ミライ: 出だしはワンパターン、中身はてんこ盛り。ゆく年来た未来2014 誰も信じない真実シリーズ、(その10)に続いて、今回は(その11)、11月のネタからお送りします。
フツクロウ: さてさて、11月はどんなキーワードじゃったかの。もう最近じゃからだいぶ覚えておるが。
ミライ: そうですね。今回のキーワードはこちらです。
識字率99%、 東海道、 市区町村出生率マップ、 「僕ビール、君ビール」、 「秒速5センチメートル」、 ソーシャルラーニングアプリ、 eラーニング、 地域出張型学習塾、 悪意、 大正の価値モデル、 寄付を売る、 地方 ingress、 「イヤ」を言える場、 「大学」と「自由」、 代わり映えしない候補、 #どうして解散? 、 市区町村別給与検索、 モチベーション
フツクロウ: 「僕ビール、君ビール」復活せんのう。
ミライ: ずいぶん気に入ってましたもんね。1年くらいは辛抱強く待たないとだめなんじゃないですか?
フツクロウ: 「僕君」はだめでも、クラフトビールは並んどるのかと昨日コンビニ行ったが、全然なかったぞ。人気らしいのお。
ミライ: はー、そうなんですか。なんかここにきてにわかにビール売れてますね。今後は税制も変えてビールばかり高くならないようにするみたいですし。
フツクロウ: らしいの。ヨーロッパからはビールなのに日本の税制でビールと言えないのはなにごとだと文句もきとるみたいじゃしの。税が安くなろうが、自分たちの自慢のビールが「これはビールじゃない」といわれたら許せんわな。
ミライ: そりゃそうですよ。
さて、この辺から教育のお話が続くようになるんですよね。今日はそこからですか?
フツクロウ: ホッホッホ。それは次のお楽しみ。今日の「誰も信じない真実」は、
社会は大正時代に作られた価値観に縛られている
じゃ。
ミライ: あ、
価値モデルは大正モデルの呪縛から解き放たれなくてはならない。
ですね。
フツクロウ: ホウじゃ。
大正時代の価値モデルとは何か。それは価値が分断されていることです。
たとえば、モノを提供する場合、「お金」を得るのが「売買」、「他者からの評価」を得るのが「プレゼント」、「自己の満足・喜び」を得るのが「寄付」と分類して考えてしまうような価値観じゃ。
じゃから、金を払えば客は何をしたっていいというような考え方が生まれてしまった。
しかし、たとえばレストランで食事をするとき、そこで交換されるのは、食事や給仕とお金だけではない。料理人のお客さんに美味しいものを提供したいという気持ち、給仕たちの美味しく食事をして欲しいという気持ち、それとそのようなサービスを楽しんだことに対しての感謝の気持ち、それらも同時に交換される。お金で売買していても、「他者からの評価」「自己の満足・喜び」もまたやり取りされておるわけじゃ。
ミライ: ほんとですよね。でもそれが大正時代に分断されたと。
フツクロウ: 大正時代というのは、ちょうどアメリカで画一的なフォード社の車が売れなくなり、代わりに毎年モデルチェンジするシボレーが売れだした頃なんじゃ。冷静に考えれば必要のないものを大量の広告で無理やり需要を喚起して売る手法が始まった頃じゃ。大量生産大量消費の時代が始まったわけじゃな。
ミライ: なんか、今もそういうとこありますよね。
フツクロウ: ホウじゃ、大企業は自社の社員を働かせるため常に開発し続け常に売り続けようとし、いまだに広告などで無理やり需要を作ろうとしておる。
ミライ: さすがに無理でてきてますよね。
フツクロウ: まさに。デフレが続いたからの。人々は強制的に冷静になっていったわけじゃな。
ミライ: 大量生産大量消費の時代は終わりつつありますね。
フツクロウ: ホじゃから、今では野菜一つでもストーリーが求められたりしとる。野菜とお金の交換だけでなく、消費者は産地の真心を感じたいと思うわけじゃな。それで安全も求めておる。
お金と商品の交換だけの売買は成り立たなくなってきておるんじゃ。
しかし、まだ売買に関して考えると、それらを分けて考えてようとしてしまう。
そもそも経済学がそうじゃの。数式にはモノやサービスとお金の間の関係しか書けていない。しかし、実際の売買はそれ以外の価値も交換されているわけじゃな。
ミライ: でも、「他者からの評価」とか数式で書けるんですか?
フツクロウ: ホッホッホッ。なぜ書けんのじゃ。そりゃその評価を何点と決めようとすれば現実に合わんかもしれんが、数学にはいろんな方法がある。その人の評価はこのくらいからこのくらいだろうと確率で書くこともできるじゃろう。