北島秀一・山路力也・山本剛志 共同責任編集
【目次】
□クロスレビュー「必食の一杯」
■連載コラム(第10回)
『ラーメンの憂鬱』〜3ヶ月で始められる店は3ヶ月で潰れる(山路力也)
『教養としてのラーメン』〜福島・茨城のご当地ラーメン(山本剛志)
□告知スケジュール
■編集後記
■巻頭コラム
『何故「支那そば」と呼べなくなったのか』山本剛志
今号の拉麺人インタビューで、戦後「支那そば」から「中華そば」へ呼び方が変遷した話が出てくる。この件に関連して、「ラーメンと愛国」(速水健朗,2011,講談社新書,p21-22)に興味深い記述があった。
"「支那そば」と呼ばれた戦前の呼び名が、「中華そば」に変わるのは終戦翌年のこと。戦勝国である中国(当時の中国の国体は、中国共産党の独裁以前、まだ蒋介石の国民党がいた時代なので"中華民国"であった)から、「支那」の呼称を止めてほしいという外務省事務次官通達による要求があったからである。"
もちろん、昭和21年に全ての「支那そば」が「中華そば」に変換されたわけではない。同書では、新聞漫画であった「サザエさん」が昭和23年に「シナソバ」、昭和25年に「中華そば」と記載されていた事が記されている。
この話を書くと「"支那そば"という言い方に罪はない」という意見をいただく。「支那」自体は「China」に由来しているのだから、規制するのは言葉狩りだというものである。確かに言葉の由来としてはその通りだが、戦前の日本人は中国人を差別する時に「支那」の語を使って彼らを傷つけていた。罪のない言葉に差別という罪を着せたのは日本人であり、「差別用語」として使われた事が問題だったのである。
とはいえ、「支那そば」という言葉を使うこと自体が犯罪になるわけではない。現在では「支那そば」を屋号やメニューに載せる店も少なくない。それらの店の多くが、懐かしさをイメージさせる言葉として使っている。ならば、我々は「支那」という言葉を差別的に使ってきた戦前の人達とは違う、という矜持が求められる。支那そばの祖国である中国を敬え、というのではないが、隣国を下に見るような差別的な言動をすれば、また「支那」という言葉に罪がつけられてしまうのではないだろうか。
なお、「支那」の表記が禁止された事をもって「支那そば」が消え、それを復刻したと主張しているラーメン店もある。しかし、言葉は消えても、その作り方は「中華そば」、「ラーメン」に引き継がれている。そのような主張には、商業的な動機があると私は判断している。
□クロスレビュー「必食の一杯」
一杯のラーメンを三人が食べて語る。北島、山路、山本の三人が、今最も注目しているラーメン店の同じ一杯をクロスレビュー。それぞれの経験、それぞれの舌、それぞれの視点から浮かび上がる立体的なラーメンの姿。今回は渡辺樹庵氏が手掛ける「大分佐伯ラーメン」の「ラーメン」を山路と山本が食べて、語ります。さらに「神保町 可以」で限定メニューとして「佐伯ラーメン」が出された時に北島さんが記したインプレッションも掲載しました。
「ラーメン」750円
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