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佐々木俊尚の未来地図レポート 2013.7.19 番外編
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特別号
『レイヤー化する世界』はどのようにして書かれたのか
~~世界観を学ぶ長期のセミナー「視座塾」へのご招待
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『レイヤー化する世界』をどのように執筆したのかを、今回の番外編では書いてみたいと思います。なお最後に小さな宣伝をさせていただいていますので、そこまでお読みいただければ幸甚です!
今回の本は、昨年の春ぐらいから書き始めました。当初は新書サイズでの刊行は考えておらず、ソフトカバーの小ぶりで薄い単行本として、中高生向けに読んでもらうことを考えていました。妻松尾たいこのイラストをふんだんに使って……というのは当初から立てていた計画です。
いまの時代を歴史を踏まえて書くというのも、当初からの計画でした。私はこの数年、膨大な量の歴史書を漁って勉強し続けており、その中でひとつのコンセプトがぼんやりと結んできていました。いちばんの軸になったのは、ネグリ=ハートの『<帝国>』という本です。読みにくいうえたいへん分厚い思想書なのでお勧めはできませんが、この中に書かれていた「権力を誰が持っているのかという、その移り変わりがヨーロッパの歴史を決めてきた」という考え方にとても強く惹かれました。中世はカトリック教会だったのが、宗教改革やルネサンスやフランス革命で人間中心に移り、揺り戻しで王政復古があって、その後民主主義に、というような流れです。
そこで私が考えたのは、村上春樹さんの「壁と卵」論。これは2009年に村上さんがイスラエルに出向き、「エルサレム賞」の受賞式でおこなったスピーチで語ったものです。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私はつねに卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます」
「ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です」
「我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは『システム』と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率良く、そしてシステマティックに」
もともとの村上春樹文学は、1980年代ごろまでの「私は社会と関わりたくない」というような若者の空気感ととても親和性が高かったと思います。社会と自分の間に距離を置き、それはウォークマンで音楽を聴きながら、街の風景を眺めているのにも似ていました。そうして「やれやれ」とため息をつきながら、料理をしたり酒を呑んだりしていたわけです。どのようにして世界のシステムから回避し、孤独でシニカルな生き方を選びとることができるのかというのが春樹文学の基調だったのです。
ところが1990年代に入ってから、村上春樹さんの主題は大きく変わったと言われています。エルサレム賞受賞の際、イスラエルの新聞が村上さんをインタビューした記事があります。以下の日本語訳は『漂流博士』というブログからの引用です。
「僕の初期の作品では、主人公はみな孤独でしたが、時間と共に、僕の主人公たちは他人との人間関係を求めるように変わってきたと思います」
つまり「壁」からひたすら逃げようとしていた主人公は、「卵」がどう「壁」を乗り越え、他の「卵」たちと接続し、お互いに承認していくのかと考えるようになったということなのです。
この春樹文学の転換は、日本の戦後社会の変容と重なっています。戦前の農村社会から高度経済成長期の企業社会に至るまで、日本社会は一貫して同調圧力の高い内向きのコミュニティでした。しかし1990年代後半からゼロ年代にかけ、終身雇用制の衰退や非正規雇用の増加に見られるように家族的な企業文化は消え、これによって拠り所を失った人たちが接続と承認を求めるようになっていきました。
このような時代状況の中で、「卵」と「卵」はどうつながることができるのでしょうか。
壁と卵は、単純な対立構図ではありません。壁を壊せばいいというわけではないのです。壁は卵を作り、卵は壁を支える。われわれはつねに壁に荷担し、壁との共犯関係を作っている。そういう共犯関係があるということなのです。その謎を解き明かし、そして新たな卵と卵と壁の世界観を作り上げることは可能なのだろうか、というのが春樹文学のメインテーマのひとつでしょう。そしてこのテーマは、実はネグリ=ハートの<帝国>論にもつながるテーマであり、そして私の『レイヤー化する世界』の基調にもなっているのです。
システムは隅々にまでおよんでいるため、システムの批判さえシステムの一部になってしまうという状況があります。「お釈迦様の手のひらから逃れられない」ということですね。そして私たちは逃れられないのと同時に、システムの批判でさえもシステムに加担するという逆説的なことをしてしまっています。じゃあこの状況で、抵抗とはいったい何なのか?
必要なのは、システムを忌避するのでも、それに飲み込まれてしまうのではありません。それをうまく利用する「主体」となることこそが、生き延びてシステムと対抗していく方法なのです。これこそがネグリ=ハートが、主体のある個人として定義した「マルティチュード」(通常は群衆、などと訳される英単語ですが)です。
私たちは壁を作りつづけ、そしてその壁を壊しつづけ、つまりは壁は私たちそのものであるということでもあります。「自分の心の中の壁を壊そう」というような暗喩ではなく、壁そのものが私たちなのです。
……これまで書いてきたようなイメージがまず私の中に確固とあり、それと歴史、そしてテクノロジを結びつける全体像がわかりやすく描けないかなと考えました。『レイヤー化する世界』はその結実としてできあがった本です。
このコンセプトをそのまま書いても抽象的で、説得力はもてないでしょう。ただでさえITなどのテクノロジに反発を感じ、そういう時代に適合しようとする若者たちを「意識高い系」などと揶揄する大人が多いのです。私がテクノロジをベースにした「壁と卵」論を書いても、「根拠ない」「空想」と片付けられるのがオチです。
だったらまず歴史を振り返り、長い歴史の全体像の中から、いまの社会の行き着く先を描き出してしまおう。
そもそも皆さんが自明のものと思っている民主主義や国民国家は、いつ生まれてきたのか。マスメディアはいつ普及したのか。そういう歴史を振り返って見ると、「いま当たり前」と思っているものは大半が19世紀の終わり以降に作られたものであることがわかります。西欧化が遅れた日本では、大半の伝統は太平洋戦争後だったりします。商店街。盆踊り。マスコミ。専業主婦。サラリーマン。みんなそうです。
與那覇潤さんの『中国化する日本』では、日本の誇るムラ社会もしょせんは17世紀以降であると説明されています。平安時代には荘園やイエの封建制の特権にあずかれたのは貴族だけでしたが、鎌倉時代にはここに武士が加わり、江戸時代にはここに農民(の長男)が加わりました。ここで排除された次男三男が明治維新をおこしたということなのですね。そして明治以降の重工業化でこれらの次男三男もイエを持てるようになり、社会にみな包摂されました。こうしてみんなが封建制の恩恵を受けられる社会が完成したのが20世紀でした。とはいえ実はフリーターや母子家庭は排除されていて、でも少数すぎて無視されていたということでもあります。しかし21世紀に入り、ついにその包摂性を維持することができなくなっています。イエによって包摂できた社会がついに終わりを告げて、時代は逆回りを始めているということなのです。
そしてこれは日本だけではなく、世界全体がそうなのではないか? 実は国民国家が終わろうとしているのではないか? この「国民国家の終焉」はこの10年よく言われてきたことではありますが、テクノロジの発達がそれを後押ししているのは間違いなく、ここで、歴史学と政治学、社会学、そしてITの知識を串刺しにすることによって、明確なビジョンを持つことができるようになるのではないか。そういうことを考え、さらに膨大な資料を読み込むことによって、この本のビジョンをわかりやすく抽出することに時間を費やしてきたのです。
システムはあまりにも自明なので、そこにどっぷり浸かっている人には存在自体が気付かれません。自分の生きている社会のシステムは昔からずっと続いてきて、今後も宇宙の終わりまで続くものだとなんとなくイメージしてしまっているのです。
でもシステムは出来上がるのに時間がかかり、しかし出来上がった瞬間に壊れていくものです。このイメージを持つのがとても大切です。
たとえば日本の戦後社会は1945年にスタートし、完成したのは70年代後半ぐらい。だから30年くらいかかっているということになります。しかし80年代にはもう格差が生まれ、戦後社会の崩壊が始まっていたと言われています。
そして2000年代にその崩壊は顕著になって、だれもが意識するようになってきました。長い歴史の中で見れば、総中流社会なんて一瞬のことでしかありません。波が常にあるということを、ちゃんと理解することがたいせつなのです。
人間はどうしても自分の経験値でしか物を語れません。夫婦別姓など典型で、国会の議論では「日本の伝統的な家族制度」と言ってる人がいますが、サラリーマンのお父さんと専業主婦と子供二人みたいな家族は戦後の一時期のものでしかなく、伝統的ではまったくありません。戦前はほとんどの家が共働きで、専業主婦など一部のお金持ちの家にしかない制度だったのです。
いま重要なのは、システムを「波」として認識すること。そしてシステムがどのように作られ、それがどこへ向かうのかということを学ぶこと。これを学ぶためには、徹底的なテクノロジの知見と、政治学や歴史学、社会学などの俯瞰的な知見が同時に必要です。
さてここからは宣伝なのですが、こうした「テクノロジ×歴史的・社会的俯瞰」の知見を学ぶ少人数の場として、「視座塾」という長期間のセミナーを用意しました。この社会にどう向き合うのかという徹底的な世界観を1年かけてじっくり学び、私とおつきあいいただく長期の活動です。かなり価格を高く設定しているのでたいへん恐縮なのですが、その価値は保証します。これを機会に、私と世界観を学ぶ場をご検討ください。
■佐々木俊尚式ビジネス未来予測講座「視座塾」
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「こんな話を書いて欲しい」のご要望、たくさんいただいて恐縮です。順次、取り上げていこうと思っています。ご要望があれば、いつでもお気軽にメールをいただければ幸いです。
メールマガジンの内容でご質問やご意見、ご感想などあれば、mailmagazine@pressa.jpまでお気楽にメールいただければ幸いです。配信した内容とは無関係の質問でも結構です。お返事をお送りできるのはその週の終わりになると思いますが、ご容赦ください。必ずお返事はいたします。
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今回の本は、昨年の春ぐらいから書き始めました。当初は新書サイズでの刊行は考えておらず、ソフトカバーの小ぶりで薄い単行本として、中高生向けに読んでもらうことを考えていました。妻松尾たいこのイラストをふんだんに使って……というのは当初から立てていた計画です。
いまの時代を歴史を踏まえて書くというのも、当初からの計画でした。私はこの数年、膨大な量の歴史書を漁って勉強し続けており、その中でひとつのコンセプトがぼんやりと結んできていました。いちばんの軸になったのは、ネグリ=ハートの『<帝国>』という本です。読みにくいうえたいへん分厚い思想書なのでお勧めはできませんが、この中に書かれていた「権力を誰が持っているのかという、その移り変わりがヨーロッパの歴史を決めてきた」という考え方にとても強く惹かれました。中世はカトリック教会だったのが、宗教改革やルネサンスやフランス革命で人間中心に移り、揺り戻しで王政復古があって、その後民主主義に、というような流れです。
そこで私が考えたのは、村上春樹さんの「壁と卵」論。これは2009年に村上さんがイスラエルに出向き、「エルサレム賞」の受賞式でおこなったスピーチで語ったものです。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私はつねに卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます」
「ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です」
「我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは『システム』と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率良く、そしてシステマティックに」
もともとの村上春樹文学は、1980年代ごろまでの「私は社会と関わりたくない」というような若者の空気感ととても親和性が高かったと思います。社会と自分の間に距離を置き、それはウォークマンで音楽を聴きながら、街の風景を眺めているのにも似ていました。そうして「やれやれ」とため息をつきながら、料理をしたり酒を呑んだりしていたわけです。どのようにして世界のシステムから回避し、孤独でシニカルな生き方を選びとることができるのかというのが春樹文学の基調だったのです。
ところが1990年代に入ってから、村上春樹さんの主題は大きく変わったと言われています。エルサレム賞受賞の際、イスラエルの新聞が村上さんをインタビューした記事があります。以下の日本語訳は『漂流博士』というブログからの引用です。
「僕の初期の作品では、主人公はみな孤独でしたが、時間と共に、僕の主人公たちは他人との人間関係を求めるように変わってきたと思います」
つまり「壁」からひたすら逃げようとしていた主人公は、「卵」がどう「壁」を乗り越え、他の「卵」たちと接続し、お互いに承認していくのかと考えるようになったということなのです。
この春樹文学の転換は、日本の戦後社会の変容と重なっています。戦前の農村社会から高度経済成長期の企業社会に至るまで、日本社会は一貫して同調圧力の高い内向きのコミュニティでした。しかし1990年代後半からゼロ年代にかけ、終身雇用制の衰退や非正規雇用の増加に見られるように家族的な企業文化は消え、これによって拠り所を失った人たちが接続と承認を求めるようになっていきました。
このような時代状況の中で、「卵」と「卵」はどうつながることができるのでしょうか。
壁と卵は、単純な対立構図ではありません。壁を壊せばいいというわけではないのです。壁は卵を作り、卵は壁を支える。われわれはつねに壁に荷担し、壁との共犯関係を作っている。そういう共犯関係があるということなのです。その謎を解き明かし、そして新たな卵と卵と壁の世界観を作り上げることは可能なのだろうか、というのが春樹文学のメインテーマのひとつでしょう。そしてこのテーマは、実はネグリ=ハートの<帝国>論にもつながるテーマであり、そして私の『レイヤー化する世界』の基調にもなっているのです。
システムは隅々にまでおよんでいるため、システムの批判さえシステムの一部になってしまうという状況があります。「お釈迦様の手のひらから逃れられない」ということですね。そして私たちは逃れられないのと同時に、システムの批判でさえもシステムに加担するという逆説的なことをしてしまっています。じゃあこの状況で、抵抗とはいったい何なのか?
必要なのは、システムを忌避するのでも、それに飲み込まれてしまうのではありません。それをうまく利用する「主体」となることこそが、生き延びてシステムと対抗していく方法なのです。これこそがネグリ=ハートが、主体のある個人として定義した「マルティチュード」(通常は群衆、などと訳される英単語ですが)です。
私たちは壁を作りつづけ、そしてその壁を壊しつづけ、つまりは壁は私たちそのものであるということでもあります。「自分の心の中の壁を壊そう」というような暗喩ではなく、壁そのものが私たちなのです。
……これまで書いてきたようなイメージがまず私の中に確固とあり、それと歴史、そしてテクノロジを結びつける全体像がわかりやすく描けないかなと考えました。『レイヤー化する世界』はその結実としてできあがった本です。
このコンセプトをそのまま書いても抽象的で、説得力はもてないでしょう。ただでさえITなどのテクノロジに反発を感じ、そういう時代に適合しようとする若者たちを「意識高い系」などと揶揄する大人が多いのです。私がテクノロジをベースにした「壁と卵」論を書いても、「根拠ない」「空想」と片付けられるのがオチです。
だったらまず歴史を振り返り、長い歴史の全体像の中から、いまの社会の行き着く先を描き出してしまおう。
そもそも皆さんが自明のものと思っている民主主義や国民国家は、いつ生まれてきたのか。マスメディアはいつ普及したのか。そういう歴史を振り返って見ると、「いま当たり前」と思っているものは大半が19世紀の終わり以降に作られたものであることがわかります。西欧化が遅れた日本では、大半の伝統は太平洋戦争後だったりします。商店街。盆踊り。マスコミ。専業主婦。サラリーマン。みんなそうです。
與那覇潤さんの『中国化する日本』では、日本の誇るムラ社会もしょせんは17世紀以降であると説明されています。平安時代には荘園やイエの封建制の特権にあずかれたのは貴族だけでしたが、鎌倉時代にはここに武士が加わり、江戸時代にはここに農民(の長男)が加わりました。ここで排除された次男三男が明治維新をおこしたということなのですね。そして明治以降の重工業化でこれらの次男三男もイエを持てるようになり、社会にみな包摂されました。こうしてみんなが封建制の恩恵を受けられる社会が完成したのが20世紀でした。とはいえ実はフリーターや母子家庭は排除されていて、でも少数すぎて無視されていたということでもあります。しかし21世紀に入り、ついにその包摂性を維持することができなくなっています。イエによって包摂できた社会がついに終わりを告げて、時代は逆回りを始めているということなのです。
そしてこれは日本だけではなく、世界全体がそうなのではないか? 実は国民国家が終わろうとしているのではないか? この「国民国家の終焉」はこの10年よく言われてきたことではありますが、テクノロジの発達がそれを後押ししているのは間違いなく、ここで、歴史学と政治学、社会学、そしてITの知識を串刺しにすることによって、明確なビジョンを持つことができるようになるのではないか。そういうことを考え、さらに膨大な資料を読み込むことによって、この本のビジョンをわかりやすく抽出することに時間を費やしてきたのです。
システムはあまりにも自明なので、そこにどっぷり浸かっている人には存在自体が気付かれません。自分の生きている社会のシステムは昔からずっと続いてきて、今後も宇宙の終わりまで続くものだとなんとなくイメージしてしまっているのです。
でもシステムは出来上がるのに時間がかかり、しかし出来上がった瞬間に壊れていくものです。このイメージを持つのがとても大切です。
たとえば日本の戦後社会は1945年にスタートし、完成したのは70年代後半ぐらい。だから30年くらいかかっているということになります。しかし80年代にはもう格差が生まれ、戦後社会の崩壊が始まっていたと言われています。
そして2000年代にその崩壊は顕著になって、だれもが意識するようになってきました。長い歴史の中で見れば、総中流社会なんて一瞬のことでしかありません。波が常にあるということを、ちゃんと理解することがたいせつなのです。
人間はどうしても自分の経験値でしか物を語れません。夫婦別姓など典型で、国会の議論では「日本の伝統的な家族制度」と言ってる人がいますが、サラリーマンのお父さんと専業主婦と子供二人みたいな家族は戦後の一時期のものでしかなく、伝統的ではまったくありません。戦前はほとんどの家が共働きで、専業主婦など一部のお金持ちの家にしかない制度だったのです。
いま重要なのは、システムを「波」として認識すること。そしてシステムがどのように作られ、それがどこへ向かうのかということを学ぶこと。これを学ぶためには、徹底的なテクノロジの知見と、政治学や歴史学、社会学などの俯瞰的な知見が同時に必要です。
さてここからは宣伝なのですが、こうした「テクノロジ×歴史的・社会的俯瞰」の知見を学ぶ少人数の場として、「視座塾」という長期間のセミナーを用意しました。この社会にどう向き合うのかという徹底的な世界観を1年かけてじっくり学び、私とおつきあいいただく長期の活動です。かなり価格を高く設定しているのでたいへん恐縮なのですが、その価値は保証します。これを機会に、私と世界観を学ぶ場をご検討ください。
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