俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~女流名人、あるいは奨励会三段~ Vol.4
その後は有志で二次会カラオケに向かった。大和も表情を変えないままマイクを握り、あまり声を張らずに歌い上げた。彼女は今時のヒット曲はまったく詳しくないというか興味がない。その代わり古今のアニメ特撮ソングに傾倒している。演歌と歌謡曲もわりと好きで、村田英雄の『王将』は十八番である。おかげで高齢の大先輩棋士からは可愛がられることが多い。
「あんたって、本当に無表情よね。昔から全然変わらないわ」
歌い終えた大和に熊谷が話しかける。大和は適当にタンバリンを叩きながら、友人の言葉に耳を傾ける。
「喜びや怒りの感情を知らないってわけじゃないんでしょ?」
「そんなわけない」
「だよね。要するに、よっぽどのことじゃないと心を動かされないわけだ。女流棋士デビューが決まったときはどうだったの」
「なれて当然だと思っていたから、何の感慨もなかった」
「そりゃすごい。……でも三段リーグを抜けられたら、そのときはあんたも思い切り笑えるのかな?」
大和はその問いに目を閉じる。
幼い頃から、全然感情を出さない変な子供だと言われていた。喜びも怒りも知っている。しかし、その表現が致命的に下手だった。このことは彼女もよく自覚していたが、とりあえず生きていくのに支障はなさそうなので、積極的に改善しようとは思わなかった。
仮に一般企業なら使い物にならなかったろうが、何時間でも黙って勝負に集中できる棋士は、そういう意味でも大和にとって天職だった。
「ねえ、雲雀」
「うん?」
「もし四段に上がれたら、今度はもっと大々的にお祝いしよ。一大ニュースなんだから、市のお偉いさんとかも巻き込んでさ!」
「そのときは任せた」
笑えるかどうかは別にして、大々的に祝われたい。そう思った。
終電がなくなる前に二次会が終わり、大和は皆と別れた。
二月の青森は東京よりうんと寒い。それにいい具合にアルコールが回っていて、これ以上動くのは面倒くさい。実家は歩ける距離にあるが、タクシーで戻ることにした。
「あれ、お客さんひょっとして、女流棋士の大和さん?」
呼び止めたタクシーの運転手が驚き交じりに聞いた。そうだと答えると彼は景気よく笑った。
「私もヘボ将棋だけど、長年趣味にしてましてね」
「それは何より」
「いやあ、でも女流は、あなたくらいしかよく知らないんですわ!」
運転手は道中、ずっと勝手にしゃべっていた。大和は適当に相槌を打って済ませた。
数分で実家に到着する。玄関を開けると、両親が娘とは似つかぬ笑顔で歓迎した。
「もっと頻繁に帰ってきていいんだぞ?」
「そうよ。お父さんとふたりじゃ、なんかつまんなくてねえ」
大和が女流プロになると宣言したのは。小学生でアマ三段に到達した頃のことだ。まあやるだけやってみろと、たいして応援もしなかったこの両親は、いざプロ入りして瞬く間にタイトルホルダーになると、すっかり態度を変えた。今では方々に自慢の娘だと言っているらしい。
その自慢の娘が帰ってくるので、父は日付がもうすぐ変わるというのにまだ晩酌の最中だった。酒を飲みながら会話を交わしたいのだろうと察した大和は、卓の前に腰を下ろした。もう少しくらいなら飲める。
「調子はどうなんだ?」
「まあまあ」
「そうか。将棋のことは、もう何も心配していない。でもな、親としてはそろそろ結婚とかも考えてほしいんだが」
「将棋界って、プロ同士で結婚することもあるんでしょう?」
母もすかさず割り込んでくる。
「そういうこともある」
「誰かいい人いないのか?」
「いない」
端的に答えた。そもそも日常の中で、結婚などというキーワードはまるで意識せずに過ごしているのである。
「ほら、あの伊達名人とか、どうなんだ?」
「……あの人はありえない」
「なんで」
「私のことは妹みたいにしか思ってないし、私も兄みたいにしか見てないし」
はあ、と溜息が重なる。
「私たち、孫の顔を見られる日は来るのかしら」
「そういうのは期待しないでほしい」
「しないでほしいと言われてもな。しないわけにはいかないだろう。娘の幸せが親の幸せなんだ」
ならば自分の幸せは、結婚ではない。三段リーグを卒業して四段になり、男性と肩を並べる真のプロと呼ばれることだ。
そのために邪魔になることは、何もかも排除しなければならない……。
「まあ、お父さんとお母さんがそういうことを考えているってことは、頭に入れておいてくれ」
大和は形だけ頷いて、父の注いだ日本酒に口をつけた。
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