ボカロは活発でもそれ以外のアマチュア音楽が脚光を浴びないのは、 無個性と個性の融合じゃないだろうか。 ボカロ状態の曲は、完成品だが、ある意味、ある意味よ?あるいみ、未完成。 MIDIでメロディをピアノに引かせているのと同じようなモノだと思う。 (もちろん、調教による抑揚やブレス、感情移入を否定している訳じゃないが) つまり、ピアノの楽譜の様な状態。その曲は作曲者の個性があるが、 誰の手元に渡っても楽譜は同じで、そこからさらに演奏者の個性が加わる。 歌ってみたもそういう感じじゃないかな。 ボカロという楽器が演奏していた部分を人間の歌い手という楽器が演奏する。それによってまた個性が付加されて。 今までの音楽は与えられたものが完成品で、そこに手を加えて聞くなんて事は無かった。 けど、今は自分の気に入る抑揚で演奏することができる。 日本人は、温故知新に長けているのか、既存のものから新しいモノを作る能力が優れている。 そういった民族性と、ボカロというコンテンツがマッチしたのかもしれない。
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未来の普通
(ID:14882521)
ボカロは活発でもそれ以外のアマチュア音楽が脚光を浴びないのは、
無個性と個性の融合じゃないだろうか。
ボカロ状態の曲は、完成品だが、ある意味、ある意味よ?あるいみ、未完成。
MIDIでメロディをピアノに引かせているのと同じようなモノだと思う。
(もちろん、調教による抑揚やブレス、感情移入を否定している訳じゃないが)
つまり、ピアノの楽譜の様な状態。その曲は作曲者の個性があるが、
誰の手元に渡っても楽譜は同じで、そこからさらに演奏者の個性が加わる。
歌ってみたもそういう感じじゃないかな。
ボカロという楽器が演奏していた部分を人間の歌い手という楽器が演奏する。それによってまた個性が付加されて。
今までの音楽は与えられたものが完成品で、そこに手を加えて聞くなんて事は無かった。
けど、今は自分の気に入る抑揚で演奏することができる。
日本人は、温故知新に長けているのか、既存のものから新しいモノを作る能力が優れている。
そういった民族性と、ボカロというコンテンツがマッチしたのかもしれない。