基本、有限会社ブンヤの取締役として「フリーな立場」で、さまざまな会社から仕事を依頼され、その報酬で生活しているのですが、何回か正社員として企業にお世話になるという経験もしています。
今回、昔話を思い出すキッカケとなったのは「シャドウバース」における以下の考察です。
ドロシーがハンドにある時に知恵の光を撃つべきかどうか
https://ameblo.jp/earman178/entry-12245744963.html
知恵の光とドロシーの話
https://gameband.me/shadowverse/articles/7238
記事の最後にも出てきますが、これは「フレーミング効果」に関する話となるでしょう。
そもそも「知恵の光」の目的は、山札を圧縮することなので、このカードを入れた時点で「使えるのに使わない」という状況はあり得ない。これが理性的な判断だと思うのですが、突然「勘」がひらめく時があり、その勘に従った結果、勝利をつかむ場合もあります。また世間一般でも、「勝負どころでは理性的な判断よりも勘に頼った方が良い」といった体験談が、しばしば聞かれます。
さて会社員時代の私ですが、某Webメディアの編集長を任されていました。サイトに使用する写真だったり、何を特集するかを決めたり、そういう仕事をしていたのですが、編集部に人数もいなかったこともあり、私は大体の物事を「勘」で決めていたのです。
ある時、上司に呼び出されて、こう質問されます。
「渡辺くん、君はどうして、〇〇を特集しようと思ったの?」
「勘です」
編集長を任され、それなりに成果を出せている自負もありましたし、ものすごく自分の勘に自信があったんですよね。だから私は正直に答えたのですが、上司はため息をつきます。そうして、こう言いました。
「渡辺くん、君はもっと考えた方が良いよ」
当時の私は「はあ」と生返事をするぐらいで、その意味を深く考えなかったのですが、つまりは「考えて判断しない人間は成長できない」って指摘だったんですよね。
その場その場で「正解」を出し続けられたとしても、それは積み重ねにならない。単に「運が良かった」「勘がさえてた」というだけの話で終わり。細かい分析なり、状況判断を積み重ねていかないと、真の意味で成長できない。そういう意味では、自分は成長を期待されていたんだなと、いまになって思うわけです。
これまでの人生を振り返ると、あまり深く考えず、勘に従って生きてきた印象が強いんですよね。それで後悔することも特にないのですが、勘というのは結局のところ独りよがりなもので、他人を説得できるものではない。自分の人生は自分だけのものなので、それで問題ないのですが、カードゲームで勝とうと思ったら、しっかりと考えて、判断を下さないといけないのだなと、「シャドウバース」のウィッチデッキで10連敗を喫した時に思ったのでした。
なお、やっぱり考えることが重要なので、状況に応じて考えた結果、「知恵の光」を使わないという判断があっても良いと思います。
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