【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈4〉 Vol.26

2014/03/05 18:00 投稿

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【女流アマ名人戦 Aクラス決勝トーナメント一回戦 依恋VS真田】


 誰を気にする必要もなく盤に向かえる。団体戦もいいけれど、やはり自分には個人戦が合っているなと依恋は思った。
 可愛さの追及も将棋も、何ひとつ変わらない。この身ひとつで頂点を目指す。これほど血が熱くなることがあるだろうか? そんな意気込みを胸に秘め、いつものように飛車を振ろうとして――。
「あれ、そっちも振り飛車党?」
 思わずつぶやく。真田のほうから先に飛車を振ってきた。依恋は小考したが、予定どおりに飛車を6筋に移動させる。

【図は▲6八飛まで】
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 先手も後手も飛車を振る「相振り飛車」という形だ。矢倉などに比べて定跡がまだ整備されておらず、力戦模様になる――ということだけは以前に紗津姫に聞いていたが、実戦ではまったく初めてである。
 居飛車党の来是が相手ではこの形になるはずもない。この二ヶ月の紗津姫との指導対局は飛車落ちだから飛車を振りようがないし、教わった平手定跡もすべて対居飛車用だった。引退した関根は振り飛車党だったが、依恋と練習するときは居飛車でかかってきた。なんでも相振りは嫌いだとか。
 予選のときよりもチェスクロックを気にしながら、依恋は慎重に駒組みを進める。なるほど、対居飛車とはまるで違う。
 しかし聡明な紗津姫が、相振り飛車に出くわす事態を想定していなかったとは思えない。定跡が未整備とはいえ、ある程度は知っているはずだ。ならばなぜ教えてくれなかったのか。
 ――自分だけの力で、未知の世界を切り拓いてみてください。
 そんなことを言いたいのではないだろうかと、依恋は勝手な想像をしてみる。
 ――定跡の整備ではなく、創造をしたくなった。
 伊達名人もそう言っていた。なぜ? そこにワクワクがあるからだ。
 他人の敷いた道を辿らず、試行錯誤する。そうすることで人類は進化してきた。その喜びは計り知れない。
「よしっ」
 依恋は腹の下に力を込める。もちろん自分ごときアマチュアが定跡の創造などおこがましい。だから難しいことは考えず――やりたいようにやる!
「え、いきなり?」
 真田が口に手を当てて考え込む。

【図は▲9五角まで】
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 ようやく中盤戦に入ろうかという局面で、依恋は角香交換を挑んだ。
 狙いは至極シンプルだ。角を犠牲にして得た香を即座に投入し、すでに発射準備を終えている飛香と合わせて三段ロケットを作るのだ。
 真田もこの狙いには気づいているだろう。その上で、誘いに乗るかどうか。依恋にとってもこれは博打だ。もし受け切られてしまったら、駒損が響いてすぐに敗勢に陥ってしまう。
 やがて真田は決断した。△同香。依恋の挑戦を真っ向から受けた。
 依恋は作戦どおり三段ロケットを完成させる。さあここから。相手玉には逃げるスペースが充分にある。上手く攻めを繋げなければならない。
 奪った桂馬も絡めてじわじわ迫る。真田は玉を早逃げさせる。満を持して飛車を成り込ませると、相手は「大駒は近づけて受けよ」の手筋で龍を弾く。ならばと依恋はと金作りのために歩を垂らす。
「むむ……」
 真田の表情が次第に曇る。彼女の持ち駒は貯まっていくが、いかんせん盤上の駒の働きが悪い。飛車も角もその威力を発揮できていない。
 優勢。その二文字が依恋の頭に浮かんだ。
 それでもどうにか真田は攻め入ろうとするが、急ぐ必要はないと判断した依恋は、銀打ちで鬼のように辛い受けを披露する。そして相手の飛車を奪い取り、と金をボディーブローのように相手陣に食い込ませた。
「負けました」
 傍から見ても攻防ともに見込みなし。真田は速やかに頭を下げた。

【投了図は▲8二とまで】
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「ありがとうございました」
「んー、全然ダメ。受けきれると思ったけど、このと金がねえ、厳しすぎたわ。それにしても大胆な攻めだったわね」
「ええ、上手くいってよかった」
「おめでと。あなたなら、優勝できるんじゃない?」
 感想戦もせず、真田は速やかに席を立った。負けたというのに、ずいぶんとさっぱりしていた。
 依恋も練習ではよくある。あまりに大差で負けると、悔しいという感情は湧いてこないのだ。何より悔しいのは接戦を落としたとき。だから同じ負けるのでも、悔しい負け方のほうが上達に繋がると紗津姫は言っていた。もっとも、今日ばかりはそんな悔しさは味わいたくない。
「優勝――あたしなら、きっとできる」
 来是に一回戦突破のメールを送ろうかと思ったが、やめておいた。報告は――優勝したときでいい。


【女流アマ名人戦 名人戦クラス決勝トーナメント一回戦 紗津姫VS未来】


「……おねーさん、もしかしてバカにしてる?」
「そんなことないですよ?」
「だって、こんなの……」
 未来が唇をとがらせるのも無理はないかもしれない。
 先手を持った紗津姫の初手は――▲9六歩。いきなりの端歩突きである。
 関東高校将棋リーグ戦の決勝戦では三手目にこの手を指したが、初手でこうするのは紗津姫自身ほとんど経験がない。
 なぜそんな手を選んだのか。――例によって、なんとなく楽しそうだからだ。
「ふんだ。後悔しても知らないよ」
 未来はムスッとしながら△8四歩とし、居飛車を明示した。
 紗津姫は次に▲5六歩と真ん中の歩を突く。未来は再び「やる気あるの?」と疑わしげに紗津姫を睨む。角道を開けず、飛車先の歩も伸ばさない。棋理に反することこの上ない。一度負けたら終わりのトーナメントでやっていいことではない。百人中九十九人までがそう思うだろう。
 だが女王は激しい視線を涼しく受け流し、ユニークな駒組みを進めていった。
 ほどなく未来の表情は、疑惑から当惑に変わった。
「何これ……こんなの見たことない」

【図は▲5六飛まで】
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 玉の囲いを後回しにして、いち早く中央に大駒二枚の狙いを定める。「急戦端角中飛車」と呼ばれる、これも一種の奇襲戦法だ。
 未来の反応からして、兄の修助は奇襲の類は一切教えていないらしい。プロを目指すというのならそれが正しい。勝つための力を得るには、何よりも優先して定跡を学び、王道の棋風を身につけなければならないのだから。
 でもこんな将棋もあるんですよと、紗津姫は教えてあげたかった。自由な将棋はこの小さな女の子の将来を広げると信じて。
「えっと……」
 未来はいかにも不安定な紗津姫の大駒をターゲットにする。飛車で角を追い回し、左の銀を中央に進めて飛車を捕まえにかかる。しかし紗津姫は機動力を生かして、俊敏にかわしていく。
 ふと、未来の視線が自分でもなく盤面でもないところに向いていることに気づいた。
 伊達がテーブルのすぐ側に立っていた。眉ひとつ動かさずに、これからどのように駒が動いていくかを予知しているような目で。
 百戦錬磨の名人に自分の将棋を見られて、未来の両肩は強ばったかに思えた。プロになりたいと、アピールする絶好の機会だと張り切っていた少女。その名のとおりに未来にひたむきで、応援せずにはいられない。
 ――勝たせてあげたいな。ほんの少しだけ思った。
 だがそれは許されないこと。それこそ彼女のためにはならない。
 ひとつ深呼吸し、紗津姫はもっとも厳しい手を繰り出した。

【図は▲8四歩まで】
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 角が利いていてこの歩は取れない。仕方なく△8二歩と打って受けるが、そこで▲8六飛と転回する。
「あ……」
 未来は唇を噛んだ。これでどうしても飛車成りが受からない。伊達はその手を見てテーブルから離れ、余所へと移動してしまう。
 途端に、未来の手つきから勢いと自信が失われていった。この対局はもはや大勢が決している。名人の眼鏡に適わない。そう自覚したのかもしれなかった。
 それからの進行は、淡々としたものだった。龍を誕生させ、他の駒も悠々と活用していく紗津姫に対し、巧みに動きを制限されてがんじがらめの未来。
 紗津姫が王手をかけるには、まだ手数がかかる局面。しかしその差は圧倒的だった。迎撃態勢の不備で敵軍の侵略を阻止することができない、炎上寸前の城といった様相。
「……負けました」
 これ以上は惨めになるだけ。引き裂かれるような声で、少女は投了を告げた。

【投了図は▲9三香成まで】
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「ありがとうございました」
 挨拶の声はろくに聞こえていないようだった。未来はボロボロと大粒の涙をこぼし、テーブルを濡らしていく。
 あまりに大差で負けると悔しさも湧かない。しかしそれは、将棋に懸けるものが少ない人の場合だ。
「うぐっ、ひっく、こ、こんな変な戦法で、負けるなんて。なんでもっと普通にやってくれなかったの? 矢倉とか、角換わりとか、いっぱいいっぱい練習したのに」
「私はこれを変な戦法とは思ってないんですよ。面白い戦法だと思ってて」
「変だよ! ふえええん……!」
 そのとき、敗者の小さな肩にそっと手が置かれる。
 彼女もまた小さい。特別優しい目をしているわけでもない。なのに大きな包容力に満ちた存在感だった……。
「端角中飛車。私もこの大会に初めて出たとき、同じようにボロ負けしたことがある」
 大和女流名人は終局図を一瞥し、どんな対局だったかすぐに理解したらしい。未来は顔をくしゃくしゃにしながら、憧れの人を見つめ返す。
「私はその負けをきっかけに、将棋の奥深さを知った。そしてどんな変化球にも対応できるように練習した。おかげで来年には優勝することができた」
「……ホントに?」
「そんなにも泣くほど悔しいなら、君はきっと強くなれる。さあ、涙を拭いて。あとで指導対局してあげる」
「……うんっ」
 ごしごしと目をこすり、未来は席を立った。キッと強い目を取り戻し、紗津姫にエールを送る。
「わたしに勝ったからには、優勝してよね!」
「ええ、頑張るから」
 未来の背中を見送ると、紗津姫はホッと息をついた。
「大和先生、ありがとうございました。あんなに泣かれて、どう慰めていいかわかりませんでしたから」
「ん、じゃあ報酬ということで揉ませてくれない?」
「そ、それはちょっと」
「残念」
 表情がまるで変わらないので、本気なのか冗談なのか判断がつかない。ひとまずここは話題を変える一手である。
「あの、先生にも悔しくて泣いた日はおありなんですか?」
「私は泣いたことがない~♪」
 昭和のメロディで口ずさみ、大和はゆったりと踵を返した。残された紗津姫はしばらく呆然とするほかなかった。

     ☆

 喜びの影で悲しみが生まれる。トーナメントの冷徹な運命は彩文将棋部にも等しく降りかかる。依恋はいつも無駄に明るい金子が肩を落としているのを見て、彼女が言い出す前に結末を知った。
「準決勝で負けました~。痛恨の頓死を食らっちゃって」
「お疲れさまでした。でも初参加でベスト4なら充分すごいですよ。それにまだ三位決定戦がありますし」
「ま、こっちは金子さんの分も優勝するから」
 紗津姫は危なげなく決勝進出。依恋も際どいところがあったが同じく決勝に勝ち上がった。
 あとひとつ勝てば優勝できる。目標としてきた初段になれる。
 そしてきっと、来是に「よくやったな」と言ってもらえる。優勝すること自体よりも、その期待が依恋のハートを昂ぶらせた。
「んで、注目の先輩の相手は?」
「あたしや。やっと戦えるなあ、神薙さん」
 御堂が白い歯をきらめかせて、爽やかな笑みを向けてきた。
 将棋はスポーツと違って体を激しく動かすことはないが、頭を酷使してエネルギーを大量消費する。昼食休憩が挟まったとはいえ、依恋は真剣勝負の連続でだいぶヘトヘトだった。
 しかし紗津姫も御堂も、疲れている様子は微塵も見せない。将棋が強い人は脳味噌からタフなのだ。そう思い知る。
「あんたに勝って、伊達名人に弟子にしてくださいって直訴する! 絶対負けんで」
「私も去年は準優勝で終わった身ですから、負けられません」
 プロも注目する、女流アマ最強を決める一戦。それを傍目に、依恋に静かに自分のステージへと向かった。
 ――あの人はきっと大丈夫。だからあたしは、あたしの戦いをしよう。
 決勝の相手は、中学生らしい年下の女子。そばかすがチャームポイントで、らんらんとした眼差しがまぶしい。心底将棋を楽しんでいる目……かと思いきや。
「私、依恋さんのファンです!」
「え?」
「いつもブログ見てます!」
「神薙紗津姫さんじゃなくて……あたしのファン?」
「はい! 依恋さんのほうが、カッコ可愛いです!」
 ファン。聞き間違いではない。ぽわわーっと頭に血が上る。
 学校では碧山ファンを公言する男子がいることは把握しているが、将棋を通じてもそのような人が出てきてくれたのだ。盤上のプリンセスとして、自分は着実にアピールできているのだ。最後の最後で、こんなにも幸せな気持ちになるとは思ってもいなかった。
「どうもありがとう。いい勝負をしましょ」
「憧れの人と指せて、とても嬉しいです!」
 おまけに礼儀正しいときている。依恋はすっかり緊張が和らぎ、疲れも吹き飛んだ。この上なく清々しい対局ができそうだった。
 ところが……。
「それで、あの、お願いがあるんですけど」
「……は?」
 これから一戦交えようというのに、何を言い出すのか。どう反応したらいいか戸惑っていると、少女は天使のような純真さで口にする。
「横歩取り、やりませんか?」

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