【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~史上最躍の棋士~ Vol.15

2015/05/03 13:00 投稿

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     ☆

 まともにやっては勝ち目は薄い。冷静に分析すれば、結局はその結論に辿り着いた。
 八重子は勝つとか負けるとかどうでもいいと言ったが――出場するからには勝つ気で臨む。しかし大熊は己の棋力を誰よりもわかっている。どう逆立ちしても、やはりタイトルホルダーやA級棋士らには及ばないのだ。
 自分はソフトよりも、SHAKEよりも劣る。大熊はあらためてその現実を認めた。
 そして、かつて同じように彼我の戦力差を認識した上で、コンピューターに立ち向かった棋士のことを思い出した。
 松平国義(まつだいら・くによし)。今は亡き前将棋連盟会長にして、第一回電将戦を戦った男。現在まで続くプロ対コンピューターの構図を確立した立役者。
 松平は生前、対ソフトのすべてを自著に書き記している。苦心の末に編み出した対策、それはコンピューターに入力されているあらゆる定跡データを無効化すること。後手番だった彼は、先手のソフトが▲7六歩と指したのに対し、△6二玉と上がった。そして敗北した。
 人間同士ではあり得ない作戦である。一部メディアには奇をてらった悪手と書かれた。松平は批判に対し、あくまで△6二玉は対ソフトの最善手だと主張した。作戦が悪かったのではない。弱かった自分が悪かったのだと。
 実際に検討してみると、中盤までは相手の駒をことごとく押さえ込んで、松平の優勢だった。たった一手の緩手でその優位をふいにしてしまったのだが、最善手を指し続けていればどうなっていたか。大熊はこれしかない、と決断した。
 もちろん、当時のソフトとSHAKEは別物である。同じ作戦が通用するとは限らない。だが、半々もない確率ではあるが――SHAKEが松平のときと同じような進行を選ぶことがわかった。
 あとは短い時間の中、徹底的にこの形のみを研究した。最初に一手パスのようなことをしてから▲4八玉と上がれば、後手の初手△6二玉と同じ理屈である。いきなり▲4八玉だと、なぜか思いどおりにならないことも判明した。
「んー……」
 見れば、瀬田が顎に手を当てて少し険しい顔をしている。
 ▲4八玉に対して、SHAKEはまだ考慮中だ。練習のときからそうだった。早々と定跡を外れたため、データに頼らず自力で指さざるを得なくなっている。今、SHAKEはこれがどんな戦いになるかまったく見えていない。しかし自分は見えている。無理に斬り合いに行かず、押さえ込んで優勢に立つ。第一回の再現。幻となりかけていた△6二玉の復活。
 前会長には、個人的に思い出があった。ようやくプロ入りを果たした直後、こんな言葉をかけられた。
「君はきっと、これからも大きな苦労をするだろうね。でも頑張れよ」
 そのとおりになった。松平は毀誉褒貶の激しい人物だったが、言わば人間そのものの大局観に優れていた。電将戦についても、予言めいた言葉を残している。
「コンピューターをどこまで研究しているかにかかっている。強い棋士が出たからプロが勝つということではない」
 事実、勝率で大熊よりもずっと優れる棋士たちが敗北している。この電将戦ファイナルで、ようやくソフト研究に本腰を入れて、二勝二敗のタイに持ち込めたのだ。自分もまた、対コンピューターに特化した戦いをすることに決めた。
 唯一の懸念は、自分の指すこの将棋が「つまらない」と思われるかどうかだった。
 きっと今頃、解説会場は激しく揺れているはず。それにこの作戦は、正攻法では勝てないとすでに認めているようなものだ。落胆した人だっているに違いない。正統の矢倉や角換わり、あるいは横歩取りを見たかったという人も多いだろう。
 升田幸三の名言を、今日まで何度も心の中で繰り返した。面白い将棋とは何か。それは永遠のテーマだ。人生すべてを賭けても、少なくとも自分には答えを出せないだろう。
 だから、この電将戦ファイナルにおいての答えは。
 勝つことだ。初の人間チーム勝ち越しをもたらすことだ。
 勝って、自分の作戦は――前会長の作戦は正しかったと証明し、ファンに喜んでもらう。それがプロの生き様。
 ついにSHAKEが動いた。△4八飛。大熊の玉と同じ4筋に移動し、狙いを定める自然な一手。しかし大熊にとって計画通りの手順。
 瀬田の表情は固いままだ。当然彼も、第一回電将戦の棋譜については知っているだろう。だが、この奇怪な玉上がりへの特別な対策を施してはいないらしい。言い換えれば、捨て置いてもかまわないと判断していたのだ。どうせ二度と現れることのない作戦だと。実際、松平以降の電将戦では、誰ひとり採用していない。それどころかアマチュアでも指した人はいないはずだ。
 十手、二十手と進む。指針がはっきりしている大熊はほとんどノータイムで指すが、SHAKEはその都度考えこむ。持ち時間も次第に開いてきた。練習では五割以下だった、理想の展開になってきた。
 焦ることはない。大熊は温かいお茶を一杯飲み、呼吸を整える。
 それにしても――やはり和服は慣れない。四段になったときに師匠からプレゼントされたものだが、晴れ舞台には縁がなかったし、何より手間がかかるのでほとんど着たことはなかった。他の棋士たちが軒並みスーツを選んだのも道理というものだ。
 それでも今日、大熊がこれを選んだのは――単純に格好をつけたかったから。
 いつか、成長した我が子に見てもらう。父は人類を代表して、コンピューターに真剣勝負を挑んだのだと。その頃にはおそらく、プロ対コンピューターは興行として成り立っていないだろう。
 だから、今しかない。大熊大吾の最高の勝負を見せられるのは、今しか。

【図は△9四飛まで】
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 3筋と4筋に、金銀の厚いバリケードを構築した。これを突破するのはいかに豪腕のソフトでも不可能だ。事実、SHAKEは飛車を行ったり来たりすることしかできないでいる。その分こちらも攻めることができないが、完全に思惑どおり。
 大熊に手番が移ったタイミングで、昼食休憩となった。休憩に入るなら自分の手番で、というのも対ソフトの定跡だ。休みながら、じっくり考えることができる。
 胸を張って言える。百パーセント理想の展開。
 だが、古来よりの格言は教える。上手くいきすぎているときほど注意せよ。
 勝負はここからだ。決して油断はしないと、大熊は腹に力を込めた。

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