文部科学大臣の人間力発言でものすごい盛り上がっていますね。
文科相 人間力判断する入試を NHKニュース
例えば、
渡邊芳之先生@ynabe39の「大学入試が「学力のみの一発勝負」であることがどんなにすばらしいかということはもっと言わないとならないと思う。」
にも、いろいろ論点が出ていて取っ付きやすいです。
他にも
といったツイートが印象的でした。「知育体育徳育のバランスのとれたエリート」は欧米のエリートだけでなく、武士も時代もそうであったと。90年代には、日本のエリートと欧米のエリートを比較して、「現代日本のエリートというのは、偏差値教育の中で上位に勝ち残ってきた、『お勉強ができた人たち』に過ぎない。だから、エリートにふさわしいノブレス・オーブリージュをもたない人が多い」といわれていたなあ…
― Mercato Nuovo (@bukrd405) July 27, 2013
武士の時代まで遡らなくても、昔昔の大学というものはもともとエリートが行くところで、仮に授業は今のように学問だけとしても、学校生活全体で身体や徳といった要素もバランス良く育てるエリート養成の場所だったのはないでしょうか。
その大学がどんどんひろがり大衆化したことで誰もが入れるようになり、高等教育が広く行き渡るようになりました。それは日本の高度経済成長に大きく大きく貢献したことでしょう。
しかし、大学という制度が大衆化し、広く一般に広まり、社会もまた高度成長期を終え、持続的な社会への移行をする中、今の形の大学入試で問われる能力というのは、陳腐化してきました。就職では学力の高さより、その他の能力の方が重視されているように見えます。大学受験もすっかり成熟し、対策が進んでしまったため、真の学問の能力を身に付けるより、受験テクニックに特化して学べば十分なようです。
社会も学生も親も今の大学の付加価値に疑問符を持つようになってしまいました。
なので、大学の入試制度について、なにか変えなければならないという意識そのものは、かなり多くの人で共有できるのではないでしょうか。
ただそれが「人間力」という言われると、いろいろ考えさせられてしまいます。
でも予感はあります。それが「人間力」かはよく分かりませんが、子供の世代が違うなあと特に思うのは、すでに、持続型で循環型の考え方で生きているということです。先日、トレイをリサイクルする工場の見学に親子で行ったのですが、「今は子供の方がよく知ってますが」と解説にありました。そう、もうそれで育っているのです。
それは子供だけではありません。震災の復興事業の入札が成立しないことが少なくなく、復興が進まないというニュースを今日もやっていました。技術者がいないと言われていて、震災直後からずっと続いています。どんどん技術者を育成すればいいようなものの、復興してしまえば需要はなくなりますから、なろうという人は少ないでしょう。
そのような問題は、震災復興の例外だけではなく、私の身近なところでは大学など研究の場にもあります。
日本がスパコン京(けい)を行き渡らせる人材を作るには
きっと世の中そこら中に同じ問題があることでしょう。箱ものだけ作ってもその後継続的なソフトの支援がないとうまくいかないとか。
すべて、いかにそこに関わる人が持続的に活動できるのかという点で問題を抱えており、人材不足が起こっています。目の前のニンジンだけで競争するような単純な人材は減ってきているのです。
「人間力」とかいうより、偏差値という一軸の評価点で個人個人が競争しトップから順にいい大学に入り、いい企業に入る、そういうモデルそのものが、時代遅れというか、上にあげたような持続的なシステムを作るのに適していません。勝ち負けそのものが刹那的で持続的ではありません。
大学も全入時代になりますから、偏差値だけで評価されたら、下からつぶれます。うちはこういう大学ですと個性を出して、生徒を集めるでしょう。試験も最低限の学力や、最低限の「人間力」を確認することや、大学の個性にあった能力を測るものになるでしょう。
就職も同様です。すでに「ギャップイヤー」という制度が産学あげて推奨されようとしています。
【馬】すでに今の普通「ギャップイヤー」の先
ギャップイヤーに行う活動は多様ですから、それを高く評価する企業もあれば、評価しない企業もあるでしょう。良い大学に入って良い成績をとった順に良い企業に入るという枠組みを崩せます。
「人間力」による評価という発言が直接意図しているかはともかく、大学入試、そして就職は、偏差値という単一軸からはだんだん離れていくことでしょう。それは今に始まったことではなく今もその努力をしていますし、これからどんどん見えてくるはずです。楽しみです。
さてそれでは、その中でも優秀な人材を集めて、欧米型とか武士時代のエリートを育てる必要があるのでしょうか。
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