この記事は【馬車目線】(?)でお送りします。
 
 ihayatoさんのこのエントリ

 インターネット上の批判が「浅い」理由 

 に、ネットでの議論はそこに身体がなくて身体性を伴わないため、攻撃的になるというお話が出ていました。

 "身体が攻撃性を抑制し、脳が攻撃性を煽っている"ため、身体を伴わないネットでは、抑制が利かなくなるという話です。

 "身体が攻撃性を抑制し、脳が攻撃性を煽っている"というところは、その通りだなと思いましたが、ネットでは身体性を伴わないって、そんな単純な話なんだろうかとインスパイアされました。

 ネットは身体性を伴わないどころか、ネットとかバーチャルリアリティが自分の身体よりもっと自分の身体になりかねないと不安に思っているからです。

 そもそも、身体性なんてすごくあやふやです。

 まず、身体性は身体の外にいくらでもはみ出ます。イチローのバットや、腕前のいい板前の包丁は、彼らの身体の一部となっていて、彼らは自在に操ることができます。
 そんな達人でなくても、雨が降りそうな日に手で持ち歩いている傘も身体の一部であり、無意識のうちにすれ違う人に当たらないようコントロールされています。当たり前のようなことかもしれませんが、子供は小さい頃はそれがうまくできませんし、