためにあくせくと働かなくてはいけなくなってしまった。それはおかしな話なので、もう一度、原点を見つめ直すべきだと思っているのです。
野田:それが利他主義に通じるわけですね。
井上:はい、それで利他主義を掲げています。そのためには情熱とかパワーが必要なのですが、普通、そういうものがガンと発揮されるのは趣味の世界ですよね。趣味の世界で好きなことをずっと続けていける人もいるかもしれないけど、それはあくまでも自己満足の世界でループしているのだけです。
人間は人と人との関わりの中で社会を作っているので、誰かの役に立つ、小さな範囲でもいいから社会に貢献するということがとても大切なことだと思います。
野田:貢献すれば必ず感謝されます。
井上:その感謝に接して、人間は細胞レベルで活性化し、嬉しくなって、もっとやりたくなる。それは誰もが持っている循環で、だから、利他で当たり前だと思うのです。その利他の心を長く続けていく。長く続けば信念になります。その信念を支えるのが義憤です。不公平や必要悪と言われるものに対する憤りが、信念を支えます。長く続く秘訣です。そうした信念のために働く。それが私にとっての働くということの意味です。
相手が自分の親兄弟でも、同じことができますか?
野田:そのきっかけとなる義憤ですが、井上さんが最初に感じられた義憤が不動産会社と顧客との間にある情報の非対称性ですね。
井上:自分のいた会社に限らず、不動産業界には、情報の非対称性が当たり前に存在しています。たとえば抽選を行います。その場合も恣意性が入ります。アンケートに記入された自己資金や収入などを勘案して、「こっちだな」とか、「この人は、この立地をすごく気に入っていたから、希望している部屋でなくても多分、買うから、こっちでいいな」などと、即日完売させるための調整を裏でやっているのです。入社早々、そういう、見てはいけないものも見てしまいました。
野田:お客さんは皆、真剣なのに……。
井上:はい。生涯賃金の4分の1から3分の1も使う買い物なのに、そんなことをしている。「自分の親兄弟でも同じことができますか?」と聞きたいわけですよ。それを「テクニックだ」と豪語するわけです。強い違和感を持ちましたね。当時、今の自分には何もできないけど、いつか変えてやろうと強く思いました。
野田:でもね、その義憤を持つことができた井上さんは、幸せだったと思うのですね。多くの人は、そういう現場に直面しても、「まあいいか」と思ってその違和感を無視してしまうと思います。そうしないためにはどうしたらいいか、そこがポイントだと思うのです。忘れようと思えば、きっと忘れられますよね。
井上:そうですね。うまく説明できないけど……
野田:たとえ、井上さんでも、そのままたとえば5年、忙しく過ごしてしまえば、その怒りは覆い隠されていたと思うのです。つまり、皆が持つはずの義憤を、しっかりと表に出せるというのは、皆にできることではないような気がします。多くの人は、特に若者は、その点を悩んでいるのではないかな。
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