「仕方がない。将棋界はお金がない」
「……シンプルすぎる答えだねえ」
現在の将棋界は、主に各新聞社が棋戦のスポンサーになっており、その契約金で棋士の対局料や賞金がまかなわれている。それが充分なものかといえば、決してそうではない。国民的スポーツの野球やサッカーに比べれば、さすがに規模が小さい。
大和が所属する三段リーグは、将棋連盟の財政事情によって作られたものだ。規定の成績を満たした者を無制限にプロにしてしまうのでは、限りある契約金を適正に分配することが難しい。ゆえにプロになれるのは、原則半年にふたりまでという「産児制限」を設けているのである。
「だったらさあ、力のない棋士の引退を早める制度を作るとか、あるじゃない」
「それができるなら、とっくにやってると思う」
「ってか、棋士はどうしたら引退ってなるん?」
大和は質問してきた男子に、棋界の制度について簡単に答えていく。
すべての棋士はA級、B級1・2組、C級1・2組の五つのクラスに分けられている。このクラスを勝ち上がっていくのが棋戦の中でも最重要と言われる「順位戦」で、A級の優勝者が名人に挑戦できる。年単位のリーグ戦で、デビューは誰もがC級2組からなので、名人に挑戦するまで最短で五年はかかる。
しかしそれ以外に、フリークラスと呼ばれるクラスがある。C級2組の者が成績不振だとこのクラスに降級し、順位戦を指させてもらえなくなる。そして規定の成績を上げて復帰できないと、十年で引退となる。他にも普及に力を入れるために自分の意思で転出するケースなどがある。
熊谷はつまみの柿ピーをバリボリ貪りながら、にわかに目つきを鋭くさせる。
「フリークラスに落ちる条件を厳しくしたり、フリークラスにいられる期間を短くしたり、できないの?」
「棋士にも生活がある」
「だから、それで若いモンにしわ寄せが行ってるんだろ。やっぱ既得権益じゃね?」
「大和、お前の若い力で年寄りどもをぶっ倒せ!」
アルコールも手伝って、皆好き放題に言っている。
だが、素人がオブラートに包まず発する疑問に、いつでも誠意をもって率直に応えてこそプロ。兄弟子も常々そう言っている……。
「今の制度に不満がないわけじゃない。でも、改革の声を上げるつもりはない」
「どうしてよ。雲雀は女流トップだし、影響力もありそうじゃない」
「余計なことに労力を使いたくない」
みんな押し黙った。現在の制度で最前線を戦っている本人がそう言ってしまえば、外野はどうしようもない。
熊谷はこれが最後の問いだと、落ち着いた顔になった。
「じゃあ、どうすればいいと思うの? 雲雀だって、いつかは何とかしなきゃって思ってるわけでしょ」
大和は端的に答える。
「将棋ファンをもっと増やす。それだけ」
将棋界はすべて棋士自らの手で運営されている。言ってみればムラ社会だ。どうしても発想は保守的になり、棋士生命を第一に考えてしまい、大胆な改革というものは難しい。
そんな彼らの意向を変えることができるとしたら、スポンサーはもとより、ファンの声以外にない。
熱心な将棋ファンなら、現在の将棋界のひずみは理解している。だが、棋士たちが危機感を抱くほどにファンの声は大きくなっていない。
そもそもファンの母数自体が充分ではない。このままではいけないと思っている棋士も少なくないが、彼らの後押しができるほどの土壌が育っていない。
だから、大和の考えはシンプルだ。
もっと盤上で活躍して、ニュースにたくさん取り上げられて、将棋に興味を持ってくれる人を増やす。そのために今は、三段リーグを勝ち抜くことだけに集中しなければならない。
「将棋を教えてほしいって人がいるなら、特別サービスする」
大和はこんなことも言ってみたが、反応は芳しくなかった。
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