2013年のですが、こんな記事を見つけました。
望まなくとも、わたしたちの性格は常に変化する:研究結果
「わたしたちは過去に自分に起きた変化を認識することができるにもかかわらず、このことが未来にも起こる可能性は認めない」ヒトは、昔と今では自分の性格が変わったということは認めるけれど、これから先は変わらないと考えるだそうです。
その記事の中ではそれをこんな風に分析しています。
・わたしたちは年を取れば取るほど、自分が変わったことや、将来自分が変わるかもしれないことを信じられなくなっていく。わたしたちは賢くなり、完成されたと信じている。若者たちも、現在の自分たちの性格はより優れたものだと考える傾向があり、自分たちの信念や趣味がある日、変化するかもしれないと仮定することがなかなかできない。若者ですら、今日の自分が一番完璧でだからこれから変わらないと考えるのだろうという感じでしょうか。
それだいぶ違う気がするんですけど。
というか、これテストの仕方やその解釈か、この記事が誤解しているだけで、性格の中でも一部変わらないところはあって、そこはやっぱり変わらないよね、という話を性格全体の話のように書いたことだけが問題なのかもしれません。
という不安はさておき、なぜ将来性格が変わることを認めたくないかといえば、将来性格が変わることを肯定すると、「自分ってなに?」って問題に落ち込んで不安になるからですよね。
ですから、より若いほど、自分の性格が自分の存在の証明であるかのように捉えることは、ごく普通だと思います。
でも、現代において、いわゆる20歳の成人の後で、もう1段階精神的に成長する過程があると考えています。それは、2年以上前に詳しく取り上げました。真大人になるというステップです。
30歳。大人と真大人の狭間で
今回、性格が変わるという視点で改めてこの問題を考えると、成人してさらに歳をとると、自分の性格は変わるということを認識できるようになります。
でも、その一方で、性格は変わるけど、自分の中で変わらない部分というのを見つけるのもこの頃です。どんなに些細なことでも、ああここはあまり変わらないなというところを見つけられます。そうするとそこが自分だと思えるということです。結果として、そこも将来変わるのかもしれませんが、それは厄介な問題ではなく、どんどん性格が変わる中でも、その時自分の中であまり変わらないところがあると感じられるところがあればいいわけです。
そういうところがあれば、別にいろんなところで自分の性格がどんどん変わったってなんてことはないわけです。というか家庭と職場で性格の違うのはごく普通のことで、つまり職場の状況が変わったり、家庭の状況が変われば、性格もそれに合わせて変わります。というか、私は子供が成長するのにつられて自分の性格も変わってます。長男と次男との接し方の違いについて、子供の性格の違い以上に、自分が変わってるせいだと思い知らされています。
そんなわけで、今までさんざん変わっているのですから、将来において変わらないなんてこれっぽっちも思いません。むしろ、自分の性格が変わるということを自覚をした時は、自分の今の嫌なところも、将来変わるかもしれないと思えた時であり、気持ちがすごく楽になった時でもありました。
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