グローバル化グローバル化と毎日のように話題になっていますが、多くの人にとって、なんか別世界に感じているのではないでしょうか。

 たとえば、去年の記事にこんなのがあります。

 【HBO】文科省選定の「スーパーグローバル大学」はやっぱり無意味?  

グローバル論としてそれなりに読まれた記事だとは思いますが、全国の37校の大学の話で、実は大部分の日本国民には「関係がない」話です。

 その他のグローバル論も大企業の人には重要かもしれないけど、他の人には関係のないような話が大半です。

 こういうグローバル論はどれもこれも、グローバル化しないと競争に負けて生きていけないとか、競争の話になりがちです。

 上の記事でも象徴的なエピソードが出ています。
入山准教授がアメリカにいた頃、ある日本のメーカーからMBAで派遣されてきた人が車を購入するときに発揮した能力について語る。

<アメリカのディーラーは高い価格をふっかけてくることもよくあるので、交渉は油断なりません。そこで私は英語が苦手な彼がディーラーに行くのに付き添うことになりました。いざ現場に行くと、英語はそこそこしゃべれても「交渉下手」な私はまごつくだけ。ところが、驚いたことに、彼は片言の英語を使ってディーラーの社員と自ら交渉をはじめたばかりか、粘りに粘って結局は格安の値段で車を手に入れることに成功しました。現地人でさえ難しい交渉事を、アメリカに来て2日目の人が成し遂げたのです> 
 ぼったくられそうなところ、英語力がなくても交渉力があって負けなかった、という物語を引き合いに出しています。こういう力がないと、世界で負けると。

 でも、普通に日本で暮らしている分には英語も外国人も関係ありません。昔見積もったことありますけど、9割くらいの日本人は、そうです。その9割の日本人は、外国人とやりあって勝たなくてはいけないとかそんな話からは無縁です。

 ですから、こういうグローバル論は日本人の大半には無用なのに、なぜかグローバル論はそんな画一的な価値観で統一されていて、全然大半の日本人には響きません。

 では、日本人にグローバル論はいらないか。そんなことはありません。そこには大きな可能性が秘められています。

 私たち日本人がグローバル化としてお手本にすべきはこれです。

 世界の折り紙アーティストへのeメール  

 折り紙を好きな子が世界的な折り紙アーティストに憧れていたところ、先生の勧めで手紙と一番の自信作の写真をそのアーティストに送ったのです。返事があるのか先生もハラハラしたようですが、翌朝にはあっけなく返事が来て、彼に次の具体的な道筋を示したのです。

 社会はどんどん多様化しています。その原動力はIT技術で加速される繋がる力です。同じ趣味を持つ人が周りにいなくても、ネットがあれば少なくとも日本の中では簡単につながれるようになりました。もし英語も活用すれば世界中の人ともつながれます。

 彼はこれをきっかけに英語をこなせるようになるかもしれません。あらゆる英語を自在にあやつるのは大変ですが、特定の分野であればそれほど難しくありません。