だれにも愛されなかった人間がひとを愛せるようになるにはどうすればいいか。
という記事が話題になっています。海燕さん自身が、
はっきりいって快心にして渾身の力作記事です。と宣言されることだけあって、ものすごく刺激されました。凄い力です。
無条件の愛は減っている?
まずは、これを読んだ現役ママからの聞いた感想を紹介。「親から無条件の愛情と承認」について。子どもを持ったからって、無条件に愛してるって思えない。責任とかプレッシャーが大きくて、愛でてこなかった感がある。愛しているがゆえ、なんですけど。子どもを無条件に愛することで取り返しのつかない間違いをしてしまうかもしれないため、どっかにブレーキをかけなければいけない。核家族化が進んで、母親たった一人で子育てしなくてはいけないことが多くなって、無条件で愛せないことが多くなってしまっているのかもしれません。育児の孤立化は、こんな問題も引き起こすようです。
やはり子育てで母親を孤立化させてはいけません。社会もそのことにきづいて動いています。
・父親も巻き込む。イクメンという言葉がだいぶ陳腐化してきたくらい、父親の育児参加が増えてきました。
・できれば祖父母も巻き込む。祖父母教室も流行り出しています。
・自治体・保育園・幼稚園などとの連携。祖父母に頼れなくても、地域や保育園・幼稚園に頼れるように、いろんな取り組みが行われています。
でも「親から無条件の愛情と承認」はレアアイテム
ただ、屁理屈に聞こえるかもしれませんけど、「親から無条件の愛情と承認」を明示的に受けてる子は、古今東西ほとんどいません。なぜなら、大半は、血がつながっているからです。昔、NHKの朝ドラの「てっぱん」で主人公あかりが自分が親と血がつながってないことを知って、混乱する時期があります。それまでは「親から無条件の愛情と承認」を受けている自覚があるくらい、愛情に溢れた家庭です。でもひとたび血がつながっていないと知り、考え込んでしまうのです。
だって、親がこれほどまで私に無条件の愛情と承認を与える理由は、血がつながっているからだと本能的に思い込んでいたからです。そんな理由でもなければ、こんな出来の悪い自分を、そこまで愛することができるはずがないと思うからです。
現実に血がつながっている親子で、この問題を深く掘り下げるのは困難です。もしこの子と血がつながっていなかったらを考え抜くことは難しいです。「まあ、それでも育てるよ」くらい思うかもしれませんが、本当に違ったら間違いなく混乱することでしょう。
子に至っては、自分で答えられません。「もし血がつながっていなくても、親は変わらず接してくれるだろうか」と考えて、「おいらは絶対大丈夫!」と底抜けに考えることはできません。せいぜいちょっと不安だけど多分大丈夫くらいでしょう。
各親子でこの問題を白黒付けることは困難だし、逆になにか特別な事件でもなければ白黒付けることにあまり意味もなさそうです。
「親から無条件の愛情と承認」を受けた人に仕掛けられた罠
結局「親から無条件の愛情と承認」を受けてきた子も、思春期の頃に「自分が受けている愛情や承認は血が理由で、本当は無条件ではないのではないか」と疑問を持ち始めることになります。ただ、そこそこ幸せに過ごしていると、ここをなんとなく通り過ぎる人も多いはすです。でもそうなると、大人になり、結婚したり、子どもができたりした後で、大混乱することもあります。「子どもは血がつながっているから無条件に愛さなければならないけど、配偶者は血がつながっていないから条件付きで、場合によっては離婚する」と考えてしまうこともありそうです。
「てっぱん」のあかりは、血がつながっていなくても親が無条件に自分を愛してくれていたことを知るというレア体験をしましたから、きっと将来配偶者や子を無条件に受け入れることもできるでしょう。でも、古今東西、たいていの人は(?)付きの「無条件(?)な愛情や承認」しか受けていません。
愛することとはなにかという問題に取り組まなければならないのは、家庭が崩壊して愛されなかった人だけでなく、「無条件(?)な愛情や承認」を受けた人もなのです。それは、将来仲間や配偶者や子どもと出会う過程のどこかで、起こることが多いでしょうが、ずっと遅れることもあります。
昭和的なドラマで、子育て一段落したくらいの主婦が「今までの私なんだったの」とか、定年迎えたサラリーマンが「俺の人生はなんだったんだ」とふと我に返ってしまうのは、その歳になって、ようやく愛することの問題に気付いたのです。
愛することは、ほとんど全ての人の容易ならざる問題なのです。
人を愛せるようになるには
では「完璧に無条件な愛情や承認」を受けていなくても、人を愛せるようになるにはどうすればいいのでしょう。・受け入れる、寄り添う
「人を愛するには」と書きながら、考えてたら、愛するってなんなんのか、やっぱり全然分からなくなってしまいました。やっぱり西洋的な考え方なんでしょうか。「愛しく思う」くらいがいいのかもしれません。
いつかそれがわかることもあるかもしれませんが、それまでは、仲間をあるがままに受け入れたり、さらに大切な人には寄り添ってみるくらいを目指してはいかがでしょう。
他人の姿を見るのは簡単でも自分の姿は鏡がないと見えないように、自分を受け入れたり、寄り添ったり、さらには愛すること、より、他人を受け入れたりする方が簡単です。他人から始められるなら、自分を愛すために、まず他人を受け入れましょう。
・向き合わず寄り添う
次男はたまに保育園に行きたがらず、立ち尽くすことがあります。そんな時は隣に立って、手をつないでいると、そのうち歩き出してくれることもあります。気持ちの上でも、人と向き合うのでなく寄り添うほうがうまくいくことが多いようです。自分自身でも同じです。「自分と向き合う」という言葉がありますが、向き合ってしまうと動けなくなります。自分と向かい合って問いつめるのではなく、寄り添って、進もうとしたら一緒に歩む、必要なら少し違う方向をアドバイスしてみるほうが、うまくいくことが多いようです。
・のんびり生きる
さっき次男の話を書きましたが、隣に立って、手をつないで待てるのは、「時間があるとき」だけです。時間がないときは引っ張っていくしかありません。「時間さえあれば」と思うことが毎日のようにあります。先日の「効率化が生むイライラ・不寛容」の話も大半は「時間の問題」に落とせる気がします。他人や自分を受け入れたり、寄り添うには、そのための時間を作ることが必要です。つまり、何かを諦めなければなりません。
・「超越者」に受け入れられていることを知る
そうはいっても、自分が他人を受け入れるとか、寄り添うとか、愛するとか、自分は人間として何かが欠けているのに、それ自体が相手に迷惑ではないか、傷つけてしまわないか、そこが一番の問題です。
それについて、
無心論者であっても、「超越者」に「私は生きて呼吸することそのものが、祝福されたことなんだ」と認められていることが、がけっぷちに立たされた状態では、必須で、これがないと人は生きていられない。という、ものすごい言葉を残した匿名ブログがあります。
詳しくは20歳までに身に付けたい、生きて行くための心の強さで紹介していますが、誰もがなにか「超越者」を必要としています。
子どもの頃は、親が「私は生きて呼吸することそのものを、祝福し認め」てくれていると思っていたとしても、いつしか、それには「血のせい」ではないかと翳りが生まれます。そこで、なにか人間を超越したものにそれを求めて行かなければなりません。
いろんなものがあります。日本人は生まれながらにして自然に親しみ畏怖の念を持ちますから、自然にそれを求めるのが手軽です。養老孟司先生も「人間関係でつまづいた時は、誰ともうまくいかない可能性が高い。そんなときは自然に逃げろ」と言われています。
普段もちょっとした機会に郊外に行って、川が目の前に流れていて、菜の花がぶわあって咲いていて、ビルがなくて、宅地造成中のとこがここかしこにあって、駅からずっと信号が一つもないところを歩くだけで、どれだけ心が落ち着くことか。
宇宙や科学でもいいかもしれません。もちろん各宗教の神もそれです。日本人なら神社などが親しみやすいでしょう。
元記事では「好きなことに集中しつづける」ことを薦めています。これも人間と関係ないところに自分が生きてていい場所ができます。
そうやって、他人との関係以外のところで自分を確保する、そこを起点にすれば、それが自分はこんな人ですという表現になり、他人を受け入れたり、寄り添ったりしたとき、相手がびっくりして跳ね退くことも少なくなります。もちろん相変わらず欠けているところはあるかもしれませんが、それはお互い様です。
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と、そんな努力をしたところで、結局人を愛することなんて、あるいは自分を愛することなんて全然分からないかもしれないのですが、少なくとも天寿を全うするまで、自分がそれに向かって歩いているつもりに騙すことはできるのではないかと思います。
最後に蛇足なんですが、元記事の「光属性」の人、私は人生で数人知っていますけど、こんな人が存在できるのかと、ただため息が出ます。そのうちの一人は夭折されてしまって、自分の中では神格化されてしまいました。
それくらい輝く人の反対側に驚異的な「闇属性」の人がいるとして、直接は知りません。凶悪事件の犯人とかは真性の「闇属性」なのかもしれません。「闇属性」は自分の中に飼ったことはありますが、所詮自分の中の一人です。そんな風にほとんどの人は、「光属性」と「闇属性」を併せ持っていて、人生の中では、その割合もいろいろ変化するし、変化させることもできるのではないかと思っています。
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