今、工学を目指している人は、戦略的に「人工学」ではなく「自然工学」を目指しましょう。「自然工学」を進めればこれからもとても楽しい工学ライフを過ごせますが、「人工学」にしがみついてしまうとジリ貧です。リストラです。

 「人工学」?「自然工学」? なにそれ。ぐぐっても無駄です。さっき作った言葉です。中身は10年前から話していますが、これまでは「旧工学」「新工学」とか言っていました。

完全なコピーを作り出すための技術

 これまでの工学は、まったく同じモノを作り出すための技術です。iPhone5 を買うとき、どのiPhone5を取っても「まったく」同じです。2つ新品を並べられたとして、その違いを見つけることは普通の人には出来ないでしょう。精密に測定すれば、厚さ一つをとっても 0.01mm の世界で違いはあるでしょうが、「同じ」と言ってしまって構いません。というか、「同じ」と言って構わない精度で作り上げているのです。

 私たちの身の周りの工業製品は、基本的にこのまったく同じモノを作るというコンセプトで作られています。工学も基本的にこの精神が流れています。このように全く同じ「人工物」を作ろうとする「人工学」の発展のおかげで私たちは安定した品質のものを安く手に入れることが可能になりました。

 しかし、その発展が一巡してしまった上、グローバルだなんだで、価格競争が激しくなってしまいました。さらに「同じモノ」を作る技術を磨いてもあっという間に他に追いつかれ、価格は下がります。いたちごっこです。一度しくじれば会社は傾き、社員はリストラの危機にさらされます。

 また同じモノを作るには、ちょっと見過ごされやすい、大事な要素があります。それは「同じモノ」を作るためには、「同じ材料」が必要になるという点です。例えば缶コーヒーを作るのに、飲料メーカーに納品される「缶」は全く同じモノでなければなりません。それでも不良はでますが、何十万個に一個とかいう世界です。でも、缶を作る工場ではそれより遥かに多い不良品が出ています。不良品とはいいますが、ほとんどはほんのささいな傷や凹みで、気にする人は少ないものです。
 そうやって、大量の不良品を出しながら、「完璧に」同じモノを作る努力を惜しみなく注いだモノは、確かに完璧に同じモノになり、そのために「価格競争」に巻き込まれ価格が落ちます。

 これからも重要な技術ではありますが、常にジリ貧であり、リストラの危険があります。これから工学を目指す人は次の視点が必要です。

ばらついた原料からモノを生み出す

 ここに二つの対照的なプロダクトがあります。それは日本酒とワイン。どちらも醸造酒ですが、ワインは必ず"2013"などと作られた年が入ります。発酵モノが好きになると分かりますが、毎年いろんな条件が変わる中で、同じ味を作ることはできません。なので、同じ味になるように違う酒をブレンドします。醸造酒どころか、ウイスキーなど一度蒸留するかなり工業的なプロセスが入る蒸留酒でも、ブレンドで味を整えるといいます。
 が、ワインは特にばらつきが大きいため、開き直って年号をいれます。これは美味しい年もあれば、「いまいち」の年もあると言っているようなものです。

 そのような不安定な製品でありながら、全く同じモノが作れないのに、ワインは世界中に親しまれています。

 有機農法。できれば有機農法の野菜を食べたいと思う人は多いと思いますが、実はとても大変です。
 逆に今までの農法の何が凄いか。レシピ通りに作れば場所を選ばずきちんと出来るからです。畑を耕し、化学肥料をば〜っといれて、農薬で病気や虫を抑えて育てれば、立派な野菜がたくさんできます。いわば畑を工場にしたのです。化学肥料も農薬も「完全に同じもの」であり、これで畑を覆うことで畑も概ね「同じ畑」になります。

 有機農法とはいわばこういう手法から離れることなのですが、途端に、あらゆる要素が変動的になります。有機農法に固定のレシピはありません。野菜は、場所が変われば、育ち方も変わります。同じ地域ですら変わりますし、畑のあっちとこっちでも変わります。育ちながら、葉などが虫に食われます。当然実の付き方もそれぞれ変わります。実の形もそれぞれ変わります。そういった中で市場に出せる野菜を作るには、それぞれの農家が、それぞれの畑に合わせた育て方を見つけられなければなりません。そこが大変なのです。

 でも私たち消費者は次第にそういうプロダクトを求めています。仮想の工場から出てくる野菜ではなく、自然の中で空気や水や土や虫と関わりながら育ったというストーリーを持った野菜を食べたいと思うようになっています。

 ここに新しい工学のヒントがあります。元になる原料や、モノを作る環境は変化することを前提にするのです。そこからモノを作る。もちろん全く同じモノを作ることはできません。でも、製品になるためにはなにかしらの基準は満たす必要があります。それをどう管理するか。そこに視点を移すのです。自然物のようにばらつきのあるものからものを作る「自然工学」です。

 日本酒も徐々に年号の入った古酒が出回るようになっています。日本酒も年を経ればワインみたいに深みを増します。もっと普及すれば、「新酒」についても無理に同じ味に近づける必要はなくなり、却って飲む人の楽しみになります。

「自然工学」はもう始まっている

 この「自然工学」というアプローチはもしかしたらもう別の言葉になっているかもしれません。研究の場ですでに意識されています。

 すこし理学よりですが、たとえば脳科学。実験は再現性が要求されますが、脳というのはみなそれぞれ違ううえ、一度実験すると変化してしまう(ある作業に慣れるなど)ので、同じ実験を繰り返すことが困難です。それでも科学的知見をどう得るか。
 あるいは環境。環境も同じものもなければ、常に変化するものです。それでも環境になにをしたらなにが起こるかという知見をどう得るか。

 これらは古典的な工学とははっきり違う分野ですが、工学も取り組まなければなりません。今工学を学ぶなら、この視点を意識しましょう。こちらはジリ貧どころか、これからの分野です。

「自然工学」を通して私たちを見つめ直す

 そして、この新しい視点は、鏡のように私たち自身のありかたを映し出します。いままでの教育はなにか「完璧な」大人というものがあって、みんながそれに少しでも近づけようとするプロセスにも思えます。
 しかし、「材料」は誰一人として同じではありません。つい先日ボランティアで訪れた小学校のパソコン授業で、生徒は近所の地図を作りました。これはいい題材ですね。こんなに個性が出るのかと本当に愉快です。いわゆる地図っぽいのを作る子もいれば、道にたくさんの車が走っている子、畑にいっぱいチョウチョが飛んでる子、最終版では消してましたが川に新幹線を走らせている子。
 こんだけばらつきのある材料から、同じモノを作ることはできません。でも、じゃあどうすればそれぞれが活躍できる大人になれるのか、私たちははっきりとした方法論を共有していません。

 「自然工学」もまだその段階です。ばらつきのある材料から、なにかしらの基準は満たしつつ、その中で、それぞれがそれぞれの持ち味で光るように作りあげるにはどうすればいいのか。
 それができれば、グローバル化の時代でも、体力任せの価格競争から一歩引くことができ、さらに、ばらつきがあるために活用されずに眠っている素材を利用できるようになります。つまりより環境にやさしい循環型の社会を作れるのです。

 もしも「自然工学」が発展すれば、私たちが私たちになるために大いに貢献することでしょう。今までの「人工学」を私たちに適応されたらたまったものではありませんが、「自然工学」はなにより私たちに必要な学問なのです。

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