自己責任論を主張する人の核ってどこなんでしょう。
『不平等が健康を損なう』という本などで明らかになってきているように、弱者に厳しい社会は高所得者にとっても決して住みやすい社会ではありません。
要は「困った時はお互い様」がいいのです。未来の普通は「困った時はお互い様」がもっとシステムとして洗練されます。
では、今はいったいだれが「自己責任」論を振りかざすのでしょう。
はっきり言って、高所得者は違います。一部違う人もいるでしょうが、基本的に彼らはお金のことをよく知っています。税金で払ったお金が効率よく使われないことなんてよく知っているし、だから、節税するし、節税も上手です。累進課税は平等か?なんて言われることがありますが、累進課税にでもしなければ彼らはほとんど払わないことでしょう。
それは社会にそむく訳ではありません。もっと効率よく寄付だのなんだので上手に社会に還元します。『不平等が健康を損なう』を読んでなくてもその内容は知っているし、それぞれのやり方で還元しています。
第一、裕福なのに自己責任論なんて振りかざしたら叩かれる(炎上マーケティングであえてやる人はいますが)し、そもそも少数だから自己責任論の中核にはなりません。
一方、弱者はもちろん言いません。支援してほしい立場ですから、なんでそんな『自己責任論』がはびこっているのか当惑するばかりでしょう。
じゃあ誰が振りかざすのか。それは、中くらいの所得者で「自分は損をしている」と思う人ということになります。困った人を税金で助けているせいで、自分の所得からたくさん税金を取られ、結果として自分としては不本意な生活レベルに落ちている、くらいでしょうか。
しかし、そう思う人のおそらく大部分は、それは勘違いです。おそらく自分が気づいてないだけで、ほぼトントンで公共サービスの恩恵に浴していることでしょう。
もしも、本当に払い過ぎている人であれば、それはかなり少数の、現在この世になんの憂いもなく、自分の才能をいかんなく発揮できる最高の状況にあるはずですから、大いに稼いで、この世を謳歌してください。「できてない」というなら、どうぞ公共サービスを活用して飛躍するきっかけにしてください。
わたしもたまたま景気いい時にアメリカのベンチャーでエンジニアしてた時は、給料良かったですし、ですから暮らしには困らなかったし、税金取られたって「自己責任論」を振りかざすモチベーションにはなりませんでした。
一方福山に移って半自立した時は、そりゃあ収入減りましたから、様々な制度にお世話になりました。感謝感謝です。東京で働いてた時に収めた税金分は助けてもらったと思います。
どこに「自己責任論」を問う必要があるのか、本当によくわかりません。
わかりやすいところで健康保険とかあるかもしれません。働き盛りなら、病院にかかることなど何年もないでしょうから、丸損に感じるかもしれません。でもほんと病気は誰にでも降りかかります。自分に降り掛からなくても、結婚してれば家族に降りかかることだってあります。
いいや、自分は一人だし、ばりばり健康だし、まじ健康保険丸損、というのなら、まじ思う存分働いて稼げばいいと思うのです。子供が風邪引いたら保育園にお迎えとかしなくていいんですよ? 健康保険料なんて気にならないくらい、仕事に没頭して働けばいいのです。
仮にブラック企業にいて、文字通り死にそうなくらい働かせていて、「なんで俺がこんな目にあってるのに、働いてない奴がタダで金もらってるんだ」と思うなら、しかるべきところがあるのです。そういう人のために支援の手を差し伸べている人や団体や公共サービスがあるのです。
「自己責任論」を振りかざす人は、たとえば生活保護を受けている人を非難する人は、自分の生活が苦しいのにけしからんということではないのでしょうか。
だとしたら、そんな他人を攻撃せずに、どう苦しいのか、どうして苦しいのか、それを言えばいいのではないでしょうか。そしたら、世の中のいろんな支援活動や制度教えてもらえると思うのです。
そんなの自己責任で自分で調べろなんて言いませんから。いや、言う人いるかもしれないけど、みんながみんなそうじゃないです。
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