■映画『わがチーム、墜落事故からの復活』

「ヨコハマ・フットボール映画祭 Yokohama Football Film Festival」のイベントで、上映中の映画『わがチーム、墜落事故からの復活』を鑑賞しました。今回はその感想を記します。(多少のネタばれあり)

予告編
https://www.youtube.com/watch?v=f3B31I4c12s
イベントの概要など
https://www.facebook.com/events/1252471864890060/
https://www.facebook.com/yffforg/posts/996068913904316

『わがチーム、墜落事故からの復活』は、2016年11月28日、飛行機事故によって選手・監督を含む、多くの関係者を失ったブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」の再建を描いた映画です。

■最悪の結末を迎えた“おとぎ話”

シャペコエンセを襲った悲劇は世界中で報じられたため、W杯を見るぐらいにはサッカーに関心のある人ならば、記憶に残っているかもしれません。また、墜落事故の犠牲者には、クレーベル サンターナやアルトゥール マイア、ハファエウ バストス、チエゴ、ケンペス、モイゼスといった元Jリーガーに、ヴィッセル神戸で監督を務めたカイオ ジュニオールも含まれていたこともあり、日本のサッカーファンも、大きなショックを受けたことと思います。

小さな街のクラブが、クラブ史上初となる国際タイトルを獲得すべく、快進撃を進める。そして、ついにたどり着いた決勝。クラブは決戦の地・コロンビアに向かう途中で墜落事故に遭います。生前の選手たちの活躍、そして陽気に勝利を祝う姿、空港で意気込みを語る様子などが紹介された後、飛行機がレーダーから消失したというニュース、そして墜落現場が映し出される。その時の様子を、選手の配偶者たちが振り返ります。

小さな街のため、クラブ関係者と街の人々は、文字通りの“隣人”でした。シャペコの人々はニュースを聞き、スタジアムへと向かいます。ファンクラブの代表は、それは自然な行動だったと語ります。なぜならば「スタジアムはファンが集う場所だから」です。

乗客77人中71人が死亡。生存者のうち3名が選手でしたが、ジャクソン フォルマンは右脚を切断し、アラン ルシェウとエリオ エルミート サンピエル ネトもサッカー選手として復帰することは難しいと、医者から告げられます。

ほかの用事により搭乗を免れた役員、招集外だった選手も数人いましたが、クラブは、ほぼ消滅したに等しい状態。ここから2017年のリーグ戦に向け、急ピッチでの再建が始まります。

■順調な再建の裏で起きていたドラマ

悲しみを乗り越え、チームは一丸となり、シャペコの街も一体となって再建に進む!という風にはなりません。それは、この悲劇を知った世界中の人が“見たい”ドラマかもしれませんが、現実は甘くありません。

新監督にヴァグネル マンシーニを迎え、選手をどうにか寄せ集めてチームを作りますが、チームは開幕から未勝利が続きます。そうすると、ファンたちは容赦ないブーイングを浴びせます。ブラジルのファンは、とても厳しいのです。

そうした中、マンシーニ監督は「昨季のチームのことは忘れよう!」と、選手たちに訴えます。すると、選手の1人は「肩の荷が下りた気がした」と告白します。その言葉通り、チームは重い枷を外されたように、勝利を重ねていきます。右足を切断したフォルマンも義足を付けて立ち上がり、現役復帰は難しいと言われたアランやネトも、全体練習復帰に向けてトレーニングを行うようになります。

順風満帆に見えますが、それは「外から見ればの話」だと、2016年のチームにも所属していた選手が「裏で起きていたこと」を語ります。また、犠牲者の妻たちは「チームが失ったのは選手なので、代わりはいくらでもいるが、私たちが失ったのは夫なのだ」と、クラブからの支援が少ないことに不満を募らせます、一方でクラブ側も「いくら支払ったか公表してやろうか」と、いら立ちを見せるのですが……。こうした生の声が映し出されるのです。

2016年のチームを忘れることで、一時的に結果を出したシャペコエンセですが、最終的には「2016年のチームを忘れないことが大事だ」という感じで、映画はエンディングを迎えます。

ドキュメンタリーとはいえ、映画なので不必要な部分はカットされていると考えるのは前提です。例えば、シャペコエンセは8月に国際親善試合を行うのですが、バルセロナ戦は取り上げられましたが、浦和レッズとの試合は一切触れられていません。そして実際この映画も、複雑な経過を飲み込みつつ、いい感じにまとまっています。それでも「ここまでぶちまけるか!」と思わせる選手や関係者たちのコメントが収められていることに、ただただ驚かされました。

■人は最短距離を歩けない

2011年4月11日14時46分、私は鹿折唐桑駅にいました。