俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~女流名人、あるいは奨励会三段~ Vol.6
終局後、大和も宝輪もしばらく彫像のように微動だにしなかった。全身全霊を尽くした勝負のあとなのだ。誰も責めることはできまい。しかし数分も経つと、宝輪がどこが悪かったのかな、と口にした。そして頭を抱えた。
大広間はまだ他の対局が続いている。ここで叫ぶわけにはいかないが、叫べるものなら叫びたかっただろう。宝輪はやがて、一言もなく大和の前から立ち去った。大和もほどなく、熱戦の余韻冷めやらぬ戦場をあとにした。
三段リーグは半年に渡って行われ、一回の例会につき二局、計十八局を戦う。これほど長く過酷なリーグをくぐり抜けなければ、プロにはなれない。
リーグは四十人近い大所帯だが、プロに辿り着けるのは原則として成績上位ふたりまで。狭き門、などという形容ですら生温いだろう。そして、今回大和がプロになれる可能性は、限りなく低かった。
大和の現在の成績は、十勝五敗。合格最低ラインはおおむね十三勝と言われる。例会は今日を含めてあと二回。どうにか一戦目はものにしたが、あと三戦を全勝で終えても、上位が総崩れしないかぎり望みはない。
成績が同一の者が複数出た場合は、リーグ順位が上の者が昇段するシステムである。順位は前回の成績によって決められるが、今回がリーグ初挑戦の大和は、最下位。同星では、いわゆる頭ハネを食らうことは確定的なのだ。
厳しいな、と思った。
昇段はほぼ他力にゆだねられたこの状況。しかし言うまでもなく、残り三戦も全勝目指して戦うのみだ。今期の昇段が叶わぬとしても、来期の順位をひとつでも上げるために。それにリーグ終了時、三位の者には次点が与えられる。次点を二回取れば、フリークラスでの四段昇段が認められるのだ。
過去には二度の次点を獲得しながらも、フリークラス入りの権利を放棄し、あらためて三段リーグを戦い、見事上位二名に入ってプロデビューした者もいる。己に相当の自信がなければできない芸当だ。その棋士は現在、若手筆頭として縦横無尽の活躍をするほどに成長している。
しかし大和は、次点を二度獲得したならば、必ずその権利を行使すると決めている。
三段リーグには年齢制限がある。原則二十六歳までに四段になれなければ、強制的に退会となる。二十六歳を超えてからも勝ち越しを続けていれば満二十九歳までリーグ在籍はできるが、所詮はわずかばかりの延命措置だ。二十四歳の大和にとって、たいした救いにはならない。
フリークラスでもなんでも、とにかく四段になる。
さもなければ、三段リーグに昇りながらも、結局は勝ち抜けなかったプロ未満の女流。終生そのような評価がついて回るだろう。断じて御免だった。
やがて、二局目の開始時間を迎えた。
戦法は何を選ぶか。居飛車か、振り飛車か。安全重視で穴熊を目指すか。思考回路を巡らせながら対局室に向かう途中、緊迫感のかけらもない爽やかな声をかけられた。
「やあ、大和さん」
「ん、どうも」
現在十三勝二敗で同率トップを走る宮野謙也三段だ。そして、これより雌雄を決する相手。
大和と同じ二十四歳で、三段リーグ在籍は七年にもなる。前期も平凡な成績だった。しかし今期は開幕から絶好調を維持し、いよいよその才能が開花したのかと噂される、昇段候補のひとりだった。
「最強女流の実力、どんなものかと楽しみにしていたんだ」
「あ、そう」
余裕の感じられるセリフに、大和は淡泊に返事した。今から矛を交えようという相手に、このように話しかけられても、正直迷惑だった。
宮野は少なくともあと一勝すれば、間違いなく合格する。それだけでなく、過去に次点を獲得している。たとえ残り三戦全敗でも、三位以内に入る可能性はかなり高い。相当に気が楽になっているのに違いなかった。ひとつでも落とせない大和とは、雲泥の差だ。
――その心の持ちようが、結果に表れたのか。大和は宮野に敗北した。十勝六敗となり、今期昇段は絶望的となった。
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