【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈4〉 Vol.27

2014/03/08 13:00 投稿

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【女流アマ名人戦決勝トーナメント Aクラス決勝戦 依恋VS山里.一】


〈いよいよ日曜日は女流アマ名人戦!
 私はAクラス出場です。どんな戦法でも受けて立ち、優勝を目指します♪〉

 大会前最後のブログ更新は依恋の担当だった。この文面を送ったとき、来是は「依恋らしいな」と返事をしてくれた。
 特に深い意味はなかった。ごく普通の意気込みを書いただけのつもりだったのだ。言葉どおりに受け取る人が出てくるとは、誰が予想するだろう?
「私、横歩取りが一番得意なんです。どんな戦法でも受けて立ってくれるんですよね? だからお願いします!」
 依恋ファンを名乗る少女、山里奈々はキラキラと尊敬の眼差しを送ってくる。
 困った。困り果てた。
 横歩取りは戦法指定の練習でちょこっとやったことがあるだけで、まるで勉強していない。不慣れな戦法で戦えば、勝てる可能性は当然下がってしまう。しかも山里はこれが一番得意だという……。
「……ダメですか?」
 上目遣いで見つめられる。しかし依然として期待の色で彩られている。
 その瞳が依恋を決断させた。
 ――せっかくファンになってくれたこの子を、失望させたくない。
 ごめん、みんな。依恋は心の中で謝る。
 これは女の子としてのプライドなのだ。あたしはいずれ、女王様としてすべての女の子の先頭に立つ。それはあらゆる挑戦から逃げないのと同じことなのだ。横歩も取れないような女はダメなのだ!
「いいわ。お望みどおりにやってあげる!」
「あはっ、ありがとうございます!」
 こうして、戦法を事前に決め合うという常識外れの対局は幕を開けた。
 まずは互いに角道を開く。先手の依恋はいつもなら、ノーマル四間飛車にするためすぐに▲6六歩と角道を止めることが多い。そうするだけで横歩取りは回避できる。
 しかし堂々と▲2六歩。飛車先の歩を伸ばした。こうなったらもう後戻りはできない。
 瞬く間に十五手目。依恋は早まる鼓動の音を聞きながら、横歩を取る。
 その瞬間、山里はいきなり角交換を決行する。
「……っ! これが得意なの?」
「はい。いっぱい練習しました」
 やってくれるわね。依恋は内心で愚痴りながら、相手の注文に応じる。山里は駒台から角を取り、4五に打ち下ろす。
 横歩取り4五角。紗津姫が金子に教えていた、もっとも激しい急戦。
 依恋は気息を整えて飛車を逃がす。すると山里は打ったばかりの角を突貫させた。

【図は△6七角成まで】
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 これは▲同金の一手に△8八飛成。一気に危うくなったように見えるが、先手も▲2一飛成と桂馬を奪いながら成り込める。まさにノーガードの殴り合いだ。
 ――どうしよ。
 依恋はここから先の定跡を知らない。金子が紗津姫に教わっているのを傍目で見たことはあるが、ほとんど気に留めていなかった。何しろ紗津姫は言っていた。後手番の戦法である横歩取り4五角は、先手よしの結論が出ていると。つまり仕掛けた後手が必敗といっていいのである。覚える意味はないと思っていた。
 いっぱい練習したというのなら、当然山里もそれを承知しているはずだ。ならばなぜ?
「相手が正確な受け方を知っているかどうか、賭けながら指すのが楽しそうです」
 金子がこの戦法について持論を展開していたのを思い出した。
 先手よしとはいえ、それはあらゆる変化に正確に対応できての話だ。定跡を知らなければ勝ち切るのは容易ではない。だから受け間違えてくれることを期待してみる。勝利を至上としないアマチュアならではの指し方。
 そして依恋は、山里の心中を察する。

『依恋さんが本当に理想の人なら、私の浅はかな攻めも完璧に跳ね返すに違いないわ! きゃー!』

 依恋にとって、これが真実だった。他の可能性が入り込む余地はなかった。まさにファンならではの複雑な心理ね! そう思った。
 ともあれ一気に終盤戦という緊迫の局面。せめて受け方だけは教わるべきだったが、今さら仕方がない。
 勝利への定跡は確立されている。己のセンスだけでそれを辿る。この子の期待に応えてみせる!


【女流アマ名人戦決勝トーナメント 名人戦クラス決勝戦 紗津姫VS御堂.一】


「では、対局を開始してください」
 スタッフが写真撮影する中、号令をかけたのは伊達名人。最高クラスの決勝戦ともなれば、プロ棋士立ち会いの栄誉に恵まれる。
 彼の隣には大和女流名人。相変わらずその面持ちにこれといった変化はないが、身にまとう空気が変わっている。
 いかなる将棋が繰り広げられるのか。アマチュアの対局であっても、得るものがあるならば見定めよう。求道者のごとき静謐なたたずまい――。
「お願いします」
 先手は紗津姫となった。両者よどみのない手つきで、相矢倉の構築に取りかかる。高段者にとっては通い慣れた道、ほとんど時間を使うこともなく整備された定跡を歩む。
「ふふ、ワクワクしてきたわー」
「こちらもですよ」
「たぶん、うちのワクワクとあんたのワクワクは、違うで」
「え?」
 歓談していたときとは違う、挑戦的な目。
 関西ナンバーワンの女性アマ、御堂涼。優勝を手土産にプロ入りを目指すという彼女の気迫は尋常ならざるものだ。
 ――摩子ちゃんと同じくらい強い。その気持ちでかからないと、あっという間に食いつかれてしまうだろう。紗津姫は呼吸を一定に保ちつつ盤面にのみ意識を傾ける。
 瞬く間に五十手を超えた。まだ前例の多い局面。しかしそろそろ後手のほうから変化してくるはず……。
「よしっ、行くか」
 御堂は小さく気合いのかけ声を出す。
「……っ?」
 紗津姫は小首をかしげる。その手もまた前例どおりのものだった。
 御堂の顔を伺うが、自信ありげな雰囲気は微塵も失われていない。
「どした? 迷うところやないやろ」
「ええ……」
 互いに小考することはなく、六十手、七十手と進行する。
 紗津姫の胸中に、うっすらと疑惑の雲がかかる。
 同時に、うぬぼれでもなんでもなく思った。
 ――本当にいいの? このままでは私が勝ってしまいますが。
 そして九十一手目、彼女たちはその局面を迎えた。

【図は▲8一飛成まで】
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 二段目に飛車を打ち下ろし、歩で合駒させてから▲8一飛成と桂馬を入手。
 初心者でも一目で優劣がわかるくらい、陣形の差が築かれている。だが優勢のはずの紗津姫のほうが思案していた。対する御堂はうっすらと笑っていた。
「不思議な顔しとるな。ま、無理ないか」
「では……」
「矢倉九十一手組。もちろん知らんわけやない」
 現代将棋は研究将棋である。少し前まで最先端の研究がなされていたのが、この「矢倉九十一手組」だ。
 その名のとおり、九十一手という長手数まで指し手が決まっている。研究将棋の極北ともいえる定跡。
 先手陣の矢倉がまるで手つかずなのに対して、ほとんどの守り駒をむしり取られた後手。豊富な持ち駒があるものの、先手の攻めを受け切ることができるか否か。
 幾度かプロの実戦で現れたが――出された結論は、先手の勝ち。
 ゆえに、プロ間ではすでに指されてはいない。今は後手がこの局面を避けるように工夫する。
 だというのに、御堂の指し手に迷いはなかった。
 明らかにこの局面に誘導したのだ。なぜ?
 ――勝てる手順を見出したから。
 当然そういう結論になる。だが、考えられない。ありえない!
「これ、本っっ当に後手がダメなのか、調べてみたんよ。トップ棋士が出した結論を疑う――わざわざそんなことせんでも、勝ちたいなら他の定跡を学べばええと思うやろ? まったくそのとおり。いらん苦労。でもそれが楽しいんや。うち、昔から無駄に凝り性でなあ」
 この状態で攻め合いをしようとしても無理。よって後手に可能性があるとしたら入玉しかない。そのこと自体は、最後の実戦での感想戦でも検討されていた。
 しかし負けた側の棋士はこうコメントした。自信はない、と。
 この形はそれから現れていない。そもそも将棋は相手玉を詰ますのが目的であって、自玉の遁走に情熱を傾けるようなゲームではない。水面下で研究されていたのは間違いないが、御堂の言葉どおり、苦労して入玉の可能性を追及するくらいなら、他の手段を探したほうがいいと結論づけられたのだ。
「ワクワクしてきたってのは、そうゆうこと。うちが後手になって、相矢倉になって、もしかしたら研究成果をお披露目できるかもしれんってな。それも偉い先生たちの見ている前で」
「――面白い」
 大和が静かに言った。これはプロの興味を引く将棋だと。
 伊達は沈黙しているが、同じく興味を引かれている様子だ。未来をも見通すと言われるその目は、この先の局面をいかに分析しているのか。
 紗津姫の背筋に形容しがたい感覚が走る。
 それは、完全な未知への興奮。
「さあ、捕らえてみいや。かーなーり、粘り強いで?」

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