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石のスープ
定期号[2013年6月14日号/通巻No.82]
今号の執筆担当:渡部真
こんにちは。「浅草の紹介」の続きをまだ配信していないのですが、Twitterでつぶやこうと思って書き出した「感想文」が長くなったので、せっかくだから「石のスープ」で配信します。
『WEBRONZA』で、朝日新聞の奥山俊宏記者が「意図的に過小報道したというマスメディア批判に反論する」という記事を書いている。2011年3月の東京電力・福島第一原発の事故以降、大手メディアが事故について過小報道していたという意見に対して、誤解であると反論を書いたものだ。
(以下、ここで「大手メディア」とは、大手新聞社と大手テレビ局とする)
【WEBRONZA】
「《原発報道を根底から検証する》 意図的に過小報道したというマスメディア批判に反論する」
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2013061100001.html
【Journalism】2013年6月号
http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/1306.html
なぜ、そうした「誤解」が生じたか、奥山記者は「第1に、アメリカ政府の間違った発表と、海外報道のミスリーディング」「第2に、一部溶融か全溶融かで、メルトダウンに対して認識が甘かった」「第3に、発表報道の域を超えられなかった」「第4に、放射性物質による健康被害の不明確性」という4点を「心当たり」として分析している。
この記事の終盤、奥山記者は、「反省すべき点は数多くある」としながら、「あえて反論をしておく」と書いている。
実際、奥山記者は、昨年『Journalism』(朝日新聞出版)2012年7月号で、「〈福島原発事故〉報道と批判を検証する〜東電原発事故の現実と認識、その報道、そしてギャップ」という記事を書いていて、その中で、事故当時の原発報道について検証をして、大手メディアに対する批判に反論するだけでなく、今後どうあるべきか、発表報道だけでなく調査報道の重要性などにも触れ、今後の報道のあり方について問題提起もされている。
また、その記事の中で、事故直後に利用された「東電のテレビ会議システム」の音声や映像を公開する事と、その検証が重要であると言及し、実際に奥山記者は公開されたテレビ会議システムを丹念の検証し、「検証 東電テレビ会議」(朝日新聞著/朝日新聞出版刊)という形で発表されている。
いずれも優れた記事だった。
奥山記者が、あえて反論を書いておく意味は分かる。曖昧な表現や、あるいは事実ではない捏造によって、大手メディアを批判する言論人がもてはやされ、あたかも「大手メディは報じない」という事が既成事実かされてしまうことに対して、ハッキリと反論するのは正しいと思う。
ただ、奥山記者の反論が、この数年で大手メディアに不信感を抱いた人達に、ちゃんと伝わるのだろうか……。僕は、残念ながらあまり伝わらないんじゃないかと思う。
■「大手メディア批判芸」で稼ぐ記者たち
奥山記者は、『Journalism』2012年7月号で、大手メディアを批判して注目を浴びる記者について、とくに上杉隆氏を名指しでとりあげ、その反論を書いている。
僕も、「大手メディア批判芸」の記者達に対しては、同じように批判的な立場だ。
2011年8月、僕はTwitterで「誤解してる人いるけど、警戒区域に大手メディアの記者も入ってるよ」とつぶやいた。
https://twitter.com/craft_box/status/103685372013318144
実際、大手メディアの記者達は警戒区域に入って取材し、それについて報じてもいた。
僕は、上杉隆氏に対して、2011年8月に都内のイベント会場で会った際にそのことを伝えた。この頃、上杉氏と共著を出して、上杉氏と度々イベントに出演していた烏賀陽弘道氏にも伝えた。しかし、彼ら「大手メディア批判芸」の記者達は僕の指摘を無視し、「警戒区域に大手メディアの記者はいない」と言い続けた。
上杉氏は「批判記事を書くなら本人に確認(当て取材)するのがジャーナリストとしての常識」という言葉をよく使うが、大手メディアの記者達にちゃんと取材したのだろうか? この頃、烏賀陽氏は「テレビ新聞記者たちが一人残らず『社の方針』に従い、原発20キロ圏内に入らない、入って取材しないというのは驚くべき現象だ」とtwitterで書いていたが、上杉氏も烏賀陽氏も、僕が8月に会った際、自分たちはまだ警戒区域に入っていないと言っていた。自分たちで見て確認したわけでもなく、僕が指摘をしても発言を修正する事もしない。この時、「大手メディア批判芸」なんてもんには甚だ呆れたの覚えている。
ところが、そうした記者たちを信奉している人達は、彼らが「警戒区域に大手メディアは入ってない」と言えばそれを信じ、「大手メディアは報じない」という(ほとんどの場合、そんな事はあり得ない)キャッチフレーズに飛びついた。
当時、こんな僕ですら震災に関する記事を書く際、雑誌やネットメディアから「大手メディアが報じない」という見出しの記事を求められた。
震災直後から、福島県南相馬市の桜井勝延市長が「南相馬から大手メディアが消えた」と言ったのも影響があった。それについては、朝日新聞が連載記事で検証していている。
【朝日新聞】現場からいちはやく記者が消えた! 原発とメディア 3・11後
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2013012800006.html
たしかに一旦は撤退した大手メディアもあったらしい。だけど、事故直後から大手メディアの記者達も南相馬で取材を続けているし、僕が3月25日に南相馬に行った時、通信社と新聞社の記者が、津波被害の現場や避難所で取材している姿を見ている。
記者室に常駐する記者がいなくなった南相馬市役所でも、僕が行く数日前にはNHKや民放局が市長や広報担当者に取材していた。ところが4月になっても「南相馬はメディアが逃げた」と言われていた。こうした事実と違う、もしくはオーバーな表現は、「大手メディア批判芸」で稼ぐ記者達によって、ずっと伝播され続けていった。
ここで重要なのは、大手メディアを批判することの是非じゃない。「大手メディア批判芸」を得意とする記者達の中に、明らかに嘘、捏造、誇張もしくは曖昧ない表現などで読者をミスリードし、そうした手法によって批判を繰り返していることが、許されるべきじゃないという事だ。
批判をするなら、事実をもとに批判をすべきである。奥山記者が『Journalism』2012年7月号で書いた反論は、極めて真っ当な反論なわけである。
■「メルトダウン」と「炉心溶融」
ところで、奥山記者が繰り返し検証している「大手メディアはメルトダウンを正確に伝えたか?」という点だが、僕は「伝えたと言えば伝えていたけど、けっして十分とは思えない」と感じている。
これは、奥山記者のように丁寧な検証をしたものではないけども、原発事故の翌日から何度か記者会見に参加し、新聞報道などを見ていた僕の率直な印象だ。
たしか3月13日の会見からだったが、突然、会見場でメルトダウンって言葉が使われなくなって「炉心溶融」に統一されたような感じを受けた。
15日、保安院の会見に行った時、ブラ下がりで「炉心溶融はメルトダウンではないのか?」って聞いたら、保安院の広報担当者から「メルトダウンって言葉は使っていない」の一点張り。その頃から新聞もテレビも、炉心溶融で統一されたように見えた。
当時、「チャイナシンドローム」と同じように「メルトダウン」って言葉は、事故以前から原発問題を意識していた人達には浸透していた。だから、わざわざ「炉心溶融」って言葉に直す方が違和感があった。そこには「メルトダウンって言葉よりも、炉心溶融って言葉の方がイメージを矮小化できる」という行政や東電側の意図が見え隠れしたからだ。
例えば、池田信夫氏などは、当時から「メルトダウンという言葉は使わないほうがいい」と記事を書いていた。
事故から2か月後、5月13日になって東電がメルトダウンを認めるようになってから、再び大手メディアでも「メルトダウン」という言葉が使われるようになった。それでも池田氏は、8月に「海外でメルトダウンと伝えられると、まるでチェルノブイリみたいに爆発するように伝わり、それが日本に逆輸入され大騒ぎになるから」(IT復興円卓会議)と、メルトダウンという言葉を使うべきでなかったと自己弁護してる。
【BLOGOS】「メルトダウン」という言葉はやめよう
http://blogos.com/article/3399/
【ニコ生】「IT復興円卓会議」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv59798260
■大手メディアの伝え方は不十分だった
多くの大手メディアも、それに沿っていた。
僕は当時、何人かの大手メディアの記者に対して「炉心溶融ってメルトダウンの事でしょ? すでにメルトダウンって言葉の方が広まっているんだから、炉心溶融よりも読者に伝わりやすいのでは?」という話をした。しかし「現場では判断できない」「確認できないことは、発表する側の言葉を使わざるを得ないので仕方ない」という言葉が返ってきた。
そんな反応に苛立ちながら、3月20日、仙台に向う車の中で、同乗したフリーランサーとネットメディアの記者(ともに新聞出身)に「あいつら、こんな状況で、発表報道だけやってて恥ずかしいと思っていないなんて、意識低すぎて腹が立つ」というような事をグチグチと言っていたら、「意識高い系のお前と違って、会見の現場にいる記者なんてそれが当たり前」と嗜められた。
たしかに、発表されたことを正確に伝える事も大事だ。ただ僕が腹立ったのは、当時、東電も保安院・政府も、「メルトダウン」って言葉より「炉心溶融」って言葉の方が、イメージを矮小化できるって意図が見え隠れしていたのに、大手メディアがそこに対抗していなかったからだ。
それは、「爆発的事象」「ただちに健康に影響はない」も同じだ。
官僚的な言葉をできるだけ分かりやすく読者・視聴者に伝えるのはマスコミの役割の一つだ。にも拘らず、震災から1〜2か月の間、大手メディアの記事は「発表報道」の域を脱していなかったように写っていた。
震災から3か月ほど経った頃、僕は大手新聞で震災報道のデスクを担当していた記者と会った際、この点について質問をした。当時、すでに大手メディアに対する不信感は広がっていた。この記者は「未曾有の大震災のなか、震災直後から数週間、津波の被害、原発事故、中央官庁や政界の動きなど、あらゆる情報が入ってくる中で、十分に整理している余裕もなく、発表報道が中心となってしまった事に反省すべき点はある」と話した。
この点について奥山記者も「政府に寄り添う報道になっていた」という側面は認め、唯一の情報源である東電から得られた情報から限界は致し方なかったは言いつつも、「もっと多くの情報を東電から引き出し、その報道を充実させるべきだった」と書いている。
『Journalism』2012年7月号では、「差分」「積分」という独自の分析をした上で、「『差分』の結果のプラスばかり焦点をあてて、『積分』結果のマイナスを軽視したとすれば、それはバランスを欠いた報道だったと言えるかもしれない」と、不十分さを認めている。
■不信の理由は「大手メディア批判芸」だけではない
前述の上杉氏は、2012年10月になって、震災以降から「大手メディアは●●については報じていない」などと発言したものをすべて「十分なものではなかった」などに訂正すると宣言した。
【上杉隆事務所よりおしらせ】
http://uesugitakashi.com/?p=2138
こんなウルトラC級の離れ業をやっちゃうなんて言論人としてあまりにも無責任だ。震災から1年半、上杉氏の言動を受け止めてきた読者・視聴者は、「上杉事務所のお知らせ」なんてほとんど見ていないだろうし、過去の発言の責任がこんないい加減な手法で取り消されることを認めてしまえば、「言論の信用性」など破壊されてしまう。
上杉氏のやり方は馬鹿馬鹿しくて話にならないが、しかし、「大手メディア批判芸」で稼ぐ記者達が恥ずかしげもなくこうした芸当を披露し続けるのも、「大手メディアの不十分さ」が与えた隙から来ているとも言えるだろう。
もちろん、大手メディアだって発表報道だけをしていたわけじゃない。
けれども、「事故の危険性について過小評価しないで教えてほしい」という読者の要求に応えていたとは思えない。
僕は、2011年秋、某大学に協力して、いわき、郡山、二本松、福島、伊達、相馬などの福島県内の仮設住宅や街頭でアンケート調査を行った。
そのなかで、「原発報道に関して新聞やテレビが十分に報じたとは思えない」「政府の意図に沿っていたと思う」という印象を受けている人が多くて驚いた。仮設住宅で暮らす人たちが、「大手メディア批判芸」に毒された人達ばかりとは思えない。
実際に、こう答えた人が、「新聞やテレビは頑張っていると思う」「新聞やテレビに期待している」と、同時に答えている。つまり、単純にマスコミ不信感を持っているわけではないのに、大手ディアの原発報道について不満を持っていたわけだ。
こうした読者の不満は、全国で起こっていたはずだ。
奥山記者の検証には頭が下がる。前述した通り、「大手メディア批判芸」は僕も好きじゃないし、大手メディアが反論をするのは大事だと思う。
しかし、「炉心溶融って伝えていたよ!!」「俺たちはちゃんと報じていたぞ!」ってことを、いくら自己弁護のように叫んでも、それではもう、不信感は拭えないと感じるのだ。
逆に言えば、大手メディアが「俺、ちゃんと伝えてたし」ってなことを言ってても、「大手メディア批判芸」で飯喰ってる芸人たちは、いつまでも飯の種に困らないだろうなぁ……ってことだ。
そこに、大手メディアに対する不信感や批判の核みたいなもんがあるのではないだろうか?
じゃぁ、それが何かっていうと……よく分かりません。
まぁ、とっ散らかった感想ですが、「大手メディアの皆さん、がんばってください」って気持ちと、「う〜ん、そんな事言ってても、多分伝わんないよなぁ……」って気持ちがモヤモヤっとしながら、奥山記者の記事を読んだ次第です。
このブログは、「石のスープ」の売上げで管理・公開されています。
編集部メンバーの取材経費の支援・カンパとして、会員登録・定期購読のご協力を頂ければ幸いです。
石のスープ
定期号[2013年6月14日号/通巻No.82]
今号の執筆担当:渡部真
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* * * * * *
『WEBRONZA』で、朝日新聞の奥山俊宏記者が「意図的に過小報道したというマスメディア批判に反論する」という記事を書いている。2011年3月の東京電力・福島第一原発の事故以降、大手メディアが事故について過小報道していたという意見に対して、誤解であると反論を書いたものだ。
(以下、ここで「大手メディア」とは、大手新聞社と大手テレビ局とする)
【WEBRONZA】
「《原発報道を根底から検証する》 意図的に過小報道したというマスメディア批判に反論する」
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2013061100001.html
【Journalism】2013年6月号
http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/1306.html
なぜ、そうした「誤解」が生じたか、奥山記者は「第1に、アメリカ政府の間違った発表と、海外報道のミスリーディング」「第2に、一部溶融か全溶融かで、メルトダウンに対して認識が甘かった」「第3に、発表報道の域を超えられなかった」「第4に、放射性物質による健康被害の不明確性」という4点を「心当たり」として分析している。
この記事の終盤、奥山記者は、「反省すべき点は数多くある」としながら、「あえて反論をしておく」と書いている。
実際、奥山記者は、昨年『Journalism』(朝日新聞出版)2012年7月号で、「〈福島原発事故〉報道と批判を検証する〜東電原発事故の現実と認識、その報道、そしてギャップ」という記事を書いていて、その中で、事故当時の原発報道について検証をして、大手メディアに対する批判に反論するだけでなく、今後どうあるべきか、発表報道だけでなく調査報道の重要性などにも触れ、今後の報道のあり方について問題提起もされている。
また、その記事の中で、事故直後に利用された「東電のテレビ会議システム」の音声や映像を公開する事と、その検証が重要であると言及し、実際に奥山記者は公開されたテレビ会議システムを丹念の検証し、「検証 東電テレビ会議」(朝日新聞著/朝日新聞出版刊)という形で発表されている。
いずれも優れた記事だった。
奥山記者が、あえて反論を書いておく意味は分かる。曖昧な表現や、あるいは事実ではない捏造によって、大手メディアを批判する言論人がもてはやされ、あたかも「大手メディは報じない」という事が既成事実かされてしまうことに対して、ハッキリと反論するのは正しいと思う。
ただ、奥山記者の反論が、この数年で大手メディアに不信感を抱いた人達に、ちゃんと伝わるのだろうか……。僕は、残念ながらあまり伝わらないんじゃないかと思う。
■「大手メディア批判芸」で稼ぐ記者たち
奥山記者は、『Journalism』2012年7月号で、大手メディアを批判して注目を浴びる記者について、とくに上杉隆氏を名指しでとりあげ、その反論を書いている。
僕も、「大手メディア批判芸」の記者達に対しては、同じように批判的な立場だ。
2011年8月、僕はTwitterで「誤解してる人いるけど、警戒区域に大手メディアの記者も入ってるよ」とつぶやいた。
https://twitter.com/craft_box/status/103685372013318144
実際、大手メディアの記者達は警戒区域に入って取材し、それについて報じてもいた。
僕は、上杉隆氏に対して、2011年8月に都内のイベント会場で会った際にそのことを伝えた。この頃、上杉氏と共著を出して、上杉氏と度々イベントに出演していた烏賀陽弘道氏にも伝えた。しかし、彼ら「大手メディア批判芸」の記者達は僕の指摘を無視し、「警戒区域に大手メディアの記者はいない」と言い続けた。
上杉氏は「批判記事を書くなら本人に確認(当て取材)するのがジャーナリストとしての常識」という言葉をよく使うが、大手メディアの記者達にちゃんと取材したのだろうか? この頃、烏賀陽氏は「テレビ新聞記者たちが一人残らず『社の方針』に従い、原発20キロ圏内に入らない、入って取材しないというのは驚くべき現象だ」とtwitterで書いていたが、上杉氏も烏賀陽氏も、僕が8月に会った際、自分たちはまだ警戒区域に入っていないと言っていた。自分たちで見て確認したわけでもなく、僕が指摘をしても発言を修正する事もしない。この時、「大手メディア批判芸」なんてもんには甚だ呆れたの覚えている。
ところが、そうした記者たちを信奉している人達は、彼らが「警戒区域に大手メディアは入ってない」と言えばそれを信じ、「大手メディアは報じない」という(ほとんどの場合、そんな事はあり得ない)キャッチフレーズに飛びついた。
当時、こんな僕ですら震災に関する記事を書く際、雑誌やネットメディアから「大手メディアが報じない」という見出しの記事を求められた。
震災直後から、福島県南相馬市の桜井勝延市長が「南相馬から大手メディアが消えた」と言ったのも影響があった。それについては、朝日新聞が連載記事で検証していている。
【朝日新聞】現場からいちはやく記者が消えた! 原発とメディア 3・11後
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2013012800006.html
たしかに一旦は撤退した大手メディアもあったらしい。だけど、事故直後から大手メディアの記者達も南相馬で取材を続けているし、僕が3月25日に南相馬に行った時、通信社と新聞社の記者が、津波被害の現場や避難所で取材している姿を見ている。
記者室に常駐する記者がいなくなった南相馬市役所でも、僕が行く数日前にはNHKや民放局が市長や広報担当者に取材していた。ところが4月になっても「南相馬はメディアが逃げた」と言われていた。こうした事実と違う、もしくはオーバーな表現は、「大手メディア批判芸」で稼ぐ記者達によって、ずっと伝播され続けていった。
ここで重要なのは、大手メディアを批判することの是非じゃない。「大手メディア批判芸」を得意とする記者達の中に、明らかに嘘、捏造、誇張もしくは曖昧ない表現などで読者をミスリードし、そうした手法によって批判を繰り返していることが、許されるべきじゃないという事だ。
批判をするなら、事実をもとに批判をすべきである。奥山記者が『Journalism』2012年7月号で書いた反論は、極めて真っ当な反論なわけである。
■「メルトダウン」と「炉心溶融」
ところで、奥山記者が繰り返し検証している「大手メディアはメルトダウンを正確に伝えたか?」という点だが、僕は「伝えたと言えば伝えていたけど、けっして十分とは思えない」と感じている。
これは、奥山記者のように丁寧な検証をしたものではないけども、原発事故の翌日から何度か記者会見に参加し、新聞報道などを見ていた僕の率直な印象だ。
たしか3月13日の会見からだったが、突然、会見場でメルトダウンって言葉が使われなくなって「炉心溶融」に統一されたような感じを受けた。
15日、保安院の会見に行った時、ブラ下がりで「炉心溶融はメルトダウンではないのか?」って聞いたら、保安院の広報担当者から「メルトダウンって言葉は使っていない」の一点張り。その頃から新聞もテレビも、炉心溶融で統一されたように見えた。
当時、「チャイナシンドローム」と同じように「メルトダウン」って言葉は、事故以前から原発問題を意識していた人達には浸透していた。だから、わざわざ「炉心溶融」って言葉に直す方が違和感があった。そこには「メルトダウンって言葉よりも、炉心溶融って言葉の方がイメージを矮小化できる」という行政や東電側の意図が見え隠れしたからだ。
例えば、池田信夫氏などは、当時から「メルトダウンという言葉は使わないほうがいい」と記事を書いていた。
事故から2か月後、5月13日になって東電がメルトダウンを認めるようになってから、再び大手メディアでも「メルトダウン」という言葉が使われるようになった。それでも池田氏は、8月に「海外でメルトダウンと伝えられると、まるでチェルノブイリみたいに爆発するように伝わり、それが日本に逆輸入され大騒ぎになるから」(IT復興円卓会議)と、メルトダウンという言葉を使うべきでなかったと自己弁護してる。
【BLOGOS】「メルトダウン」という言葉はやめよう
http://blogos.com/article/3399/
【ニコ生】「IT復興円卓会議」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv59798260
■大手メディアの伝え方は不十分だった
多くの大手メディアも、それに沿っていた。
僕は当時、何人かの大手メディアの記者に対して「炉心溶融ってメルトダウンの事でしょ? すでにメルトダウンって言葉の方が広まっているんだから、炉心溶融よりも読者に伝わりやすいのでは?」という話をした。しかし「現場では判断できない」「確認できないことは、発表する側の言葉を使わざるを得ないので仕方ない」という言葉が返ってきた。
そんな反応に苛立ちながら、3月20日、仙台に向う車の中で、同乗したフリーランサーとネットメディアの記者(ともに新聞出身)に「あいつら、こんな状況で、発表報道だけやってて恥ずかしいと思っていないなんて、意識低すぎて腹が立つ」というような事をグチグチと言っていたら、「意識高い系のお前と違って、会見の現場にいる記者なんてそれが当たり前」と嗜められた。
たしかに、発表されたことを正確に伝える事も大事だ。ただ僕が腹立ったのは、当時、東電も保安院・政府も、「メルトダウン」って言葉より「炉心溶融」って言葉の方が、イメージを矮小化できるって意図が見え隠れしていたのに、大手メディアがそこに対抗していなかったからだ。
それは、「爆発的事象」「ただちに健康に影響はない」も同じだ。
官僚的な言葉をできるだけ分かりやすく読者・視聴者に伝えるのはマスコミの役割の一つだ。にも拘らず、震災から1〜2か月の間、大手メディアの記事は「発表報道」の域を脱していなかったように写っていた。
震災から3か月ほど経った頃、僕は大手新聞で震災報道のデスクを担当していた記者と会った際、この点について質問をした。当時、すでに大手メディアに対する不信感は広がっていた。この記者は「未曾有の大震災のなか、震災直後から数週間、津波の被害、原発事故、中央官庁や政界の動きなど、あらゆる情報が入ってくる中で、十分に整理している余裕もなく、発表報道が中心となってしまった事に反省すべき点はある」と話した。
この点について奥山記者も「政府に寄り添う報道になっていた」という側面は認め、唯一の情報源である東電から得られた情報から限界は致し方なかったは言いつつも、「もっと多くの情報を東電から引き出し、その報道を充実させるべきだった」と書いている。
『Journalism』2012年7月号では、「差分」「積分」という独自の分析をした上で、「『差分』の結果のプラスばかり焦点をあてて、『積分』結果のマイナスを軽視したとすれば、それはバランスを欠いた報道だったと言えるかもしれない」と、不十分さを認めている。
■不信の理由は「大手メディア批判芸」だけではない
前述の上杉氏は、2012年10月になって、震災以降から「大手メディアは●●については報じていない」などと発言したものをすべて「十分なものではなかった」などに訂正すると宣言した。
【上杉隆事務所よりおしらせ】
http://uesugitakashi.com/?p=2138
こんなウルトラC級の離れ業をやっちゃうなんて言論人としてあまりにも無責任だ。震災から1年半、上杉氏の言動を受け止めてきた読者・視聴者は、「上杉事務所のお知らせ」なんてほとんど見ていないだろうし、過去の発言の責任がこんないい加減な手法で取り消されることを認めてしまえば、「言論の信用性」など破壊されてしまう。
上杉氏のやり方は馬鹿馬鹿しくて話にならないが、しかし、「大手メディア批判芸」で稼ぐ記者達が恥ずかしげもなくこうした芸当を披露し続けるのも、「大手メディアの不十分さ」が与えた隙から来ているとも言えるだろう。
もちろん、大手メディアだって発表報道だけをしていたわけじゃない。
けれども、「事故の危険性について過小評価しないで教えてほしい」という読者の要求に応えていたとは思えない。
僕は、2011年秋、某大学に協力して、いわき、郡山、二本松、福島、伊達、相馬などの福島県内の仮設住宅や街頭でアンケート調査を行った。
そのなかで、「原発報道に関して新聞やテレビが十分に報じたとは思えない」「政府の意図に沿っていたと思う」という印象を受けている人が多くて驚いた。仮設住宅で暮らす人たちが、「大手メディア批判芸」に毒された人達ばかりとは思えない。
実際に、こう答えた人が、「新聞やテレビは頑張っていると思う」「新聞やテレビに期待している」と、同時に答えている。つまり、単純にマスコミ不信感を持っているわけではないのに、大手ディアの原発報道について不満を持っていたわけだ。
こうした読者の不満は、全国で起こっていたはずだ。
奥山記者の検証には頭が下がる。前述した通り、「大手メディア批判芸」は僕も好きじゃないし、大手メディアが反論をするのは大事だと思う。
しかし、「炉心溶融って伝えていたよ!!」「俺たちはちゃんと報じていたぞ!」ってことを、いくら自己弁護のように叫んでも、それではもう、不信感は拭えないと感じるのだ。
逆に言えば、大手メディアが「俺、ちゃんと伝えてたし」ってなことを言ってても、「大手メディア批判芸」で飯喰ってる芸人たちは、いつまでも飯の種に困らないだろうなぁ……ってことだ。
そこに、大手メディアに対する不信感や批判の核みたいなもんがあるのではないだろうか?
じゃぁ、それが何かっていうと……よく分かりません。
まぁ、とっ散らかった感想ですが、「大手メディアの皆さん、がんばってください」って気持ちと、「う〜ん、そんな事言ってても、多分伝わんないよなぁ……」って気持ちがモヤモヤっとしながら、奥山記者の記事を読んだ次第です。
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渡部真 わたべ・まこと
1967年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執 筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。震災関連では、「3.11絆のメッセージ」(東京書店)、「風化する光と影」(マイウェイ出版)、「さよなら原発〜路上からの革命」(週刊金曜日・増刊号)を編集・執筆。
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