先日のドイツ機墜落事故、今のところ副操縦士の意図的な行為でないかと見られていて、しかも副操縦士は精神的な問題を抱えていたのではないかと言われています。
その真相はまだはっきりとしたわけではありませんが、人々の反応を見ていると「自殺するなら一人ですればいいのに」みたいな感想や、それに同調するコメントを見かけます。
いたって普通の反応として流れていくのですが、最近はこの反応に危機感を覚えています。
例えば猛威を振るったエボラ熱にかかってしまったとします。広がらないことだけ考えるなら、治るかどうかわからないのに治療して医者に伝染するリスク冒すくらいなら、「一人で死んで」とさっさと隔離して切り離してしまった方が確実かもしれません。
でもそんなことはしません。社会が人をそんな風に切り離すなんてなったら、みんな安心して暮らせません。なにかの拍子に自分だってかかるかもしれません。ですから社会は見捨てようとはいないし、その意思に応えて医療関係者もリスクを冒して治療にあたります。
その背景には、「誰だってその病気にかかる」という共通意識があります。明日には自分もかかるかもしれない、だから、今かかっている人も見捨てず助ける努力をしなければなりません。
一方、今回の墜落が精神的な病が関連しているかもしれないという報道が出ると、冒頭のような感想が出てきます。これ背景には、どうしても「自分はそんな病気にはかからない」という考えが透けて見えます。
似たのに、危険ドラッグによる車の暴走事故があります。危険ドラッグはそもそも見たこともなければどこで入手出来るかもわからない人も多いでしょう。その場合、無意識に「自分は危険ドラッグなんてやるはずがない」と感じるのは自然であり、暴走を起こした人を社会から切り離して考えることにつながります。
しかし、誰かに騙されて吸わされて自分だって同じ事故を起こすかもしれません。
心の病はもっと現実です。STAP細胞騒動の笹井芳樹氏をはじめ、なにかの騒動で社会に騒がれたことであっという間に追い詰められ死に至る人は大勢います。ヒトなんて誰でも簡単に精神的に追い詰められてしまうのです。その時、一人で自殺するのでなく、やけになって他人を巻き込んでやるという気持ちが生まれることもあるでしょう。
もし、エボラにかかったら、「自分は悪いことしてないのに」とやけくそになって周りに移しまくりたくなる気持ちも芽生えることでしょう。実際に行動に出るかはともかくとして。
つまり、仮にその副操縦士の立場に置かれたら、私も巻き添え墜落するかもしれないのです。
話題になっているこのブログもそんな視点だと思います。
男性依存のサキちゃんは風俗嬢へと転身しました - プロセスレコード
サキちゃんの言葉を聞いて私が驚いた理由はふたつ。誰でもサキちゃんの境遇を生きればそうなるのではないかという視点です。
ひとつは、それまで私は、彼女は馬鹿だから自分の意志でだらしなく生きているものだと固く信じていたのに、そもそも彼女は他の生き方も選択できるのだということすら知らず、男性依存が彼女の意思なのかどうかすら不明だということ
今は共感の時代となり、共感する力はそのまま想像力やイノベーションの源泉です。なので、副操縦士の仮説を聞いて安易に切り離さない考え方や、このようなサキちゃんの話を自己責任とかたずけない気持ちを大切にしていきたいと考えています。
そのために間接的なようで、深く関わっているのではないかと最近考えているのは、常にチャレンジすることではないかということです。
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