俺の棒銀と女王の穴熊〈4〉 Vol.10
――そうして一時間ほど経った頃、再び携帯にメール着信があった。
「あれ、また先輩から?」
ディスプレイは間違いなく神薙紗津姫と表示している。
内容は今度も簡潔だった。
『今なにをしていますか? 私は本格的にチェスを勉強しているところです。』
紗津姫は話があるなら部活の時にするというスタンスなので、重要な用件でもない限り、来是に連絡を取ることはほとんどない。来是も来是で、単なる雑談のために彼女にコンタクトを取るのは、いまだにためらいがあった。
しかしこれは、間違いなく雑談だ。
先輩は自分と、そういうことをしたいと思うようになった……? 来是は小さな驚きとともに大きな喜びを感じた。
『詰将棋やってました! もう7手詰くらいなら苦になりません! 先輩は将棋とチェスを両立するんですか? すごいです!』
かつてない速度で返信をしたためると、彼女もすばやくレスしてくれた。
『実は伊達名人から薦められたんです。チェスができると、やっぱり海外の人と話がスムーズにいきそうですよね。本当に将棋とはまるで違って難しいですけど、上手くなってみたいです。』
伊達名人は多忙の中チェスを覚えて、短期間のうちに国内有数の強豪になった。海外のチェスイベントにも積極的に参加し、同時に将棋普及を行っている。
名人はいずれ、紗津姫を海外に連れて行き、将棋アイドルとして大々的に紹介するつもりなのではないだろうか。今からそんな遠大な構想を描いているとしたら、さすがの一言だ。
それにしても薦められた……ということは、ふたりはしばしば連絡を取り合う仲ということになる。少なくとも自分よりは多い頻度で。来是は複雑な気持ちになりながら、新たなメールを送信する。
『海外に行くんだったら英語もできないとダメですよね。先輩って学年トップの成績だから英語も話せたりするんですか?』
すぐさまレスが来る。
『テストの成績はいいんですけど、話すとなると全然です。勉強しなくちゃいけないですね。名人は海外普及を視野に入れてから勉強をはじめたそうで、簡単な会話くらいならできるそうです。すごいですよね。』
……紗津姫とのメール交換は至福の時間だが、これ以上伊達のことを話題にされるのは御免こうむりたかった。
『すいませんそろそろ休むんで。おやすみなさい。』
今度は返信が来るまで、ちょっとだけ間があった。
『付き合わせてごめんなさいね。おやすみなさい。また部室で。』
携帯を握りしめたまま、ベッドに沈み込む。
今は自分にできることに集中するだけ。とはいっても、名人がこれからどんな行動に出るのかは気がかりだ。
彼が紗津姫に告白したとき、返事はゆっくり待つような態度だったが、いつ変化するかわからない。積極果敢にアプローチするかもしれない。そして、そうなったとしても来是には知りようがないし、紗津姫も語ろうとはしないだろう。
「本当にとんでもない人がライバルになったもんだよな……」
いや、むしろそれほどの人と競っていることを、誇りに思うべきだろうか。
たとえば依恋だったら……神薙紗津姫と競っていることを、己のステータスと考えるのではないか。
強力なライバルがいるからこそ、自分を成長させることができる。将棋も、恋も。
そうだ。伊達はただの恋敵ではない。
あちらは自分のことを視界の端にも入れていないだろう。それでも対等なライバルだ。……そう思わないと、この先やっていけない。
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