俺の棒銀と女王の穴熊【1】 Vol.2
☆
私立彩文学園。
昭和初期創立という長い歴史を持ち、近隣では有名な私立高校だ。
日本文化の大切さをよく学ぶべしと、ヒゲの豊かな校長先生が、入学式の挨拶で繰り返し力説していた。我が国の彩り豊かな文化……これが学校名の由来だ。修学旅行は例外なく古都の訪問であり、その他特別なカリキュラムも多数用意しているとのこと。
「日本文化ねえ……。そう言われてもピンと来ないけど」
「そうよねえ。いっそ和服を制服にすればいいのに。男子は袴でさ。学帽も被って」
「昔の書生みたいだな」
初めてのホームルームが終了し、早くも放課後を迎えた教室。来是はなんとなく依恋と話し合っていた。新しい友達を作ろうと積極的にアクションを起こすクラスメイトもいるが、ふたりに近寄ってくる者はいなかった。
……こいつが美人すぎるからだよな。来是はそう直感した。
自己紹介のときの依恋の美少女ぶりには、クラス中が好奇と畏敬の視線を寄せていた。ドイツ人クォーターゆえの華やかなルックス、瑞々しく肉感的なスタイル、そして抑えきれない西洋貴族的オーラは、まさしく将来の女王候補のものだった。
近寄りがたい高嶺の花。でもそのうちに、違う意味で近寄りがたいことを理解してしまうだろう。このプライドの塊みたいな女の子とまともに付き合えるのが、自分の他にどれほどいるのやら? 来是は苦笑いを浮かべた。
「それより、また一緒のクラスになったわね。ひょっとしてあんた、あたしと一緒になりたいってお願いでもしているの?」
「んなわけないだろ」
依恋と同じクラスになるのは、中学の三年間から数えて、四年連続になる。この高校に進学した同中は他にもいたはずだが、ばらけたようで顔見知りはひとりもいなかった。
ともあれ、男を磨くには新しい交流が必要だ。受け身でいてはいけない。
来是は鞄を取って意気揚々と教室を出る。
「さっそく部活を探すよ。じゃあな」
「あたしも付き合ってあげるわ。ありがたく思いなさい」
「依恋も部活に入るのか? レッスンはどうするんだよ」
依恋は家でのお稽古事が多いため、中学でもどこの部活にも入っていなかった。帰宅部なのは来是も同じだったのだが、単に面倒という理由からだ。おかげで依恋に暇ができると、いきなり部屋に押しかけられたりしていた。エッチな本を見つけられて思いきり引っぱたかれたのは、何個もある忘れたい記憶のひとつである。
「別にどこも入る気はないけど、敵情視察よ。あたしのライバルになり得る女がいるのかどうか。どうせいないだろうけれど」
いつもながらたいした自信だったが、おとなしく同行させることにした。
生徒が多く行き交う一階廊下の掲示板まで来た。
カラフルな手書きの部員募集ポスターが、隙間なく張られている。自分たちと同じ新一年生が、わらわらと集まっていた。
すると、彼らは臣下が女王の道を開けるように退いた。依恋はそんな周囲の変化が心地よさそうで、上機嫌に笑顔を振りまく。
こうしていると、俺が依恋の従者みたいだ。こんな状況から脱出するためにも、夢中になれる部活を探さなければ。そう決意を新たにする。
野球部、サッカー部、バスケットボール部といった運動部の定番から、美術部、吹奏楽部、文芸部などの文化系まで、実に様々ある。マイナーな活動をしている同好会もあるようだ。
「これなんか来是に似合いそうじゃない?」
「どれ?」
「演歌同好会。日本の心を学ぼうですって」
「からかうなよ」
「冗談だって」
ざっと見た感じでは、特に心惹かれる部や同好会はなかった。
ここにポスターが貼られているものだけが、すべてではないはずだ。ホームルームでもらった学校案内図を鞄から取り出す。来是はそれを見ながら、掲示板の前を離れた。
渡り廊下を経た西側の敷地に、校舎から独立した部室棟はあった。
この建物の中に、自分の青春が待っているかもしれない。頑張って探そう! 胸を張って来是は進入していった。
「なんだかショボそうな部しか入っていなさそうだけど?」
「そんなこと言ったら失礼だろ。いい雰囲気じゃないか」
校舎とは違って、リノリウムではなく板張りの廊下だった。そのおかげか、落ち着きある空気があった。
もっとも、こういった部室棟に所帯の大きな部が入っていないのも確かだろう。一部屋程度を割り当てれば、それで充分という……。
「少なくとも、こういうところじゃ男を磨くなんて無理なんじゃないの。やっぱり運動部にしなさいよ」
「うるさいなあ」
「うるさいってどういうことよ」
「これからじっくり探そうっていうんだから、口出ししないでくれ」
「な、何よ! せっかくあたしが――」
――パチン。
乱暴な言葉の応酬を遮る、清澄な音が聞こえてきた。
来是と依恋は、同時にその方向に顔を向ける。
扉のプレートに、その部活名は書かれていた。
将棋部。
どうやら、今のは駒音らしい。プレートの下には部員随時募集中の張り紙があった。
「……将棋、か」
「将棋って、あたし全然知らないわよ。何かと思ったけど、興味ないわ。行きましょ」
「いや……」
パチン。もう一度、同じ音がした。
珍しい音ではなかった。将棋はニュースでたまに取り上げられるし、来是は子供の頃に父親から将棋を教わったことがあった。それは親が子供と楽しむいくつかの遊びのひとつにすぎなかったし、一通りの基本だけで熱心に教えられたわけではない。だからこれといって思い入れがあるわけでもない。
しかし、来是は心の奥底で感じていた。
これは――気持ちのいい音だと。
来是は誘導されるように、扉をノックしていた。
「どうぞ」
しっとりした、よく通る女性の声だった。
ムスッとしている依恋を尻目に、来是はおずおずと扉を開く。
――その瞬間に展開した光景を、来是は生涯忘れないだろうと思った。
背筋を綺麗にまっすぐ伸ばし、机に向かっている女性がいる。
彼女が向かっているのは、正確には将棋盤だった。長年使いこなされたと思しき、渋みのある色合いの卓上将棋盤と、その上でそれぞれに役割を持っている駒たち。
駒のひとつが、美しい所作で持ち上げられた。
パチン。廊下で聞いたよりもクリアな音が耳に入る。柔らかい余韻が拡散する。
彼女の佇まいとその駒音を、とても美しいと感じた――。
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