社会は民主主義と言われますが、一方私たちが社会を生きていくには「ネオ事なかれ主義」というべき生き方を身につけなければならなくなってきました。
「ネオ事なかれ主義」とは、簡単に言えば炎上しないように、誰からも文句が出ないように振る舞う行動規範です。世の中多数決で決めていることもありますが、「誰からも文句が出ない」ようにしなければならない場面が増えています。
少し遠いところから例を出しますが、例えば国が行う様々な支援で出される補助金。これは年々使い方が厳しくなっています。世の中がフラットになり、情報公開が進み、国民誰もがチェックできるようになった分、誰から見ても文句のないように、より緻密に書類を用意しなくてはいけません。それできちんと使われるのなら必要なコストではないかと思うかもしれませんが、現実は行き過ぎになっていて、もともとお金にシビアな中小企業やNPOでさえ、あまりの手間に見合わないと支援を辞退するところがたくさんあります。
その代わりにより使いやすい都道府県など自治体の支援を活用するところが増えています。どうして自治体の方が使いやすくできるかというと、一方的な攻撃者が減るからです。自治体の範囲が小さいため、理不尽に攻撃すると、自分に降り掛かってくるかもしれないからです。
それは、以前コンビニの冷凍庫に入り込んだ写真で社会が大騒ぎになったことと似ています。昔ならローカルにしかるべき咎めをうけて落ち着くところ、ツイッターによって世の中がフラットになったことで、まったく利害関係がなく、とことん攻撃できる第三者が現れることで、事態が先鋭化します。国の予算も同じです。国が気に食わないと当たり散らしても、とりあえず自分には帰ってきません。もし地元の役場で同じことをしたら、今後町の人全員からそういう人という扱いを受けることになります。
このため、私たちはこのような事態に適応する必要が出てきました。いわば炎上を避けなければならないのです。これが「ネオ事なかれ主義」です。
それは、ブログとかツイッターの話に留まりません。上ででた補助金なんかもそうです。地域おこしで補助金をもらい、悪意なんか一つもなく使っているのに、後で国からめっちゃ突っ込まれる。国のせいにしても仕方ありません。国も後から国民の誰かに言われるのだから仕方ありません。
ツイッターは誰が見てるか分からないから発言には気をつけると同様に、国の補助金を受ける時は後で誰に何言われるか分からないことを認識して利用するのです。もう完全に型にはまったようは横並びの使い方や、小さい金額をたくさん使うようなものでなく一つ設備を入れて終わりみたいな使い方とか。残念ですけど、本来奨励されるべき独創的なことはしない。独創的なことであれば、必ず誰かが文句を言えるからです。
「ネオ事なかれ主義」のもう一つのポイントは、
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