【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.3

2016/02/05 21:00 投稿

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 部員たちはおのおの帰宅の途についたが、来是は紗津姫が部室の鍵を閉めるまで留まっていた。
 部活中に時間が取れないなら、休みの日にマンツーマン指導をお願いしたい……そう考えていたが、迷惑になりはしまいかとの懸念もあった。
 この頃の紗津姫はますます将棋アイドル活動に精を出しているようで、雑誌やテレビで見る機会が増えてきた。学業優先だから、活動は土日に集中する。いちいち詳しくは聞いていないが、スケジュールはしばらく埋まってしまっているのではないか。埋まっていない日があるとして、プライベートの用事もあるだろう。のんびり休みたい場合もあるだろう。やはり依恋の言うように、彼女に頼らずひとりで強くなる道を模索するしか……。
「来是くん、金曜日は時間ありますか? 放課後に」
 鍵の閉まる音のあと、彼女は静かに聞いてきた。
 デートの誘い……なわけはない。正式な恋人になったわけではないのだから。となれば考えられるのはひとつしかないが。
「もしかして、レッスンしてくれるんですか?」
「……やっぱり気にしてますよね。全然教えてあげられなくて、ごめんなさい」
「しょうがないですよ。こんなに新入部員が増えたんだし」
「重ねて申し訳ないですけど、レッスンのお誘いじゃないんです。高遠先生のお店で臨時のアルバイトが必要になったそうで、よかったらどうですか? 先生が直々に来是くんを指名したんですよ」
 高遠葉子女流四段が経営する喫茶店「将棋カフェ・タカトー」。数ヶ月前、A級順位戦の解説に呼ばれた紗津姫を見に行ったが、あまりの客の多さに急遽手伝いに駆り出された。そのときのことを覚えていたのだろう。
「また何かイベントを……って、今の時期はあれしかないですね」
「ええ、名人戦の解説。やっと身辺が落ち着いたから、これからどんどんイベントを打ち出していきたいそうです」
 新年度に伴い数人のプロ棋士が引退したが、その中に高遠の名前があったことは驚きだった。成績不振ではなく、一身上の都合による引退。これからは普及活動に専念したいということは紗津姫から聞いていた。長年身を置いていた現役棋士という立場を、自ら退く。新しい環境の構築と気持ちの整理をつけるのに、多少なりとも時間が必要だったろう。
「わかりました。いろいろ新しい棋書を買いたいし」
「では、伝えておきますね。……名人の将棋も、私が教えるより勉強になるはずですよ」
「いや、先輩に教わる以上の勉強はないです」
 紗津姫はちょっと困ったように笑った。素直に肯定していればよかったのかもしれない。だが彼女を少しでも否定することは、来是の行動原理にあるはずもなかった。
 ふたり並んで部室棟を出る。依恋はひとりポツンと玄関で待っていた。明るい茶髪に夕陽の淡い赤が投げかけられている。その髪を一房くるくるいじりながら、わざとらしく唇を尖らせた。
「ふたりっきりで、何を話してたのよ。ま、週末あたり個人指導してくれとか言われたんでしょ?」
「ふふ、依恋ちゃんは来是くんのこと、何でもわかってるんですね」
「違うって! いや、そんなに違わないけど」
「どっちなのよ」
「どっちでもいいっての。高遠先生の店でバイトしないかって持ちかけられたんだよ。依恋もやらないか」
「あら! あたしと一緒に働いて、仲を深めたいってこと?」
「んなわけないだろ。俺ひとりだけじゃ人手不足かもってだけだ」
「あいにくだけど、あたしはバイトしなきゃいけないほどお金に困ってないし」
「……そりゃそうか。金持ちはまったくうらやましいな」
「じゃあ、お客さんとして行ってみてはどうですか? 名人戦の解説、きっとためになりますよ」
 依恋は少しだけ間を置いてから、首を横に振った。
「それもパス。もうそんなに将棋上手くなろうって気はないし、自分のやりたいことに集中したいの」
 校門で紗津姫と別れると、来是は無言になった。
 依恋との距離をどう保つか、ずっと悩んでいる。紗津姫から好きだと告白されてからこの半年、ずっと。
 紗津姫の気持ちに応え、彼女を超えるという決意に、決して偽りはない。
 しかし、依恋のことも――好きだ。これも決して偽りではない。
 飛車角の両取りだ。自らの意思で好きなほうを選ぶことができる。どちらを取っても、人生という盤上において優勢、勝勢、あるいは必勝。間違いなく幸せになれるだろう。
 滑稽だ。どうして平凡の人類代表のような自分が、こんなことになってしまったのか? 恋とは何なのだ?
「来是、頑張ってよね」
「……何をだ?」
「もちろん将棋よ。紗津姫さんも言っただろうけど、一生懸命に将棋を頑張る来是が、あたしは好きなんだから。まー難しいことは考えないで、強くなることに集中しなさいって」
 このお気楽さが、依恋のいいところなんだろうな。そう思うほかなかった。
「そうだ、あたしんちの将棋盤、貸してあげようか」
「マジ? あの六寸盤?」
「もう将棋の勉強はほとんどしないし。この先ミニ合宿することも、なさそうだしね。来是に使ってもらったほうが道具も喜ぶってもんでしょ」
「お、おお。ぜひ頼む」
 ひとまず悩みは盤外にうっちゃって、碧山家に足を運んだ。リビングで依恋ママが優雅に紅茶を飲んでいた。
「いらっしゃい。ちょうどよかったわ。またパパが珍しいお土産買ってきてくれたから、お裾分けしてあげる」
「いつもありがとうございます」
「箱に詰めてくるから、ちょっと待ってて」
 依恋が和室に向かうと、依恋ママが子持ちとは思えない色香を発散しながらグイッと接近する。
「あの子とはどうなの?」
「どうって」
「わかってるくせにー」
「今までと別に変わらないですって」
「なあに、あのアイドルの先輩のほうがいいの? おっぱいなの?」
 わざとらしく唇を尖らせる。どうでもいいところが母娘そっくりだ。
「来是くん、依恋は本当にいい子よ。我が娘ながら」
「……後輩たちにも人気ですよ」
「あの子をゲットしたら、碧山家の財産もセットよ」
「やめてください生々しい」
「冗談だってば」
 ほどなく依恋が箱を抱えて和室から出てきた。華奢な彼女にはいかにも重そうだ。
「こんなの抱えてたら、無駄な力こぶがついちゃうわ。悪いけど自分で持って帰って」
「最初からそのつもりだよ。ありがとな。大切に使わせてもらうから」
「あ、その盤駒もセットだわね」
「なんのこと?」
「なーんでも」
 うふふ、と依恋ママはいつまでも笑っていた。

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