先日、こんな面白い記事を見つけました。
「戦いは人間の本質ではなかった」:研究結果
昔まだ狩猟生活をしていた頃、人間は個人レベルで殺し合いはあったものの、集団同士の争いから殺し合いは起こらなかったそうです。簡単に言うと戦争はなかったということでしょうか。
まだこの単独の研究結果が本当に信頼できるものかがわかるのはまだ先のことかもしれませんが、これが本当だとしたら、私たちはどんなに胸なで下ろすことでしょう。「そうだよね。人間DNAに戦争が組み込まれている訳じゃないよね」と。
どう考えても、我々の軽く99%以上の人間は平和で戦争のない社会を望んでいます。にも関わらず、なぜか戦争は起きてしまう。そのため
集団間の暴力は常に存在しており、人間の本質ではないかと感じざるを得ませんでした。しかし、研究によると人間の気質が形成されたという250万年前から1万年前までに、
ほとんどの狩猟採集社会において殺人はまれなものだったというのです。
つまり、動物としての人間は戦争しなければならないわけではなく、その後戦争が絶え間なく起こっているのは、人間の性ではなくそれぞれ特殊な事情があると考えられるわけです。
将来戦争はなくなるのでしょうか。なくせるのではないでしょうか。今は、歴史を見て「人間が戦争を始めてしまうのは性ではないか」と疑ってしまいがちですが、そうじゃないとわかれば、かなりばかばかしくなります。戦争は割に合わない、経済的でないですから、しなくていいと言われればやめとくかになりそうです。
後は、具体的な問題を丁寧に取り除いていけばいいのではないでしょうか。例えば戦争の原因としてはリソースの奪い合いがあるでしょう。狩猟時代はなかったのにその後戦争ができたのは、農耕の開始によって土地・水・穀物・人間(奴隷)・街、様々なリソースを奪い合う必要ができたからでないかと容易に想像ができます。
でも循環型社会が実現してリソース不足がなくなればリソースを争う必要はなくなります。いくつか具体的に考えてみましょう。
・エネルギー
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