【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.4

2016/02/07 18:00 投稿

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     ☆

 金曜日の放課後、来是はなるべくいい服を選んでからタカトーへと出発した。前回のことを抜きにすれば、人生で初めてのアルバイト。客商売が向いているかどうかもわからないが、とにかくしっかりやらなければならぬと気を引き締めた。
 電車での移動中、スマホで名人戦の動向をチェックしておく。持ち時間九時間の二日制、長かった戦いもいよいよ終盤戦に差し掛かろうとしている。まだどちらがいいかは判然としない。
 そういえば解説役は誰なのか、聞いていなかった。高遠はブログをやっているが、解説棋士は当日のお楽しみだと明らかにしていない。普通、大盤解説会の出場棋士は事前に告知するものだが、高遠流のイベント演出なのだろうか。
 店に到着すると、将棋駒を大きくデザインしたエプロンが目に飛び込んだ。
「こんにちは。来てくれてありがとう」
「今日はお世話になります」
「そんなに難しいことはしてもらわないから、リラックスしてね。まずはエプロンをつけてちょうだい。新しく作ったのよ」
 同じものを渡される。とても似合うとは思えなかったから、鏡は見ないことにした。
「あの、現役お疲れさまでした。周りにも驚かれたんじゃないですか?」
「ええ、でもうらやましいって言った人もいるのよ」
「どうしてですか?」
「もう過酷な勝負をしなくていいから。すごく気が楽になったわ」
 それからひととおりのことを教えてもらい、開店時刻の午後五時を迎えた。注文を取って、高遠に伝える。その品をお客に運ぶ――前回は特にトラブルは起こさなかったのだから、将棋の対局のように平常心を心がければ大丈夫。そう言い聞かせた。
「こんばんはー、高遠先生!」
「あれ、そのエプロン可愛い!」
 次第にお客が集まってきた。前回は紗津姫がいたことで男性のファンが多かったが、大半が女性だ。この店は女性をメインターゲットにしているそうだし、これが通常の光景なのだろう。
「い、いらっしゃいませ!」
「あ、バイト雇ったの?」
「そうなの。あの神薙紗津姫さんの後輩なのよ」
「いつも神薙さんに教わってるわけね? うらやましいわ」
 最近は教わってないんです、とはもちろん言えなかった。
「すいませーん、ちょっと遅れました。うわ、ええ雰囲気のお店やないですか」
 陽気な関西弁が響く。その瞬間、皆の顔は「誰?」となった。
 女性にしては背が高くスレンダーな体格。ふわっと整えられた耳出しショートのヘアスタイルが中性的な印象を与える。その印象に拍車をかけているのが、ダークスーツにネクタイという完全なる男装ファッションだった。
 今の口ぶりから察するに、この人がベールに包まれていた解説者だ。しかし見覚えがない。女流棋士にこんな人はいただろうか?
「本日の解説を務めてくれる、御堂涼さん。昨年の女流アマ名人戦で優勝したあと研修会入りして、このたび見事女流棋士の資格を得た、未来の女流界を背負って立つ人材です」
 高遠の説明を聞いた途端、女性客たちは色めき立った。
「やだ、超カッコいいんだけど!」
「宝塚みたい!」
 来是はやっと思い出した。女流アマ名人戦優勝――つまり紗津姫が敗北した相手。彼女の栄光を阻んだ相手として、当初はこの顔も知らない人に少なからず複雑な感情を持っていた。もちろん今はそんなことはなく「なんだこのイケメンは」と思うばかりである。
「ん、バイトさんか? よろしく」
「は、初めまして。春張っていいます。神薙紗津姫さんの後輩で……」
「へえ、神薙さんの! 女流アマ名人を決めたあの一局は、ドキドキハラハラやったわ。またお手合わせ願いたいと思ってるんやけどね」
「それより、その、妙に男前っていうか」
「ええやろ。うちの師匠のアドバイスでな。あ、師匠って伊達名人ね」
「名人の一番弟子なのよ、御堂さんは」
 高遠の言葉に、感嘆の声が飛ぶ。そういえば女流アマ名人戦優勝を機に弟子入りしたのだと、紗津姫が語っていた。
「棋士はこれからの時代、いかにセルフプロデュースできるかが大事やってね。君は男装したら受けそうっていうから、とりあえずやってみたんやけど、ハマりすぎて自分でもビビるわー」
「デビュー戦はもう少しあとになるけど、みなさんぜひ応援してあげてね。さあ、さっそく解説をしていただきましょうか!」
 拍手に迎えられながら、御堂は大盤の前に立った。
 そもそも女流棋士は、解説役を与えられることはまずない。男性棋士の聞き手、サポート。それが業界の常識のようになってしまっている。そんな風潮に伊達名人は一石を投じたいと語っており、高遠も全面的に賛同していた。もっと女性が主役に、と。
「ご存じのとおりですね、うちの師匠は名人位を失ったら即引退なんて、どえらい宣言したわけです。もうあまり勝つ気はないなんて言う人もいるようですが、それは絶対にないと、弟子の目からは映りますねえ。伊達名人の一勝、豊田八段の一勝、五分の星で迎えたこの第三局! いやー、毎度のことながらどんな戦型か気になります。ふたりとも、なーんでも指しますから。しかしひとつだけ言えるのは、最近の伊達名人は定跡から外れた戦いを好んでるってことです。でもって今回の戦型は、相掛かりとなりました。みなさん、相掛かりは指します? ちょっと手、挙げてくれますかー」
 まったく反応はなかった。ただひとり来是だけが挙手をする。
「春張くんは本格派居飛車党か?」
「本格派かどうかはわかりませんけど、振り飛車は指さないです」
「うんうん、反対に女性は振り飛車好きなのが多いんよね。金銀をちょちょいと上がるだけで囲いになるから、序盤はそんな悩まんで済むし。振り飛車党って人はどれくらいいます?」
 今度は結構な数の手が挙がった。高遠も挙手している。どっちにも手を挙げなかった人は、観戦だけ楽しむいわゆる「観る将」なのだろう。
「今後振り飛車も見られるかどうか、注目のしどころですねえ。話戻しますけど、相掛かりはそんなに定跡が整備されてない戦法で、そうなると名人がね、この豊田八段の▲2六歩に対して△8四歩としたのは、ごくごく自然な流れと――」
 まだ出会って数分ばかりだというのに、来是はすっかり御堂に感心していた。語り口はハキハキとして、とても滑らか。聞く者を楽しませる声音だ。偏見かもしれないがさすが関西人だなんて思った。
「バイトくん、注文いい?」
「あ、はい」
 ちらほらとオーダーが入る。仕事に支障をきたしては、高遠はもちろん御堂にも申し訳ない。まずは目の前に集中する一手だった。

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