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奨励会はプロ棋士の養成機関。
これだけ聞くと、奨励会員はプロに及ばない者たちと思われても無理はないが、実際は違う。時にプロをも凌駕する、創造性にあふれる現代将棋が日々繰り広げられている。
「新手一生」を座右の銘とした大棋士、升田幸三を記念した升田幸三賞というものがある。優れた新手を編み出し、棋界に定着させた功労者に贈られる賞だ。しばしば奨励会員の中から、この升田幸三賞の受賞者が現れるのである。奨励会、とりわけ三段リーグは、決して現役のプロに劣らない実力者の集まりということが、この事実からも証明できる。
「ふーむ」
大和の対面に座る痩身の青年、宝輪秋雄(ほうわ・あきお)が小考をはじめた。前例が数多い、まだどうということのない序盤だが、そういうところで一息入れるのが彼のスタイルなのかもしれない。
戦型は後手番の宝輪が「ゴキゲン中飛車」を選択した。角道を開けたまま5筋に飛車を振る、現在もっとも使用される頻度の高い中飛車戦法だ。創案した棋士がいつもゴキゲンな様子から名付けられたのだが、栄誉ある升田幸三賞を受賞している。
そして大和は、ゴキゲン中飛車の有力対抗策「超速3七銀」戦法に出た。
【図は▲3七銀まで】
攻撃力の高い飛車に狙われているのだから、まず中央の守りを固めるというのが普通の考えだ。しかしそこを玉一枚だけに守らせ、攻撃の要の右銀をいち早く3七の地点へ移動させる。次に▲4六銀とすれば中央の攻防にも利くという仕組みだ。
この超速3七銀も、升田幸三賞に輝いた戦法。しかも開発者は、現在はプロデビューした奨励会三段なのである。
大和は日々、悩んでいることがある。
升田幸三賞に値するような、斬新な戦法を思いつけないのだ。
無論、タイトルホルダーを含むほとんどの棋士ができないでいることだ。そう簡単に画期的な手が思いつけるほど、将棋というゲームは浅くない。それでも大和は、王道の指し手を追及しながらも、暇さえあれば奇抜な手を考え、そのたびゴミ箱に捨てている。
なぜ大和がそこまで新手にこだわるか。とある高段者がこのような言葉を残しているからである……。
「アマチュアがプロの新手を真似するのは当然だが、プロがアマチュアの新手を参考にするケースもよくある。だが、女流棋士の指した新手を男性棋士が真似したという話は聞いたことがない。女流棋士はその一線を越えなければダメだ」
大和はこの言葉に、心底賛同している。
この一点だけ見ても、女流はプロを名乗ってはいても、奨励会の水準に及ばない。そう思っている。
だから私も、みんながあっと驚く戦法を開発したい。この夢は、決して夢で終わらせない――少なくとも言えるのは、どれだけ情熱を傾けても足りないということだ。
「うぬ……」
宝輪が前傾姿勢で、おそらく最後の長考に入る。
勝負はとうに終盤へと移行していた。しかしまだ互角。コンピューターに解析させても、そのような評価が出るはずだ。
序中盤の互角と、終盤の互角ではまるでわけが違う。駒と駒とが互いの城壁付近で激しくぶつかり合い、飛車角は大砲のように遠くから相手玉へ睨みを利かし、駒台に安置された最弱の兵力である歩が、一撃必殺の威力となり得る。
大和が奨励会に在籍してからたびたび味わわされ、かつ自分自身が積極的に吸収しようとしているのが、負けにくい指し方だ。簡単に言えば、戦況を常に互角以上に保つ指し方である。決して勝ちを急がず、攻め入る前に自陣の瑕を消しておく。「長い詰みより短い必至」の格言どおりに相手玉を縛る。相手の攻めが細いと見れば、徹底的に受けに回る。そして終盤に取っておくために、序盤に時間を使いすぎない。
いずれもテクニックとしては難しくないのだが、ただならぬ緊張を強いられる実戦の場では、言うは易く行うは難し、である。
宝輪の決断もやはり、勝ちを急がないことだった。じっと底歩を打って、玉の安全度を高めておく。こうなると不用意には攻められない。持ち時間は大和のほうが残っているが、上手い手段を考えているうちに、いつの間にか持ち時間が逆転しているというのも、よくあることだった。
三段リーグの奨励会員が負けない将棋を指向するのは当然だ。一局一局が、まさに命がけ。生活がかかっているという点では現役プロもそうだが、奨励会員はまだプロにもなっていない身なのだ。まずプロにならなければ話にならない――。
双方、持ち時間が数分を切った。手番は大和。
「……っ」
大駒を切ってからの勝ちが、直感で見えた。
しっかり読んだわけではないが、なんとなく詰みそう、という形。この感覚はプロの必須スキルだ。
しかし、失敗すれば敗北を意味する。
大和はひとつ深呼吸をする。眼鏡のレンズを拭いて、今一度、盤面を確認する。
直感精読。兄弟子である伊達名人の好きな言葉。
プロの直感はおおむね正しい。だが絶対ではない。そのわずかな数字を埋めるため、短時間に精読できるのが真の将棋棋士である。
やがて彼女は決断した。必至をかけず、直感にしたがって詰ましにいく。
王手の連続で切り込むうちに、宝輪の表情がだんだん固くなるのを大和は見た。勝負師は苦しくてもそれを表情に出してはならない。大和は自分の勝ちを確信した。同時に、表情作りが不得手な自分は、もしかしたら棋士としては有利なのかなと思った。
最初の王手から実に二十九手目、必死に玉の生きる道を探していた宝輪は、ついに小さな声で投了を告げた。
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