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ひどい小説だった。
やたらと幼女の素肌とか素肌とか素肌とかが描写されていて、ページをめくるたびに精神力が削られるようだった。挿絵などとても正視に耐えなかった。
授業が終わると同時に、零次は机に突っ伏した。こんなに疲れる読書は初めてだった。
「チヌは文学だ!」
御笠は超盛り上がっていた。他のクラスメイトも、だいたい同じ感じでうっとりしている。
崇城だけは澄ました顔をしている。みんながみんな、感情を露にするわけではないのだろうか……。クールに見えても内心ではハイテンションということもあるかもしれない。なんにしても、ただ操られている彼らは幸せだと思った。うらやましくはないが。
「って……寝てる場合じゃない」
待ちに待った昼休みだ。生徒たちは弁当を広げたり購買に向かおうとしている。それを横目に、零次は廊下に出ていたメルティを小走りで追いかけた。
「先生、ちょっと待ってくださ……」
あと一メートルのところまで近づいたとき、足を突っかけた。
バランスを崩し、前方に投げ出される。メルティが振り向く。
真正面からぶつかった。メルティの小さな体が、抵抗なく倒れる。
のしかかる。とっさに床に手を突いて押しつぶすのを避ける。
だが……。
「んむ?」
唇に柔らかいものが。
「……ふか、み?」
「……!」
メルティは驚愕に目を見開いて、押し倒されたまま硬直していた。外国人特有の澄み切った青い瞳が、彼の心臓を直撃する。周囲の生徒の視線もガンガンと注がれる。
「せせせ、先生!」
雷に打たれたようにガバッと立ち上がり、たった今互いに触れ合っていた唇を触る。
ファーストキス、だった。
零次も人並みに、ファーストキスに憧れていた。好きな女の子との、一生に一度だけ許されるその行為。
それを……こともあろうに、このミステリアスな幼女相手に!
メルティは頬を赤く染めながら、ゆっくりと起きる。流麗な金髪を掻き上げ、教師らしからぬいたずらっぽい眼差しをくれる。
「驚いた……白昼堂々、押し倒してキスをするだなんて。いくら私が魅力的なロリっ娘だからって、他のどの生徒もこんなことはやらなかったのに」
「ちち、違うんです! 事故です事故!」
「恥ずかしくなったからって否定しなくていいぞ?」
「だから違うんですって!」
「どうだ? この幼い体を押し倒した感想は。ぷにぷに気持ちよかっただろう」
「別に何とも思いません!」
「私ルートのフラグが立ったな」
「立ってませんから!」
「妄想の中でならいくらでも私を使っていいんだぞ」
「何に使えと!」
のれんに腕押しとはこのことだった。
「話があります! ちょっと来てください!」
零次はメルティの腕を引っ張って屋上まで来た。
この学校の屋上が常に開放されていることは聞いていた。人に聞かれたくない話をするには最適だ。幸い、今は他に誰もいない。
「まさか、青空の下でキス以上のことをするつもりかい?」
「冗談はやめてください。真面目な話なんです」
「ふうん? 何かな」
疑惑を端的にぶつけると、メルティは微笑んだ。
「あはは、気づくの遅いよー。最初に結界の説明をしたときに聞かれると思ってたんだけど」
「すいませんね鈍くて。それで、どういうわけなんです」
「まずね、私が誘惑の結界を張っている理由は、ロリ万歳! と崇められたいからなんだ」
「うわあ……」
「これはつい数年前に完成させた魔法でさ。納得いくまで何度も練り上げた苦心の作だ。おかげで、素晴らしい効果を発揮できるようになった。なんたって、一度結界に入り込んだら死ぬまで私にメロメロになるんだからね」
「ひどい、ひどすぎる!」
「その代わりと言っちゃなんだけど、いいこともあるんだよ? この結界の影響下にある者はね、私の魔力のおかげで心身共に健康になれるんだ。ロリの力であっちこっちがビンビンさ!」
「卑猥な言い方はやめてください!」
「ちなみにこの結界、名前は《幼女の世界》(ロリータワールド)っていう。シンプルなネーミングだけど、これでも一ヶ月くらいは悩んで……」
「もういいですから本題に入ってくれません?」
「そうしてしばらく女王様気分を味わっていたんだけど、どうも物足りなくなってね。達成感に乏しいっていうのかな……。そこで考えたんだ。誰かひとりくらい、自力で誘惑しようって」
ギクリとする。
「ま、まさかそれで僕が?」
「私のクラスに転校生が来ることになった。このチャンスを逃す手はないって思ったよ。一から私好みに調教できるって!」
「調教って何です調教って!」
「おっと、今のは言葉のアヤだ。忘れてくれ」
「忘れろったって無理!」
思わず後ずさる。これでは自分の意志とは無関係に、何も気づかないまま誘惑されていたほうが、まだ幸せではないか?
「そういうわけで、君だけは《幼女の世界》に影響されないように工夫したんだ。なぁに、手荒い真似は決してしないと約束するから」
「い、いやですよ、ロリコンなんて!」
憤慨して屋上を後にしようとする零次の背中に、無邪気な声がかかる。
「私の計画は完璧だよ。君は近いうちに必ず、私に依存するようになるから」
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